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春色

[2004/3/17]

笠井逸子

 3月はじめの九州は、雪でした。暖冬と思って油断したまま東京を発つ日、羽田空港にも忘れ雪。1週間の滞在中、晴れる日があるかと思うと突風とともに激しい雨が襲ったり、梅の花びらが散っているのかと眺めていると雪片が舞っていたりの荒れ模様続き。それでもやはりふるさとの空間は懐かしく、友人たちとの再会に心がおどり、これまで知らなかった新しい発見や経験に驚かされた旅になりました。

 今回のハイライトは、なんといってもMさんが催してくれたお茶事の1日。筑後川を見下ろす小高い丘に立つ有馬藩ゆかりの篠山城址は、子どものころから散歩道であり、花見の名所であり、美術の時間スケッチに出かけた思い出いっぱいの場所でした。中学、大学と同窓生だったMさんは、篠山神社代々の神主の家柄。ひとり娘の彼女は、中学生の頃から、どこか周囲とは違った古風で伝統を身にまとって生まれてきた由緒正しいお嬢様の雰囲気のある女性でした。

 そのMさんが、なにを思ったか突然着物を着始めたという、わたしの変身ぶりにいたく驚愕。ふるさと訪問の際には、ぜひともお茶会を開いてもてなしたい、と申し出てくれていたのです。わたしを含めて4人の女性が招かれました。時はおりからおひな祭り。女ばかりで楽しいひとときを、とMさんは完璧なお茶の会を計画してくれました。

 お茶の素養の全くないわたしにかわり、幼なじみのK子さんが正客役をつとめ、亭主役は薄紫色の着物姿も板についたMさん。あいさつの仕方、座り方、はしの使い方、食べものを盛った鉢の回し方、酒のたしなみ方にいたるまで、Mさんが懇切ていねいに、その場その場で教えてくれます。次から次に出される日本料理の材料から由来にいたるまで、Mさんの説明がつづきます。無知に近いわたしたちに向けられた、道具や茶碗、掛け軸、花器、炭の置き方、茶の点て方、味わい方にいたるまでのMさんの解説は、いやみもなく、押しつけがましくも、まして鼻にかけた物知り顔など微塵もなく、スローテンポに優しく流れていきました。

 L字形に敷かれた赤い毛氈の上に座って、ガラス戸の外に目をやると、筑後川が悠々と流れている様。ご飯を入れた黒いおひつも、冷酒も燗酒も、予想に反して、幾度となく回され、「どうぞ、もっとお食べください、もっとお飲みください」と亭主がすすめます。赤い塗りものの浅い盃でいただく冷酒の味は格別、と客全員が一致礼賛。アルコールに強くもないわたしまでが、漆器に注がれた透明の液体についつい手が出て、ほろ酔い加減。

 食事が終わる頃には、炭火もほどよく燃え、茶を点てるにふさわしい湯がわいているという寸法。春色をした和菓子と干菓子、ひなあられまでもカリカリと口に入れながら、お濃茶もお薄もたっぷりいただきました。「めったにない幸せな経験をさせていただきました」、「きょうは、最初から最後まで、まるで『家庭画報』の世界にいるようで」、「夢のような1日でした」、「次回は、わたしもぜひ着物を着るわ」といった感想を述べあい、Mさんと裏方を手伝ってくださった人々に感謝をしつつ、茶室をあとにしました。

 日本の綜合芸術、いってみればオペラの世界を体験(それも観るだけではなく、入り込んで、食べて飲んで参加させてもらえる体験)させてもらった翌日、K子さんとわたしは、隣の佐賀市に出かけました。目的は、一般公開中の鍋島藩主鍋島家に伝わる雛人形を見ること。絢爛豪華なしつらえの人形と道具類は、鍋島藩によって建てられたという歴史的な西洋館の中に飾られ、見物客で混み合っていました。近くには佐賀県庁の建物が、お堀の水に囲まれて静かに建っていました。周囲に特別に高いビルもなく、道路は広々と整備され、両側に並ぶ小さな商店の落ち着いた佇まいには、どこか品があって、懐かしい気分に包まれます。

 東京指向の根強いわがふるさと福岡県とは、根本的になにかが違うような気のする佐賀県。ああ、いいなー。カラスに似たカササギ(カチガラスともいう)が、畑に群れている佐賀平野の広がる豊かな自然と自給率100パーセントを誇る農業県でもある佐賀。あそこにいつか住んでみるのも、いいかな。県庁近くの神社では、春の骨董市がにぎやかに開かれていました。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああ
あああああああ