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手習い

[2003/11/13]

笠井逸子

 いくつになっても何か新しいことを学ぶのは、楽しいもの。「60の手習い」なんて、表現もあるくらいですから。わたし自身、習いごとをするのは、これまでも嫌いではありませんでした。教師(大学の非常勤講師として、主に英語を教えています)をしていると、ときに逆の立場になって、教えてもらう側を体験するのは、新鮮な感じで大好きです。

 翻訳教室に通ったこともありました。これでも翻訳家のはしくれですから、その時教えてもらったことは、後の仕事に十分役に立ちました。カルチャーセンターで、夏目漱石の作品解説に、耳を傾けたことも。内容的には少し異質ですが、毎週土曜の午後、中国気功を受けに、東中野通いもしました。これは、今年の春まで、10年間続きました。三日坊主のわたしにしては、よくまあ根気強く通いつめたものだと、我ながら感心。ちょうど体の変調期と重なっていた頃で、東洋医学の一端を垣間見るおもしろい体験をさせてもらいました。

 しかし、年のはじめ、ついにその気功をやめる決心をしました。土曜の午後がつぶれるというのは、他の興味を諦めなければならないことでもあったからです。長い間、絵を習いたいと願いつづけていたものの、そのうちそのうちと引き延ばしてばかり。どこかでなにかを捨てて、新しいものにとりかかる年齢に達したのではないか、とある時強く感じました。この直感は当たっていたし、それに従ったのも、悪い選択ではなかったようです。

 絵のレッスンは、月2回。JR阿佐ヶ谷駅近くにある、古びた幼稚園の教室が稽古場です。ピンク色の天板つきのテーブルは、幼児用ですが、横に2個づつ、向かい合わせにかためて並べると、4個のテーブルが部屋の中心に集まる格好になります。ちっちゃな子供用の椅子を、わたしたちおとなは、2個いっぺんに使って腰掛けると、まるで園児のお絵描き教室さながら。コージー・コーナーのできあがりです。生徒は現在4名。

 大浦先生は、わたしよりもいくぶん若いにもかかわらず、貫禄十分の女性。やや太めの体を、洗いざらしの木綿や麻の服にすっぽりと包みこみ、アース色系の長めのスカーフを首に巻いた、気さくな芸術家。自転車のバスケットいっぱいに、毎回、違った画材をとりそろえ、歌手にしたかったような澄んだ美しい声で、「コンニチワー」とあいさつしながら、幼稚園のガラス戸から、先生は入ってきます。

 リンゴ6個のときもあれば、新鮮なイワシ1匹がレタスの葉っぱにのっかることも。葉の下には、ちゃんと保冷剤が敷かれているというこまやかな心遣い。自らの手のひらを、綿密にスケッチしたこともありました。まずは鉛筆によるデッサンを通し、画材を詳細に眺める訓練をします。リンゴとミカンでは、形も質感も異なっていることを、デッサンを通して、実践的に学ぶわけです。同じ野菜でも、タマネギとトマトでは、受け止め方が違う分、描き方も変わってきます。

 じっくり見て、デッサンを完成させたあと、次に墨を使って、和紙に同じ画材を描きとります。これは、さらさらといった感じ。輪郭を描き終えると、顔彩と呼ばれる日本の絵の具を使って着色していきます。それらの作品を、教室の黒板に並べ、合評をして、レッスンの締めくくりです。

 1回約3時間のレッスンですが、終わるとぐったりと疲れます。どうして、こんなに疲れるんだろうね、とわたしたち生徒は、不思議に思っていました。「きっといつになく集中するのよ。こんなに集中して、なにかを観察することなんてないもの」と、生徒さんのひとりの感想。そうに違いありません。凝縮されたアートの3時間は、あっという間に過ぎ、外はもう暗い夕方。充足感を覚えながら、作品をかかえ、それぞれの自宅に急ぎます。

 来年6月末から7月にかけて、わたしたち生徒4人は、大胆にもグループ展を開くことになっています。もちろん、大浦先生の発案による企画(陰謀)ですが、なんという野望。阿佐ヶ谷駅から青梅街道までつながる、長い商店街パールセンターの中間あたりに、「こぶ」という名の画廊喫茶があります。かつては、阿佐ヶ谷近辺の文士たちが多く立ち寄った店として知られる名門喫茶の壁に、はたしてどんな作品が並ぶことになるのでしょうか。今から、ドキドキしています。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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