笠井逸子 |
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1週間前、大学での年内授業が終了しました。すでに期末試験を実施してしまったコースもあるくらいに、最近の大学における後期は、早く終わる傾向にあります。1学期の授業数は、大体どこも同じだと思いますが、平均すると13週から14週といったところ。
最近わが国の大学でも、セメスタ(学期)制を導入する学校も多く、特に英語など語学コースは、週1回の授業を13‐14回続け、最終時間を試験にあて、短期間毎にまとまった勉強を消化していく傾向にあります。日本の場合、ご存知のように、1時間の授業時間は90分ですから、週1回とはいえ中身は濃く、学ぶ者は集中すれば、13‐14週間のコースでも、かなり習熟度が期待できます。
学生の能力低下が話題になって久しいが、現場にいる英語教師のはしくれであるわたしの目にも、英語に関してですが、残念ながら正しい観察だといえます。でも、きょうは、英語の基礎力などについてではなく、2004年後期の授業で、わたしが最も印象深く感じたできごとのひとつにふれたいと思います。
わたしが担当するある英語の授業を、大学1年生の男子学生Aが受けていました。もっとも彼は、最初の授業をつづけて2‐3回欠席していたので、退学か休学中の学生だとうけとめていました。こういうことは最近よくあるので、大学事務局からそのうちに連絡が入るだろうと気にもとめていませんでした。ところが、4回目の授業あたりから、出席しはじめたのです。ああ、よかったな、とわたしもひと安心。「とにかく、もう休まないで、残った授業にはまじめに出るように」と注意を与えました。
「はい」とA君から素直な返事がかえってきました。なぜこれまで欠席だったのか、あまり納得のいく理由は聞かれませんでしたが、わたしも深くは追求しません。出たくない事情もあったのだろうし、これからしっかりついてきてくれれば、それでよしとしようと判断しました。
この授業では、ウォームアップの意味をこめて、毎回ひとりひとりが「今日の英単語」を、ひとつもってくることに決めていました。Weather(天候)やHealth(健康)など、毎回テーマを与えて、さがしだしてきてもらうこともありました。わたしが教室にあらわれる頃、学生たちはワイワイいいながら、電子辞書やパソコン内蔵の辞書などを参考に、黒板に自分の選んだ単語をつづっているというしかけです。
A君もがんばっていました。書き終わると、わたしのところにやってきて報告をします。「先生、きょうの単語、ちょっと発音できないんですけどね」「発音もちゃんと調べてきてほしいな」とわたし。やがて、A君は、授業のはじめと終わり、ときには授業の途中でも、わたしのところにわざわざやってきて、なにか話かける癖のあることがわかってきました。
ある午後、授業が終わると、例によってさっそくやってきました。写真を見せてくれます。「これ、実は先週から持ってきていたんだけどね。うちのネコ。かわいいでしょ、先生」ウン?!ちょっと待てよ、A君は大学生だよね。それに成人式はすでに終えたといっていたので、浪人経験があるらしい。ということは、他の学生よりも年上。
気になって、それとなく授業中の態度を観察してみると、よく寝る。あくびもする。そんなことは、もちろん慣れっこの風景。特に昼食直後のクラスでは、無理もないこと。しかし、6人ほどかたまって囲んだ同じテーブルのクラスメートたちと、ほとんど話しができないことも判明しました。ふたり・3人と組んで、ある問題に取組むこともあるので、せめて隣の女子学生や目の前の男子学生と最低限のコミュニケーションを取ってほしいと願うのですが、A君は孤立しています。わからないことがあると、即「センセイ」(つまりわたしですが)にたずねる構図が生まれるらしいこともわかりました。これって、ちょっと問題だなと感じましたが、残念ながら、わたしには短期間に解決できる能力も資格もありません。
授業の半分は、パソコンに向かう時間を取りました。それぞれノートパソコン持参ですから、英語の検索エンジンを使って英文を読み、求められた答えを用紙に英語で書き込むという作業を繰り返すのです。英語だけのウェブサイトを読むことは、大学1年生にとって、容易なことではありませんが、続けていくうちに、どこを重点的に読めばいいか、どの程度辞書をひけば内容を理解できるかなど、だんだんと慣れ、この作業を興味深いと思う学生が増えていきます。しかし、A君は違っていました。
最後の授業も近づいたある日、授業の途中、わたしのところにやってきたA君が、こう言ったのです。「センセイ、ぼく、まだインターネット検索のしかたが、いまいちわからないんだけど」ウーン、まいった。「同じテーブルの仲間の学生に聞いてごらん」同年代の仲間に話しかけ、仲間同士教えあう。その方が、時間はかかるかもしれないが、A君のためだと思ったのです。
もうひとつ別のクラスにも、孤立した男子学生Bがいました。英語の得意なB君も、ちょっと変わっているな、と初対面のクラスで感じました。ときどきマスクをかけてきます。かと思うと、熱さまし用の粘着テープをおでこに貼っています。「あら、かぜ?」ときくと、「いえ、暑いので」とのこと。いつも大荷物を両肩にぶらさげて教室にあらわれる、愛嬌のある学生です。
こちらのクラスは英作文の授業なので、ウォームアップは英語の文をひとつ、それぞれ授業のはじめに黒板に書いておくという課題にしました。B君は、たいてい一番に書いてくれます。全員が書いたところで、書いた本人に英文を読んでもらい、教師が添削を試みるといった作業をやってみました。B君は、書いてしまうとそれっきり自分の書いた英文に興味を失うらしく、机につっぷして寝たり、どこかあらぬ方向に眼がさまよっている顔つきをしていることがよくありました。それでも、与えられたテーマの英作文をきちんとこなすので、こちらとしては、文句のつけようはありません。
ただ、ペアワーク、グループワークといったコミュニケーションを必要とする作業になると、B君はなかなかうまく溶け込めない様子。ふたりか3人が1組になり、英語でストーリを作ることになったとき、B君はかなりとまどったようです。幸い、最後に残ったふたりの女子学生のなかに、無理やり押し込むことに成功、なんとか3人の共同作業をこなし、発表も無事すませることができました。
B君が授業中に一番話し掛けることの多かった人間も、おそらくこのわたしだったと思います。A君とは異質ですが、B君もわたしのようなおばさん教師に、親しみを抱くようでした。おそらく、安心感があるのでしょう。クラスメートと群れている姿を目にすることは、ほとんどありませんでした。わたしは、A君・B君にとって、母親代わりだったのか。それとも年上の仲間だったのか。短期間のことですから、わたし個人の経験しか書けないのですが、他の同年輩の女性教師たちに話すと、「わかる、わかる。最近そういう学生が、クラスにひとりかふたりはいるみたい。わたしたちって、そんなに気安く話のできる存在なのかしらね」といぶかる風です。
以前には見られなかったこんな大学風景、わたしには少しさびしく、哀しく感じられてしまいます。同じ年代の仲間と親しめない孤立する若者が大学にいる。その数は、確実に増えている。今の大学で友だちをつくるのは、そんなにむずかしいことなのでしょうか。
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*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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