vol.9
2つの事件と206本目の映画(続) [2001/06/13]
村山英治には歴史小説『大草原の夢』という著作がある。副題が「近代信濃の物語」となっているように、幕末から、太平洋戦争敗戦までの近代信濃の民衆の記録と自らの個人史を重ねあわせた長編である。著者は「あとがき」のなかで、二・四事件と満蒙開拓団の悲劇がこの小説のテーマだとして、つぎのように書いている。
「二つの話と目的は、別々のものだったが、二・四事件から信州教育を明治初年まで遡り、また事件の結末と、満蒙開拓団について調べてみると、二つは必ずしも無関係でないことが分かった。とくに二・四事件の結末と満蒙開拓団の悲劇は重なってくる。小学校教員の左翼運動がはげしい弾圧に遭って壊滅し(二・四事件)、間もなく昭和十年代に入ると、軍部は政府と結んで「興亜教育」を全国的に始めた。興亜教育というのは“八絋一宇の精神にもとづき日本を中心に日満中を堅く結び大東亜共栄圏、東亜新秩序を建設するための教育をしよう”という官製の教育運動で、長野県はとくにさかんだった。(1)
昭和十六年に、松本市で興亜教育大会が開かれると、全県下から三千人の教師が参加し、第二会場を設けるほどの盛況だったという。学校では、教師は教え子を熱心に『満蒙開拓青少年義勇軍』に送り出した。長く養蚕・製糸の不況のどん底にあえいできた長野県は、満蒙開拓団ばかりでなく青少年義勇軍の送出でも日本一になった。教師自身も在満国民学校の教員となり、あるいは青少年義勇軍の中隊長となって行った。そして最後は逃避行の難民と行動を共にし、多くは非業の死を遂げている。こうして二・四事件と満蒙開拓団の悲劇は、私の心の中でひと繋がりの大きな社会的なドラマになった。」
1981年から中国残留孤児の肉親探しの来日が始まったとき、(2)彼はどんな気持で孤児たちを見たのだろうか。孤児たちの関係者に、満蒙開拓に一番熱心だった長野出身者が多いのは当然だ。戦後40年近くたって、歴史がわれわれに突きつけたスティグマ。それも大きく成長して、いきなり目の前に現われた。たしかにこの時、彼の心のなかで小さな火が点いた。沈殿していた記憶がゆっくりと剥がれはじめ、水煙となって立ちのぼってきた。
二・四事件の結末が彼らの悲劇を生んだと。教師を辞めざるをえなかった自分、なにも出来なかった自分に、おおきな無力感をおぼえたに違いない。しかしどうしても、人間に希望を見つけたかった。彼の二・四事件の見直しと満蒙開拓団(3)の調査は、この時から始まった。事件以後沈黙をつづけている元の仲間にも連絡を取りはじめ、長野各地に頻繁に取材にでかける。そして、5年の時間をかけて、とうとう『大草原の夢』は1986年に出版された。
二・四事件でついえた信州の自由教育の精神が、遠く満洲の遙か彼方の原野の国民学校でよみがえる。彼の地でもう一度その自由教育を実現しようとした教師たちがいたという、小さな事実の発見。これをふくらまして、大河小説にしたかった。最後は映画にしたかったのではないだろうか。そのシナリオを書いていたのではないだろうか。そうでもしなかったら、かれら残留孤児の悲劇は救われない、いや二・四事件の犠牲者もそしていま生きている我々すべてがとうてい救われないと、考えたのではないだろうか。
彼は最後まで『大草原の夢』の手入れをやめなかった。初版本は付箋と朱であふれ、メモが貼られて大きくふらんでいた。映画作家として、膨大な資料集めをしながら、最後にはそれをほとんど削ぎ落とし、短編映画のシナリオにする仕事を終生してきた彼にも、二・四事件と満蒙開拓団の悲劇をつなげる美しい「物語」を作り上げることは、むずかしかった。
ノンフィクションにするには、あまりにも生々しすぎ、フィクションにするには、あまりにも虚構すぎる。それにもかかわらず、二・四事件と満蒙開拓を生き抜いた人間群像を描く、206本目の映画の製作を、最後まで夢みていたのだろう。
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その後、つぎのような本も出ている。『満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会』(長野県歴史教育者協議会編、2000年、大月書店)
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旧厚生省による中国残留孤児の身元捜しは、長野県下伊那郡阿智村の住職、山本慈昭によって1973年につくられた「日中友好手をつなぐ会」から始まる。山本は1945年(昭和20年)5月の最後の満蒙開拓国に教員として参加、終戦後、一人の娘を中国人に預けて帰国している。
あ |
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満洲国の成立は1932年3月。同年10月には第1次の移民が始まっている。
あ |
参考URL:「満蒙開拓団と長野県」http://web9.freecom.ne.jp/~amana/forum/ikeda.html
講演者の池田浩士は京大教授。プロレタリア文化運動、ファシズム社会・芸術の批判的検討をしている。近年は旧植民地(外地)での海外進出文学について研究。90年代初めより、長野県下伊那地方で、満蒙開拓団の旧農民への聞き書きをつづけている。
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