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同窓会

[2004/8/30]

笠井逸子
 スーザンとは、30数年ぶりの再会でした。8月はじめ、東京で開催された大学院の同窓会。わたしたちは、ホノルルのハワイ大学に隣接して設立された、アメリカ国立教育研究機関であるイースト・ウェスト・センターの奨学生でした。アメリカ本土、アジア・太平洋諸国から集ってきた学生や学者たちが、1年から2年間、センターの寮に暮らしながら、ハワイ大学大学院で学ぶという生活を送っていました。4階建ての女子寮と12階建ての男子およびカップル用の寮は、マノアと呼ばれる降雨量の多い、したがって緑豊かな地区に建っていました。

 大学卒業直後の1970年、生まれてはじめて海外に出かけました。家を出て、ひとり暮らしをするのも、このときが初体験。わくわく胸おどると同時に、英語や勉強に対する不安もいっぱい抱えての出発でした。勉学の面では、いまひとつ才覚と情熱不足が原因となり、今もって大きな後悔を感じつづけているものの、なんとか修士号だけは取得してきました。

 スーザンは、わたしよりも年齢が上ばかりでなく、人生経験もすでに豊富なアメリカ女性でした。アイオワ州にあるデュモイという都市の出身。こげ茶色の髪の毛に透きとおったブルーアイズ。バイキングの子孫を思わせる彼女が選んだ分野は、パシフィック・アイランド・ヒストリー。

 70期生たち全員が世界各地からホノルルのセンターに集結したのは、忘れもしない6月3日。到着後ほどなく、わたしたちはバスに乗って、オアフ島の北部に位置するキャンプ・ハウラに出かけました。新入生とスタッフが親しくなり、アメリカの生活に慣れるようにと計画されたオリエンテーション・キャンプのスタートです。

 スーザンは、いつも赤・白・紺の配色の服を着ていました。パンツが紺色なら、トップは3色入った横縞といった具合。アメリカ人というのは、国旗みたいな色使いがお気に入りなんだと思ったものです。朝から晩まで、学生たちはキャビンで寝泊りしながら、ゲームや水泳、食事の手伝い、キャンプファイアーなどを通して、じょじょに打解けていきました。

 スーザンは、実はこのとき、すでに心ときめく秘密をもっていました。アイオワからハワイにやってくる飛行機の中で、隣り合わせに座った男性にひかれたというのです。わたしには、なんだか嘘みたいな話に聞こえたのですが、その後ふたりは電話や手紙のやりとりをひんぱんに続け、ついには本当に結婚してしまいました。それが、1971年の夏だったか。休学手続きを取ったあと彼女は、ジムとふたり、長い長い人生の旅に出ていきました。

 石油関係の仕事についていた夫とともに、アラスカ、グァム、サウジアラビア、イランを含む世界各地で生活しながら、ふたりの子どもを育て、初志貫徹。2年遅れの1974年、修士号も取得しました。2年前にテキサス州に永住予定で家を構えるまで、ふたりは32回の引っ越しを繰り返したといいます。(わたしたち夫婦の今の住まいが10軒目、なんて自慢は歯がたたないくらいの数)

「花束」2004年
 体つきは少々太めに、髪の毛はつややかな銀色になったものの、彼女の声と話し振りはちっとも変わりません。シャープなビジネスマンを思わせたジムも、おだやかに貫禄ある初老の男性に変わっていましたが、仲むつまじい夫婦として、30数年ぶりに東京に現れたふたりに出会えたのは、大きな喜びでした。

 30数年の年月を、この同窓会はいっぺんに消滅させてくれます。いつもなら同窓会というものに、あまりなじめないわたしですが、今回の再会には、不思議な密度の濃さがありました。2年間、同じ場所で寝食をともにしながら、喜びや驚き、悲しさや寂しさなどを共有してきた体験のせいかもしれません。

 70年代初頭という、世界的に特殊な高揚の時期に、小さな島の狭いコミュニティの中で、わたしたちはいい時を過ごした、と懐かしさと感謝の気持ちでいっぱいになりました。若かったわたしにはわからなかった奨学金の提供者(アメリカ政府ですが)、さまざまなイベントやプログラムを企画してくれたスタッフやコミュニティのボランティアの人たち。20年近くにわたって、日本の大学生に英語を教えつづけていることで、恩返しをしていると思ってもらうぐらいしか還元できていないわたしですが、他では味わえない経験と思い出を与えてくれた関係者に、今すなおにありがとうを伝えたい気持ちになっています。

 それにしても、変わらない同級生たちでした。会う人会う人、ちっとも変わっていないのです。そりゃ、少しは体重も増えたし、髪の毛が白くなったり薄くなったりはしているものの、だれひとり、肥満というほどの人はいません。だれもたばこを吸いません。みな、穏やかな顔つきで、国の違いや文化の違いに戸惑うことなく、むしろそれらを楽しみながら、互いの名前を思い出しては、昔と変わらない英語のアクセントのままに、自由に語り合っているのです。これって、何なんだろう。そういうジェネレーションなんだろうか。すっーと入り込めるだけの過去の共通点を持ち合っているせいなんだろうか。

 今度の集いでは、仲間の悲しい訃報も聞きました。まさかの離婚話も聞かされました。母国のクーデターに巻き込まれたカップルのエピソードも知りました。消息の途絶えた人たちもいます。2年後の同窓会は、ベトナムで開かれる予定だそう。元気でいる限り、なるべく出席しようと思っています。なんといっても、他に変えがたい青春ドラマのつづきを、もっともっと体験しておきたいのです。スーザンとジムを1日、東京の下町に案内したあと、わたしたちはさよならではなく、「アローハ」と言いあって、しばしの別れを告げました。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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