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グループ展

[2004/9/16]

笠井逸子
 なんの説明もなく突然、前回のコラムから、文のなかに割り込む形で、わたしのつたない絵が登場するようになりました。昨年1月からはじめた、絵のレッスンの成果です。6月24日から7月6日の2週間にわたり、阿佐ヶ谷にある画廊喫茶コブにて、はじめてのグループ展(「描く愉しみ展」)が開かれました。

 生徒4人だけの本当に小さな教室ですが、月2回幼稚園の教室を借りて、習作を重ねてきました。こんなに早く発表の場をもつなんて、夢にも思っていなかったのですが、急にキャンセルが出たらしく、「思い切って」と先生に勧められ(おだてられ)、おばさん生徒たちは、たちまちその気になりました。

 展覧会には、7点の作品を出品することができました。ただし、スペースの関係で、いっぺんに全作品を並べることは不可能となり、第2週目に、3点を取り替えての展示となりました。前回のコラムから、文の内容にはさして関係ないのですが、イラストのつもりで、1点ずつ載せてもらうことになりました。

 展覧会が終わったあと、少々疲れも出て、教室は夏休みにはいりました。9月から再開したばかり。第1期では、主に花・くだもの・野菜・魚といった題材をとりあげましたが、これからは人物を短時間で描くクロッキーの練習や風景画にも、挑戦しようということになっています。

 そもそも絵を描くことは、小さい頃から大好きでした。音楽の方は、どちらかというと苦手で、楽器を習っても長つづきせず、歌も音程が狂いっぱなしの音コンプレックス子供でした。音の高低、リズム、長短など、センスがないのです。耳が発達していないのでしょう。でも、不思議なことに、英語に関しては、アクセントもイントネーションもわりに敏感な方で、それにひきかえ日本語の微妙なアクセントがいまだに識別できないでいるのは、なぜなのか。言語学的・第二言語習得学的に、どういう経過をたどったものか、いつか専門家の意見をきいてみたいと思っているほどです。

 高校生の頃は、本気で美術に進みたいと、デッサンを習いに通ったこともありました。油絵も少しはかじりかけていました。それが、今思えばまるでつまらないことでつまずいてしまい、絵画やデザインの方向が遠のきました。クラスメートが冗談で、あるとき、こんなことを言いました。「大木(わたしの旧姓です)の絵は、まだまだだな。って、先生言ってたよ」わたしは、その言葉をすっかりうのみにしてしまい、自信を失い、絵を諦めてしまいました。親の反対もあったので、諦める口実にしただけだったかもしれませんが、まるでモーパッサンの短編『首飾り』みたいな話です。

 グループ展には、いろんな友人・知人たちが、かけつけてくれました。こんな素人集団の絵を見にきてくださるなんて、ありがたいことでした。4人ともに、明るく、くったくのない、のびやかな絵であったことだけは確か。そんな点が、案外喜ばれたのかもしれませんが、画廊主からは「来年もぜひ」と声がかかっているとか。

 最終日の夕方、さあこれから後片付けという頃、ひとりの若い女性が、ふらりと画廊に入ってきました。「あれっ、だれだろう」とちらと眺めていると、その女性がわたしの方に向かって挨拶をしてきました。「あの、笠井君のお母さんですか」そうか、息子のガールフレンドだ。初対面でした。息子と同じ大学を卒業後、東京の美術専門学校でデザインの勉強をしていることが判明しました。きらきら光り輝く大きな目と忘れられない笑顔のこぼれる女性でした。息子は照れなのか、見にはきてくれませんでしたが、身内がひとり増えたような、暖かい気持ちに満たされました。

 先週の土曜日、わたしたちの絵画教室は新学期を迎えました。4人のうちひとりの生徒は、欠席でしたが、先生を筆頭に順番にモデルをつとめ、人物画の早描き練習をしました。これまでなにげなく見ていた仲間の顔の形、体つき、髪形、手足の表情など、あらためてひとりひとりには個性というものが、それも内面から現れる個性があることを知りました。それらの豊かな個性を、短時間のうちに紙面にとらえることができるとおもしろいのですが。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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