vol.3

再版、復刊、新版、増補新版 [2001/05/15]

田仲のよさんの『海女たちの四季』と遠藤ケイさんの『こども遊び大全』を復刊した。目録をみると前書は1982年、後書は91年が初版となっている。

のよさんの本がどの様に誕生したかは、編者の加藤雅毅さんがこの本のあとがきで触れているので、ここでは省略するが、初出の掲載雑誌『記録』の社主の庄幸司郎さんも、のよさん、加藤さんも亡くなった。初版は活版印刷。今回はこれを刷り本から撮影し、本文にある写真は未亡人の加藤久子さんから元写真をかり、紙焼きをとって差し替えた。写真はずっとよくなった。これに児玉房子さんの撮影ののよさんの写真を口絵にいれ、装丁は三栄町の巨匠、狭山トオルさんに田村義也風の味付けで改装してもらった。巻末に加えた、加藤さんによるのよさんへの弔辞はすごくいい。雨模様の告別式、お宅から墓地まで町のなかを一同葬送して歩いたことを思い出す。

初版刊行のとき、加藤さんはこれは絶対、網野善彦さんに読んでもらおうといいだした。いままで、水際の浜辺まで下りていった民俗学者はいたけど、水中にまで潜っていった学者はいない、網野さんはよろこんでくれる、と。吉祥寺の井の頭線のガード下の飲み屋であい、ゲラをわたしてお願いした。そのときいただいた帯の推薦文を今回の復刊でも再度掲載のお許しをえた。初版本が出てから網野さんは雑誌『列島の文化史』やほかで、いい本だ、大事な本だと援護宣伝してくれた。昨年大いに売れた『「日本」とは何か』でも、ふたたび何行かをさいて、「太平洋・日本海を移動する海民」を考える本として、本書を紹介していただいた。

この本からもう一冊の海女の本が誕生している。『海女たちの四季』の朝鮮人海女の章を読んだ在日の若い二人の女性が、加藤さんに連絡をとり、のよさんを訪ね、地元の朝鮮人海女(チャムス)を訪ね歩いたのが、1988年に刊行した『海を渡った朝鮮人海女』である。私のボロ車で彼女たちは房総半島にでかけていった。この本は1998年度の第8回山川菊栄賞を受賞した。

遠藤ケイさんの本はすべて手書きという、すざましい奇書である。どうせ手書きならと、ノンブル(ページ)から奥付まで何から何まで手書きにしようと相談した。さすがにスリップ(売上カード)だけはやめた。

この本は前史がある。最初は「男の子編」が今の手書きで「父と子をつなぐワンパク遊び」と題して、「女の子編」は活字で「母と子をむすぶなつかしい遊び」と題して、それぞれ1981年、82年に大和書房から出版されていた。これが絶版になっていたのを、女の子編も手書きにして、オール手書きの大册にしようと、遠藤さんに頼んだ。できあがった本はかなり好評で版も重ねていたが、講談社から文庫にしたいという申し入れがあり、「文庫に入った本は墓場入りと言われていますよ。つぎに絶版になったら、それこそ二度と生き返らない」などと遠藤さんを脅して?みたが、最終的には了承。丸ごと見事に複写されて、「誰もがもう一度やってみたい こども遊び大全」となって、1997年12月にでた。この文庫が2000年の年末に正式に絶版になり、ではもういちど、復刊するかということになったのである。文庫版は、わずか3年のいのちだった。

この話、ある編集者にはなしたら、まるでゾンビ本ですねという。うまいことを言う人だ。しかし、我々はゾンビ本でも、大事に扱う。お墓から実家に戻ってきた娘や息子にどうして冷めたくできようか。ほんとうに、本の運命はどうなるのか、わからない。


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