正月のおせち料理のひとつに、お煮しめがあります。ごぼう、れんこん、さといも、竹の子、人参などの根菜類に、こんにゃく、高野豆腐、しいたけ、鶏肉などを加え、大鍋で煮込み、最後に絹さやのみどりを散らす。わたしも全くの自己流ですが、すべての材料を小口に切って、鍋でやわらかくなるまで煮込みます。いっぽう東京の人は、伝統的に、これらの材料を一種類ずつ別々に煮て、お重のなかにそれぞれを色取りよく並べていくようです。九州の実家の母も、なぜか正月の煮物といえば、この個別式を採用していました。
子供の頃、ふるさとの周囲の家庭では、すべての材料をいっぺんに煮込む、いわゆる「筑前煮」と呼ばれる煮物が主流でした。三が日に伯母の家を訪ねると、雑煮だけは関東風のさっぱり味なのに、煮物はごちゃまぜの地元風。わたしにとっては、それが新鮮で、なんともいえないおいしい一品だったのを、忘れることができません。郷里である筑後地方では、この煮物を「がめ煮」と呼びます。
なぜ「がめ煮」なのか、物知りだった伯母に問いただしたことがありました。伯母によれば、がめとは、スッポンのことだというのです。昔鶏肉のかわりに、スッポンを使ったのではないかというのが、伯母の説。本当でしょうか。
かくいう伯母は、博学で頭の切れる女性でしたが、商家のおかみさんだったせいか、料理はからきしだめ。伯母が、台所できりきりと働いている姿を見た記憶がありません。正月料理をしきっていたのは、もっぱら長女、すなわちわたしのいとこでした。このいとこは、今でいう女子大の家政科を卒業していて、料理、裁縫、なんでもござれのスーパーウーマン。がめ煮に加え、みかん入りの寒天が、正月の得意料理でした。みかんの缶詰を使った、なんでもない固めの寒天。いとこの作るがめ煮と寒天を食べないと、正月のお呼ばれを受けた感じがしなかったくらい。
このいとこ、後に家政科で学んだことをすべてビジネスに活かし、今では老舗の新生児向け寝具と衣類メーカーとして成功、全国展開の活躍をしています。70歳を過ぎても、仕事がおもしろくてたまらないらしく、製品である赤ちゃん用衣服の裁断など、自らこなしているというのですから、驚きました。毎日、夕方遅くまで縫製現場を監督し、帰宅するときちんと夕食のしたくをします。一切、手抜きなし。週末のうちに、あらかたの惣菜を準備して、冷凍保存しておくというのですから、わたしから見れば才女のなかの才女。尊敬しています。
がめ煮の話にもどりますが、ふるさとのいとこが作るあの味、なかなか出せるものではありません。甘いのです。それは、決して砂糖の甘さだけではありません。野菜と鶏肉から出てくる甘みに、ほのかなしょう油味がからまり、隠し味はショウガ、といったところ。でも、なにせ、わが母は、それを作ることができず、したがってわたしには、残念ながらレシピが受け継がれていません。
同じ郷里に住む兄のお連れ合いもまた、がめ煮作りにかけては天才肌。独身だった頃、彼女ががめ煮を作る様子を見学させてもらったことがあります。「どうってことないのよ」といいつつ、義姉は、切った材料ごとに、まず中華なべで軽くいためました。ショウガをたっぷり使い、しょう油は薄口。これがコツだったと覚えているのですが、やっぱり出せません。あのがめ煮の味は、わたしにとっては、まぼろしなのです。
今年の正月は、大学生の息子も帰らず、わたしたち夫婦と愛犬小次郎だけで過ごす、いつもどおりの静かで、やや淋しい3日間となりました。嬉しかったのは、2日目の夜、思いがけずも裏のSさん夫妻のご招待を受け、手料理をごちそうになったこと。宮前2丁目に暮らしはじめて8年目、Sさんご夫妻にとっては4年目、近所同士の2組が親しく言葉をかわし、互いの家を訪問するお付き合いを始める元年となりました。Sさん夫妻にとっては、これまで社宅生活が多かったとのことで、近所づきあいはごくごく自然にひんぱんだったそうです。ところが、現住所に越してからは、常日頃からややクールな隣人づきあいの空気を感じて、物足りなさを覚えていたそう。2004年は、食べものと人の行きかう近所づきあいを、もっと増やしたいと願っているところです。
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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