vol.5
あいつが本を殺した[2001/05/27]
いま出版界で、いつも話題になる本、佐野眞一の『だれが「本」を殺すのか』。確かに出版界にいるものでも、感心して読んでしまう。どれもこれもみんな知っていることなんだけれども、ともかく川上から川中、川下までまるでラフティングしながら、はとバスならぬ本屋業界見学イカダに乗り込んで、次から次へとツアーして業界語り部に会いながら、本殺し犯人を探しまわる醍醐味。
著者佐野のフットワークはここでも軽い。お金もふんだんにかけている。秋田から沖縄そして九州へと、東へ西へ南へ。そういえば、『東電OL殺人事件』でも、いきなりわれわれをネパールの片田舎の悪路にひっぱり込んでいく。
ガサツな本だ、飲み屋で話したこと、聞いたことを、確かめもせずなんでも書いている、などと悪口も聞こえるが、でも楽しんだ。まだまだみんな結構余裕を持ってやっているんだ、この出版を。イモズル式に話を繋いでいく本書でも、なぜこのテーマをやらないかと不思議に思うことがある。それは、近代文芸社、文芸社、新風舎に代表される自費出版のビッグウェーブである。「あなたの原稿を本にしませんか」をキャッチフレーズに、毎月すさまじい数の本が出版される。某社はついに講談社の出版点数を上回ったと豪語しているという。
佐野が良書の衰退と本の質の低下を問題にするならば、なぜ自費出版の世界を問題にしないのだろう。確かに自費出版の本を扱う本屋は少ない。しかし、一見一般書とみまちがうほどの立派な造本をした本が、見本程度であるが、取次から配本され、国会図書館にまで収められる。今年の東京国際ブックフェアの会場で一際目立ったのは自費出版専業B社の巨大なブース。キラキラした美本が壁を占拠していた。本にしていい原稿と、手を入れなければダメなもの、あるいは内容的には本にならない原稿もある。それを判断するのは編集者。自分で作って回りにくばる自費出版は、むかしからあった。それはそれでいい。
今は、それを商売にして、一度相談にきた「著者」には、まるでストーカーまがいに電話をかけつづけ、おとしてお客にしていく会社もあるという。先日旧知の編集者に会ったら、いまや自費出版の世界は、フリー編集者の吹き溜まりだという。不景気でリストラの大嵐のこの業界で、唯一活気があるのだろう。でも、まちがいなく、本質的な意味で、自費出版業は本を殺す有力なプレーヤーの一つだ。
あるとき、出版の業界紙の方から、いま一番注目している出版社はどこですか、と聞かれた。そのとき、回答したのは、世織書房、太田出版、そして、こぶし書房である。ここではこぶし書房のことを紹介しよう。ご存じのように、こぶし書房は黒田寛一の出版社である。いや、黒寛が社長なのか、この会社が株式会社なのか、それもはっきり知らない、そんなことはどうでもいい。
このこぶし書房のここ10年ぐらいの仕事がすごい。務台理作著作集、高島善哉著作集、舩山信一著作集、そしてこぶし文庫第一期29冊、戦後思想の原点ともいうべき著作を次々と刊行している。営業的にどうなっているかは分からない。しかし、このラインナップは信じられないレベルで進められている。解説者や編集委員の人選も党派性をはるかにこえている。
小宮山量平語る/聞き手 鈴木正、渡辺雅男の『戦後精神の行くえ』もほんとうにいい本だ。毎日出版文化賞の選考委員の目はいったいどうなっているんだろう。でもこぶしの連中にはそんな賞はクソくらえかもしれない。そして、こぶし文庫の月報『場』も中身は充実している。No.18は“高山岩男著『世界史の哲学』特集”で、いいだもも、栗原幸夫らが原稿を寄せている。
世織書房、太田出版については説明することはないだろう。太田出版からは2001年の1月、『知恵蔵裁判全記録』が出た。鈴木一誌によるこの記録に打ちのめされて、私は今も立ちあがれない。出版人必読必見の本である。
「書庫:『知恵蔵』裁判を考える」を参照。
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