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新しいこと

[2005/5/30]

笠井逸子
 5月だというのに、予測のつかない天候がつづきます。このところ東京の日照時間は、例年に比べ極端に少ないとも聞いていますが、夏のような陽気があるかと思えば、翌日には風が吹き、雷鳴とどろき、あげくにひょうまで降ってくるといった具合。八王子近辺にいたきょう(金曜)の夕方、空は妙に明るく、ひょっとしたらゴージャスな週末になるのかもしれないと期待させるような空気でした。

 1週間の仕事を終え、さあ待ちに待ったウィークエンドが来るぞ、といったほどの胸の高まりはありませんが、わりに気持ちが軽かったのは、午後の授業がうまくいったせいだったかもしれません。あいかわらず、大学の非常勤講師として英語を教えています。学生が元気に(居眠りすることなく)明るくわたしの英語の授業に参加してくれ、新しい経験をしたと感じ、そしてなにがしか学んだと思ってくれればしめたもの。今回はこういう風に授業を進めてみよう、こんなことあんなこと工夫してみようなどと頭をひねって授業にのぞんでも、なかなかこちらの思惑どおりにはいきません。試行錯誤の連続です。

 メインの仕事はこんな具合ですが、春から新しいことを2,3始めました。まずは、おとなの女性たちに英語を教え始めたこと。以前から、ある年配の女性から英語の本を読みたいので、つきあってくれないかと依頼されていました。そのうちそのうちと中途半端な返事をしていたのですが、これも何かの縁と思い切って受けることにしました。1月のはじめに、西荻窪駅近辺で引き合わせてもらい、以来月平均3回程度いっしょに英語の原書を読んでいます。これが非常に楽しい。

 昨今、大学では英語の講読というとなぜか忌み嫌われているふしがあります。旧態依然の訳読というやり方は、それこそ毒にこそなれ、実社会に出てあまり役にたたない日本独特の非能率的語学習得法だと非難されているのです。本当にそうでしょうか。精読というのは、やはり英語を読むことの基礎勉強にとって、重要不可欠のトレーニングだと思うのですが。その美しく知的好奇心に満ちた、わたしの個人レッスンを受ける生徒さんは、ひとつひとつの英語の文章、ことば、構文、文学的比喩などをもらさず自分のものにしようと、いつも熱心に予習をおこたりません。静かな地下の喫茶店のコーナーに陣取った個人教師と生徒は、低い声で英語を口に出して読み、日本語の意味を確認しながら、なぜか心から笑みがこぼれ、学び教える新鮮な喜びにわくわくします。現在3冊目のノンフィクションに挑戦中です。

 同時期、月2回阿佐ヶ谷の幼稚園で開かれる絵の教室の生徒さん(わたしも生徒のひとりですが)と先生から、やはり英会話を始めたいという要望がありました。こうなったら、これもやってみようと、おもいきって発車してみました。これがまた楽しい。大学で教えるのと違って、なんともユーモラス。教師も実にリラックスでき、教えているなどという義務感など微塵も感じません。現在生徒は4人、全員が長い間英語と離れていたという女性たちばかり。わたしが毎回用意していく1ページの英語の資料を見て、「こんな風に英語を読んだり口に出したりするのは、学生時代以来はじめて」とひとりの生徒さんの感想。「cozyというのは、“居心地のいい”という意味で、ほらCozy Cornerという喫茶店があるでしょう」とわたし。「えーっ、コージーって、そんなことだったの。てっきりコージさんという人の喫茶店だと思い込んでたー」笑いのネタはつきません。

 ずい分前になりますが、イギリス映画『モーリス』を見たとき、こんなシーンがありました。ケンブリッジだかオックスフォードだかの大学で勉強中の主人公が、ラテン語の授業を受けています。学生5,6名が、教授室のソファに足を組んで腰掛けている、少人数の語学レッスン風景です。もちろん講読の時間で、訳読方式で授業は進められていきます。パラグラフのひとつぐらいでしょうか、順番に生徒はラテン語を読み、英語の訳をつけていきます。ときおり先生は誤りを訂正し、説明を加えていきます。そのときの教授の顔に、教えることを楽しむ笑顔が浮かんでいました。西荻の喫茶店における風景は、わたしになぜかこのシーンを思い起こさせ、一層満ち足りた気持ちにさせてくれます。

 一方、阿佐ヶ谷での愉快な英会話教室の風景は、何と説明すればいいのか。阿佐ヶ谷ティー・パーティでしょうか。駅の南側に伸びるけやき通りに面した、とある2階のしゃれた喫茶店を借り切って(実はオーナーのMさんが、いつの間にか、おかしな英会話グループのメンバーに加わってくださり、その時間貸切状態を提供してくれているのです)繰り広げられる、おとなの女たちだけの隠れ家コーヒー・ブレークとも、表現できるかもしれません。どちらのレッスンも、わたしを元気にさせてくれていることは確かなようです。
いちご摘み

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああああああ