vol.26

山尾三省 (4)  [2001/10/03]

屋久島の雑誌『生命の島』58号(2001年12月1日発行予定)の「山尾三省記念特集」に書いた原稿です。

屋久島までの長い長い物語

三省さんの本を3冊作らせてもらった。正確にいうと、2冊で、あとの1冊は増補新版で、合計3冊である。最初は1985年の『縄文杉の木蔭にて』(装丁・鈴木一誌、写真・日下田紀三)、次に1990年の『回帰する月々の記』(装丁・鈴木一誌、写真・山下大明))そして1994年の『縄文杉の木蔭にて』(増補新版。装丁・吉田カツヨ、写真・大橋弘)である。

当方に販売力や広告力もなく、どれも申しわけない程度しか売れなくて、三省さんや屋久島の自宅にある山尾書店には迷惑をかけっぱなしだった。なにしろ、最初の『縄文杉の木蔭にて』の3000部を全部売り切るのに、9年もかかってしまった。それでようやく増補新版を出すことができたのである。

84年頃だったろうか。西荻窪にあったプラサード書店でのことだ。プラサード書店は『聖老人』を81年に刊行していた。そのころの店主のキコリさんの連れ合いに、三省さんの本を出すことで意見を聞いたことがある。まだ、三省さんが本を3冊ぐらいしか出していない時だった。「少し、繰り返しが多いね」と生意気な意見の私に対して、彼女は「三省さんの本なら、なんでもいいのよ。みんな、どれでも読みたいのよ」と言う。たしかに卓見だ。すでに三省さんの本の力を見抜いている。そして、彼女は三省さんの本を出しなさいと、強く勧めてくれた。

足は遅いが、しかし、三省さんの本はほんとうに息が長い。毎月、毎年、ずっと絶えることなく注文がある。そしていつの間にか、在庫が減っている。出版社にとって、不思議な著者のなのである。いまは一年いや半年で本の運命は決まる。動かない本はテコでも動かなくなる。三省さんは短期的に考える編集者や出版社には向かない著者かもしれない。しかし、三省さんの本は、これからますます、ゆっくりだが絶えることなく読み継がれていくに違いない。

いま三省さんのことで一番知りたいことは、77年に屋久島に行くまでの個人史および家族史だ。60年に大学を中退して、67年にコミューンの部族にかかわりはじめるころのこと。ナナオ・サカキやゲーリー・スナイダーとの出会い、風月堂での日々。もちろんこの雑誌には詳細な三省さんの年譜が掲載されるだろうから、おおよそのことはわかるでろう。

『縄文杉の木蔭にて』には、60年安保全学連委員長の唐牛健太郎(かろうじ・けんたろう)が1984年3月に47歳で死んだ時のことが書かれている(「桃の花」)。

 三月三日、例年であればすでに満開に咲いているはずの、家の前の桃の木にはまだ固いつぼみがこびりついているだけだった。北西風がごおごお吹き荒れている三月四日、唐牛健太郎が癌で逝ったという知らせを聞いた。直腸癌の手術をして経過は良好だと噂に聞いていたので、癒ったものとばかり思っていたがそうではなかった。強い衝撃と深い悲しみに打たれて、僕は茫然とした日々を過ごした。社会的歴史的に見れば唐牛の死は、かつて六〇年安保闘争と呼ばれ、年ごとに風化を続け、二十五年経た現在ほぼ風化しつくしたかに見えるその「精神」が、彼の雄々しい死をもって無残に風化完了したことを意味するが、僕個人にとっては、赤フンと呼んだ深くやさしい魂が、肉体を棄てたことを意味していた。
 この島にも唐牛の友人である者が二人ほど居り、それぞれに彼の死を悼んでいるはずであったが、僕はその二人とさえ会いたくなくて、自分一人で彼の見送りをすることになった。妻子が寝静まった夜更けに、焼酎とつまみを用意して、勉強机に向かって一人でゆっくりと飲みはじめた。酔うにつれて、彼が大好きであり僕もまた大好きである『網走番外地』という唄がおのずから唄いたくなり、彼と自分だけにしか聞こえない低い声で、一番から四番までをゆっくりと二度唄った。涙がとめどなく流れるのは、致し方ないことであった。

唐牛健太郎と三省さんとはどのような知り合いだったのだろうか。この本を出す際に三省さんに聞くのを忘れた。図書館で島成郎の『ブント私史』(批評社)と『唐牛健太郎追想集』(同刊行会)を借りて、ざっと読んでも三省さんの名前はでてこない。唐牛は32歳の1969年4月に鹿児島から与論島に向かう。そして翌年の6月、同島で安保闘争10年目を迎えて、7月には与論島を離れる。どこかに二人をつなぐ糸がある。安保世代のほとんどの者が市民社会に復帰したなかで、25年以上にわたってひとり彷徨してきた輝く安保全学連委員長と屋久島の農民詩人、三省さんとのつながり。

唐牛健太郎の寂しさをいちばん理解していたのは、三省さんではないだろうか。三省さんの屋久島までの長い長い物語を知るために、だれかがいつかは書く、三省さんの評伝を早く読みたい。

[注]三省さんについていくつかの本を読んでみた。

『対談 青春の軌跡』(栗田勇著、1968、三一書房)
巻末の対談に新宿のフーテンのひとりとして三省さんが出ている。

『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピー・ムーブメント '60-'90』
(山田塊也、1990、第三書館)
元部族の「ポン」(1937~)による半自叙伝。部族から奄美大島の「無我利道場」までの記録だ。



       

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