(40)

誕生日

[2004/2/02]

笠井逸子

 この1月15日、小次郎は7歳の誕生日を迎えました。愛称コジは、わが家の秘蔵っ子。体重約27キロ、ボーダーコリーにしては、ちょっと太めのオス犬です。よくテレビのコマーシャルに登場する、フリズビーを追いかけて疾走する白黒のボーダーコリーとちがい、小次郎はほとんど全身真っ黒。突然変異ということのようです。パティちゃんという美しい白黒のママから、この日、4匹の子犬が生まれましたが、そのうちの3匹までが真っ黒でした。もっとも小次郎には、胸と足先にだけ白い毛がわずかに残りましたが。

 犬の7歳は、人間でいうと48歳にあたる、と近所の獣医ポッポ先生の病院でいただく薬の紙袋に印刷されていました。この犬と人間の年齢換算表によると、ワンちゃんは生後20日で早くも1歳、100日で5歳、1年たつとすでに18歳になっているとか。その後は、1年で5歳ずつ年をとっていく勘定で、7年目の今月、小次郎は48歳の中年犬になったということ。とすれば、もうまもなく、わたしとも年齢が逆転してしまう。悲しいような、痛ましいような、複雑な思いにとらわれます。

 小次郎がわが家にやってきたのは、生後3ヶ月弱のとき、まるまると太ったやんちゃな子犬でした。黒い毛は、まだそれほど長くはなく、もこもこと絡み合い、黒い子羊を思わせたほど。牧羊犬のせいか、1日に何度となく、突然走り出すことがありました。1階の部屋を、端から端まで、いっきに駆け抜けたかと思うと、目にもとまらぬ勢いでくるりと向きをかえ、今度は逆に走ってくるのです。最近ではさすがに落ち着いて、家のなかを走りまわることはありませんが、広い野原に連れ出すとやはり血が騒ぐのでしょう、ぐるぐると大きく円弧を描きながら、体全体を地面にこすりつけるような低姿勢を保ったまま、疾駆します。それはまるで、目に見えぬ羊の群れを追いかけているかのようでもあり、遠い祖先の勇壮な姿がのりうつったかにも見えて、ほれぼれとしてしまいます。

 家で留守番をしているとき、小次郎は一体なにをしているのでしょう。「ひとりになって、ほっとして、たいてい眠りこけてるんじゃない」なんて言う人もいますが、本当のところ、どうなんでしょう。四六時中、怪しい人物の侵入に備えて警戒している。なんてことは、まずないでしょう。やはり、ひと休みしているのかな。気が向けば、通りに面した出窓にすわって、道行く人や犬たちを眺めて時間つぶしをしている。ひがなのどかな時間が流れていくのかもしれません。この窓には、薄いベージュ色のレースのカーテンがかかっているのですが、小次郎は外の景色がよく見えるよう、鼻を使って2枚の布をこじ開けることを覚えました。

 夕方、最寄のバス停に着き、わが家への道を急ぐときになってようやくわたしは、「そうだ、もうすぐ、小次郎に会える」と思い出します。不思議と仕事中は愛犬のことは、考えることがありません。当然かもしれませんが。人間の家族には、ときとして思いがおよぶことはあっても、なぜか小次郎の存在は、うっかり忘れてしまっているのです。これって、薄情なのかしら。ところが夕闇の迫る頃、家路を急ぐ疲れた空気のなかでは、決まって小次郎が思い出されます。帰宅して一番に玄関で迎えてくれるのが、小次郎だからかもしれません。しっぽを大きく振って歓迎してくれる愛情いっぱいの小次郎が目に浮かび、自然とわたしも早足になっていきます。

 ここ数年来、1月末になると、さそってくださる仲間といっしょに、越谷にある神社詣でをすることに決めています。家族全員の無病息災を願って、祈願をしてもらうのです。しびれるように冷え切った神殿で頭を下げていると、張りのある声をした男性が、ゆっくりとしたテンポの祝詞をあげてくれます。家族全員の生年月日、住所と名前が読み上げられ、それぞれにかけた願い事もつづきます。「平成9年1月15日生まれーーー 同所なるーーー カサイ コジロウーーー」のところにくると、同じように寒さで縮み上がっている隣にすわった神社詣で仲間のSさんが、例年のことですが、くすっと忍び笑いをもらします。

 何の悩みごとがあるのやら、大きなため息をひとつつき、体を丸めて眠りに入ろうとする小次郎の寝姿を眺めているとき、わたしは平和な気分にさせられます。それからまた、何食わぬ顔をして、すたすたと歩いてきた小次郎と廊下ですれちがうとき、わたしはニヤニヤしてしまい、つい噴き出したくなるような、嬉しい豊かな気持ちにさせられます。小次郎、長生きしてね。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

にしおぎ暮らし・目次へ戻る


あああ
あああああああ