(21)QT
[2018/3/2]

 1月20日の夜、郷里(福岡県久留米市)の幼なじみKさんが亡くなった。「さきほど、1時間前に母が旅立ちました」という電話を、娘さんから受けた。ああ、間に合わなかった、とがっくりきた。

 亡くなる数日前に、緩和ケア病棟に移りました、という連絡を受けていたばかりだった。2月6日に、最後の授業を終わらせたら、翌日にでもお見舞いに行こうと思っていた矢先のことだった。残念で無念だった。がんの再々発ということだった。

 授業が終わったらすぐにでも、と願っていたが、めずらしく風邪気味となり、結局出発を1週間ばかり遅らせて、久留米に着いた。翌日、友人のMさんとふたりで、Kさんのご自宅を訪ね、お参りした。

 ひとり残されたご主人が迎えてくださり、三人でさまざまな思い出話をした。Kさんとわたしは、小学校、中学校が同じだった。小学校6年生に上がる少し前のこと、彼女がいっしょに英語を習いにいかないか、と誘ってくれた。思えば、そう、それがわたしと英語との長い付き合いのスタートだった。きっかけを作ってくれたのは、彼女だったのだ。

 久留米に帰るたび、Kさんは快くわたしを受け入れ、日帰り温泉やおいしいレストラン、それから、大分県にまるごと山を買ってしまった知り合いがいて、てっぺんに自ら建てた山小屋があるので、そこを訪ねよう、と気軽に車で案内してくれた。料理上手で、季節の野菜を取り入れたおいしい品々を、手際よく、ぱっぱっとこしらえてくれた。

 春先になると、きまってツクシ採りに出かけた。彼女はそれを砂糖漬けにするのが、得意だった。野の草花が大好きで、亡くなった後、車の中に小さなトートバッグが見つかり、ご主人が中身を見てみると、日本野草図鑑が1冊、園芸用ハサミ、根っこを掘り起こすための小ぶりのスコップ、ビニール袋などが入っていたそうだ。わが家のゲンノショウコの種を送ってくれたのも、彼女だった。もう10年以上前のことだ。

 あるとき、Kさんは女友達と阿蘇山のあたりに、ドライブに出かけた。目的は、100円野菜を買うためよ、とご主人に告げたそうだ。ところが、なんとふたりは、150万円で別荘地を購入していたのだ。それぞれのご亭主には内緒のまま、ふたりはそこに真っ赤な中古のキャンピングカーを置き、デッキとトイレを作ってもらい、りっぱな別荘を用意した。すべての準備が終わったところで、ふたりの亭主にサプライズのお披露目をした。そして、3月のまだまだ寒い日、そこに最初に泊まったゲストは、わたしだった。

 翌日、Kさんのお参りに同席してくれたMさんが、お茶会に招いてくれた。Mさんとわたしは、中学校と大学が同じ。もうひとり、大学の同窓生Rさんも加わる。Mさんの仕事場である篠山城址にしつらえられたお茶室、古城庵で、三人だけのお茶会だ。まずは、おいしい和食のお弁当をいただく。食べ終わったころに、しゅんしゅんと茶釜の中のお湯が沸く。お濃茶、お薄とたっぷりいただき、さまざま1年ぶりの再会に話題は尽きない。

 終わり近く、お茶席のご亭主Mさんが、昨年秋に亡くなられたお母様の遺影をもって入ってこられた。わたしたち三人の共通の友人であったKさん(彼女もしばしば、わたしたちの小さなお茶会に加わった)と、わたしたちを大学時代から暖かく見守ってくださったMさんのお母様をしのび、ご供養のお茶をたててくれるという。

 亡き人をしのび、お茶をたてるという、これまで経験したことのない静かで美しい儀式だった。お母様は神式、Kさんは仏式ということで、それぞれ異なる色の天目茶碗を使う。前者はこげ茶、後者には白の茶碗が、天目台にのせられ、うやうやしく床の間にささげられた。それらに深くお辞儀をすると、こちらのざわついていた気持ちが、すっと静まるように感じられた。お茶の所作というのは、本当に奥が深い。

 今回は、久留米からさらに南下して、宮崎まで足をのばすことにした。九州生まれの九州育ちにしては、宮崎訪問は、これでやっと2度目。息子夫婦が宮崎に越して、ほぼ1年になる。久留米からは、高速バスに乗った。これも初体験。4時間の道のりだ。でも、ちっとも苦に思えない。飛行機の4時間と異なり、地上を走るバスの中からは、外の風景が近くに迫り、サービスエリアでの休憩も2回あり、手足を伸ばすこともできるからだろうか。5分遅れで、終点宮崎駅に着くと、息子が車で迎えにきていた。

 半年を迎えた孫との再会は、ほぼ5か月ぶり。最近、人見知りをするようになったと聞いたが、わたしとの対面は、なぜかうまくいった。幸い孫のYちゃんは、よく笑う。まだことばは発しないが、いかにも何かを訴えたげに、両手をひろげながら、あーうーを繰り返す。表情豊かな女の子だ、とは身びいきだろうか。短時間の滞在だったが、だっこしたり、ミルクを飲ませたり、おむつを替えたり、孫との時間は、送られてくる写真や動画と違って、まことに密度の濃いクォリティー・タイム(QT)だった。

 久留米と宮崎の今回の旅は、8泊9日。ちょっとした海外旅行なみの期間にも匹敵した。一日いちにちが、わたしにとっては、クォリティー・タイムだった気がする。Kさんとのお別れも、小さなお茶会も、孫とのふれあいの時間も。

 人生は旅ともいう。それなら、残された時間、うんとクォリティー・タイムの連続にしたい。


天目茶で亡き人をしのぶ