vol.12
ハートランドから巻き起こるパラノイア [2001/06/27]
2001年6月11日午前7時、アメリカのインディアナ州のテレホートの連邦刑務所で、1963年以来38年ぶりの連邦政府による死刑が執行(1)された。
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アムネスティ・インターナショナルによれば、109ヵ国で死刑廃止が立法化されているか、あるいは実行されているが、86ヵ国で依然として死刑が執行されている。 |
死刑囚は前日の10日に処刑室に隣接する独居房に移され、その日の正午には選択可能な最後の食事として、ミントとチョコチップのアイスクリームを注文した。
11日の早朝、死刑囚は執行室の寝椅子に身体を固定され、午前7時10分、最初の薬物が右足に注入され、3回目の注入が終わったあと、同7時14分、執行監督官が死刑囚の死を宣言した。
死刑執行室は四面をガラスで囲まれ、それぞれの部屋から犠牲者の遺族10人、取材記者10人、死刑囚が指定した弁護士ら4人、そして政府関係者が死刑執行を見た。処刑の際、死刑囚は自ら寝椅子の上で横を向き、ガラス越しに見える記者たちをにらみつけ、目を開けたまま絶命した。
処刑の様子は一般には公開されなかったが、約1000キロ離れたオクラホマシティーの連邦政府施設で、希望した被害者と遺族約230人が有線テレビの死刑中継画面を見た。彼らは被害者権利法によって公開処刑の機会を得た。
死刑囚の名はティモシー・マクベイ(33)。1995年4月に起きた、オクラホマ州オクラホマシティーの連邦政府合同ビル爆破事件の実行犯だ。この爆破事件で子ども19人を含む168人が死亡、米テロ事件史上最大の犠牲者が出た。
マクベイは元陸軍軍曹で、湾岸戦争にも従軍し、勲章も受けている。マクベイは軍に勤務中から、さまざまな極右関係の雑誌や『ターナー日記』(2)などをむさぼり読んだという。
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1990年代初頭までのアメリカの白人極右の活動については『アメリカの極右』が詳しく紹介している。『ターナー日記』は極右団体「国民同盟」の創設者のウィリアム・ピアスが書き下ろした小説。合衆国での白人至上主義を確立するため、徹底した人種戦争を開始するストーリー。いまや、極右運動のバイブルとなっている。 |
94年から95年にかけて、「アーリアン・ネーションズ」「オーダー」「KKK」などの従来の白人極右とは別の「ミリシア、Militia」と呼ばれる民間武装組織が、ハートランドと呼ばれている中西部(ミッドウェスト)や南部で次々と自然発生的に生まれてきた。ここはまた伝統的にポピュリズムの故郷であり、アメリカの保護貿易を支える農民層の強力な政治基盤でもある。(3)
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前出『アメリカの極右』では、ミリシアの一つ、「ポシー・コミタータス」に一章を割いている。 |
マクベイもかつては接触のあったミリシアの一つ、「ミシガン義勇軍」は、いまや12,000人のメンバーを誇る。ミリシア全体では全米30州で10万人の勢力があると思われる。ミリシアの主張は従来の白人極右と同じ白人至上主義で、連邦政府と国連を敵対視している。特に彼らは「アメリカ合衆国憲法修正第2条はいかなる銃器の保持を保障している」と強力に主張している。(4)
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合衆国憲法修正第2条は「規律ある民兵(ミリシア)は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持し、また武装する権利は、これを侵してはならない」と定めている。 |
マクベイの裁判で検察側は1993年4月にテキサス州で起きた「ウェーコ事件」(FBIがカルト集団「ブランチ・デビディアン」に強行突入して、約90人が焼死した事件)の報復のため、マクベイはビル爆破を計画したと主張した。彼はまさにちょうどその2年後にオクラホマシティーのビルを爆破した。また、彼は「憲法違反である」連邦政府の銃規制(ガン・コントロール)にも強く反対してきた。
クリントン時代に急速に進んだ銃規制政策や少数民族への優遇処置が白人中間層の反感を増幅させ、それをすくいあげて勢力を伸ばしてきた民間武装組織、ミリシア。(5)
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ミリシアをはじめ、極右団体はローカル放送のトークショー、「トーク・レディオ」の番組を舞台にプロパガンダと交流を図ってきた。オリバー・ストーン監督の映画『トーク・レディオ』(1988年)が描いているその世界だ。 |
アメリカの極右は、五大湖沿岸、オハイオ、ミズーリ両川流域のハートランドから生まれる。アメリカの穀倉地帯の小さな町。そこにある農場の納屋の暗闇や酒場のざわめきからパラノイアが生まれる。(6)ある晩の微かな不満の渦が、日が明けると大きな政治的な竜巻となって、ワシントンを脅かす。そして、同時に何人ものマクベイのようなテロリストたちが動きだす。
(6) |
「小さな町から生まれる狂気」村山恒夫、『彷書月刊』1993年7月号 |
<参考URL>
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