vol.22
郵便配達(2) [2001/08/22]
中国映画『山の郵便配達』は、20年以上も働いてきた年老いた郵便配達夫の父が、あとを継ぐ息子と一緒に2泊3日120キロを旅をする物語である。父と息子、そして父の愛犬「次男坊」は、3日間をかけて徒歩で山岳地帯の村々に郵便物を配達し、また郵便物を収受してまわる。
映画の原題は『那山 那人 那狗』、日本語に訳すると『あの山 あの人 あの犬』。映画の英語タイトルはPostmen
in the Mountains。だから、映画の邦題は『山の郵便配達夫』となるべきかもしれない。しかし、郵便配達だけでも人格を表すわけだから、これでもいいのだろう。(1)前にも書いたように今は夫のつく職業表記は嫌われるのだ。
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しかし、郵便配達夫というと、佐伯祐三の作品やジェイムズ・M・ケインの『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』を思い出す。そうだ、あのキッチュな「理想の宮殿」を営々とつくりあげた素人建築家の「郵便配達夫シュバル」もいた。 |
父と息子は愛犬をつれて、峻険な山道を歩く。この旅は足を痛めて引退する父の最後の仕事であり、息子へ山の道筋や仕事の段取りなど、すべてを教え込む旅であった。そして、愛犬にも自分に替わって、息子が新しい主人であることを分からせる旅でもあった。
母は息子がこの仕事を就くことには不満だ。しかし、息子は答える。「郵便配達は公務員だ。普通の仕事よりいい。幹部にもなれる」原作によると息子は上級学校への進学をあきらめて、十数歳から黙々と牛のように村の田圃の中で働いてきた。映画はそのことに触れていない。
父と息子そして「次男坊」が、山の道を登る。最初、息子は父と何を話していいかわからなかった。小さいときから父は家にいなかった。息子はこの旅の途中で初めて父を「父さん」と呼ぶ。
舞台は1980年代の中国湖南省西部の山岳地帯。湖南省は中国の中南部、長江中流南部にあり、漢民族のほか、人口250万人をこえる40以上の少数民族が住んでいる。南には広西チワン自治地区がある。湖南省は毛沢東、劉少奇の故郷でもある。
湖南省の西部、現在の湘西苗(ミヤオ)族・土家(トォチャ)族自治区が映画の舞台だ。公共交通機関もない山の中に村々が点在する。父は行く先々の村で、一人息子が自分のあとを継いでこの郵便配達をやっていくと紹介する。
映画に現れる山の自然は美しい。山の上から下の谷間を覗くと突然、素晴らしく手の入った田圃と集落があらわれる。陶淵明の描いたユートピア「桃花源郷」があったとされるのは、このあたりだそうだ。
映画では、愛犬の「次男坊」が大事な役割を演じている。道案内だけでなく、父から息子への世代交代、仕事の引き継ぎを立ち会う役目を演じ、ドラマに幅を作っている。村人は次男坊の鳴き声で郵便配達の到着を知り、集会所に集まってくる。ロープの必要な崖道では、吠えて上にいる人にロープを投げるように要求する。二人が村はずれの風雨橋(2)の上で休んでいる時、突風で飛ばされた封書を空中でキャッチングする妙技を披露して、観客を安堵させ、感激させる。
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風雨橋は木造りの屋根付き橋のことをいう。通行人には雨よけだけではなく、憩いの場も提供している。橋のまん中のベンチの横には「だれがやったかわからないが旅人のために」水がめが置いてあり、ここでも映画は村の共同体意識がまだ残っていることを示している。映画『マジソン郡の橋』でおなじみの屋根付き橋とおなじで、英語ではCovered
Bridgeという。湖南省や広西チワン地方は雨が多いことから風雨橋が多く、歴史的な橋は観光スポットにもなっている。 |
また、母親の存在は大きい。原節子に似た美しい母は、一人息子(長男坊)がこの過酷な仕事につくことを案じている。それは、三日おきに郵便配達にでて、休みは日曜日しかなく、ほとんど家族との時間をもつことができない仕事。そんな夫の厳しい仕事をなぜ息子が引き継がなければならないのか。ここには、中国の「一人っ子政策」の重い影を見ることができるし、現代中国での家族の生活への回帰願望を現している。
