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ヒロキ君

[2004/2/15]

笠井逸子

 九州の幼なじみK子さんが、おばあちゃんになりました。長女のMちゃんに、昨年12月はじめ、男の子が誕生したのです。名前は、ヒロキ君。やや難産の末、実家のK子さんらに見守られながら、2900グラムで無事誕生。わたしは、なぜか勝手に女の子と思い込んでいたので、ちょっとびっくりでした。

 Mちゃんは短大卒業後、福岡市に勤務。多忙なOL生活を10年ばかり送り、仕事仲間の結婚披露宴の席で、だんな様と縁あって結ばれ、その後東京住まいとなりました。しばらくたってマンション購入、やがて妊娠、そしてママになったばかり。K子さんに付き添われて、親子がもどってくるというので、さっそくお祝いにかけつけました。

 新宿から埼京線に乗って10分ばかり、4つ目の赤羽駅で降りると、駅前広場にあるマクドナルド店まで、すっかり元の体型にもどったMちゃんが、白い車でわたしを迎えにきてくれました。荒川にかかる橋を渡るとそこは川口市。ぐぐぐっと坂道をのぼる感じで橋の入り口にさしかかると、眼前に川原と枯草色の土手の風景が広がりました。川沿いには、マンションが林立。東京のベッドタウン(これ、もう古い表現かな)なんですね。

 全部で200世帯ほどが入っているという大型マンションの11階が、Mちゃんファミリーの住まい。南側のリビング・ダイニング・ルームには、明るい太陽の日がさんさんと降り注ぎ、それに続く2メートル幅のベランダからは、遠く東京のビル群が望めます。空気が澄み切っていれば、目の前に常に富士山が見えるそうで、夜景もなかなかのもの。平坦な川辺は公園と公営ゴルフ場になっていて、3匹の犬を引き連れた人の姿も見えます。

 2ヶ月を過ぎたばかりのヒロキ君の体重は、はやくも5キロ。首もすわりかけ、両手でだきかかえ、膝の上に立たせると両足をピンピンと突っ張る感じで、今にも歩き出しそうな勢い。元気なのはいいのですが、なかなか寝てくれないのが目下の悩みの種。これまで実家で、さんざんかわいがられ、だっこだっこ続きのせいで、ベッドに置いたとたん、もっとだっこといわんばかりにぐずるのだそう。新米ママは、ゆりかごに置いては、かごを揺らし、おしゃぶりを吸わせ、と工夫を重ねてみるのですが、そうそう長くは寝てくれそうにありません。

 おばあちゃんが手伝ってくれている間はいいのですが、それもあと2-3日。K子さんが九州に戻る日が近づいてきました。もう甘えてもいられません。幼児をかかえた主婦の生活が始まろうとしている、それを思っただけでMちゃんの胃が痛むというのですから、なんとも頼りなげ。これからしばらくは、子育てと主婦業との格闘です。

 厚生労働省の統計によれば、2002年に生まれた子どもの数は、115万3866人。2003年の正確な数字はまだ発表されていないようですが、おそらくこれよりも少し下回っていることでしょう。第1次ベビーブーマーのわたしが生まれた年の出生数は、なんと270万ほど。息子が生まれた1980年、150万程度だったと記憶しています。1人の女性が一生に産む子どもの数は、合計特殊出生率と呼ばれ、2002年に1.32。ようするに日本の女性は、いまや1人しか子どもを産まないということ。もちろん全員がそうだというのではなく、全く産まない女性もいれば、3人産む女性もいるけれど、平均すると1.32ぐらい、つまり1人ということになるのでしょう。都道府県別に見ると、東京は最低で1.02。 限りなく1人に近いということか。

 心配げなMママには、さきほどから盛んに携帯メールが入る様子。「あっ、○○ちゃんからだ」そして、即座に返信。あちこちの友人ママたちと子育てや生活に関する情報交換やら近況報告が、とびかっているらしいのです。あっ、これって、いいなー。赤ちゃんとふたりきりの昼間の孤独な生活に陥ることなく、若いママたちは、メールのやりとりでちゃんとコミュニケーションをしている。困ったことがあれば、九州のおばあちゃんにも、さっそく携帯電話で連絡が入るのでしょう。大学で教えている最中、学生の携帯電話が鳴るたびイライラさせられるわたしですが、Mちゃんの携帯電話の着メロには、ほっとする安心感がありました。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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