原作(『山の郵便配達』、ポン・ヂェンミン著、大木康訳、集英社)を読むと、映画とちがって母親が登場しない。一度喀血したことがあり、いまは喘息がひどい母がいると説明されているだけだ。原作は父と息子との間の感情描写が多く、台詞が少ない。
映画では、息子は手紙、新聞などがたくさん詰まったリュックを背負って山の道を歩くが、原作では、長くはないが曲がった天秤棒の先に郵便袋を結んで、肩に担いだ。そう、映画では山の上から天秤棒を担いだ男と籠を背負った女とすれ違う場面があったが、あの天秤棒姿である。また原作では「大きな茶色の犬」とだけ表現された次男坊が、映画ではジャーマン・シェパードになっている。
さらに原作と映画のちがうもう一つの大きな点は、物語の舞台を湖南省の西部の山岳地帯と特定し、父と息子は少数民族の村々をまわって郵便配達するということだ。しかも、映画のパンフレットによれば、郵便配達の父子は漢民族だという。
原作は1983年、映画製作は1999年。この16年の間に中国社会ではものすごい変化があった。父が郵便配達を始めた頃より20数年前、それからまもなく、プロレタリア文化大革命がはじまり、10年以上にわたって中国全土は混乱した。
中国共産党が混乱すればするほど、伝達される文書は多くなり、郵便配達夫の仕事は増えていったに違いない。さまざまな文書、命令書が配達された文革時代。村々は人民公社の下部組織の大隊、生産隊に組織され、隊長は村長が務めた。各生産隊には党の書記がいる。郵便物は書記にまとめて渡され、外に配達を頼む郵便物も書記が集める。郵便配達は支配構造のラインを伝達するという、危険な仕事でもあった。父にとって「次男坊」は道案内だけでなく「用心棒」としても頼りがいのある存在なのだ。
フォ・ジェンチイ監督は映画化するに際し、原作に出てこない母親を登場させ、山岳地帯の少数民族への郵便配達という構図をつくった。きわめて今日的な問題をもちこんできた。しかも、母は少数民族ではないが、山里出身者で、たえず望郷の気持ちを抱いている。映画の中で息子はいう。「お母さんから故郷の話を聞き、山の人はなぜ山に住むのと尋ねた」母は言う。「山の人は山に住む。それが一番合っているいるからよ」
トン族の娘のいる集落。結婚式で繰り広げられる踊りは、われわれにこの地がタイなどの東南アジアの文化が近いことを教えてくれる。その地でも、土間の炊事場に置かれたラジオから英語の音楽が流れる。過疎化も進んでいる。半身不随の老婆は孫の手紙が来るのを首を長くして待っている。父はお金を包んでいた白い紙を勧進帳スタイルで読んであげる。息子はこの芝居も引き継ぐ。
翻訳書『山の郵便配達』には、デビュ-作の「山の郵便配達」をふくめ、1997年の最新作まで、20年ほどの間に発表された6つの短編小説が収められている。それらが、この20年の間にこの湖南地方の村々で何が起きているかをリアルに描きだしている。農村部の若者たちは南の広州を目指し、どんどん村を離れていく。農村では、もはや若い男女を見ることができない。改革開放経済に煽られ、外にでた若者からの送金で、農村ではピカピカの瓦屋根が毎年20パーセントの速度で増加している。(短編「南を避ける」)
「懐かしい」。この映画を見ると、人はどこか見たことのある、しかし、いまやどこにもないような「原点の風景」を見る思いがする。これは、中国でもいまや同じなのだろう。美しい自然、人懐こい人々の笑顔、心に染みる民俗芸能や歌垣。きびしい徒歩による郵便配達。これらすべてが、確実に消える(消えた)時代を迎えている。それは中国だけでなく、世界のどこでも起きていることを、映画は伝える。だからこそ、われわれは、すべてが懐かしく、涙がとまらない。
おそらく、あと10年もしないうちに、息子の郵便配達の仕事はなくなるだろう。郵便配達の仕事がトラックに変わり、徒歩からオートバイに変わるころ、村からは赤ん坊の泣き声や若者たちの歌声などがたぶん消えているだろう。
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