長い間、着物というものに憧れてきました。着物を着たい、着て町を歩きたい、着物で外出してみたいと。最近になってようやく、少しだけ着物に近づくことができるようになりました。
大学卒業式の日(もう30年以上も前のこと)、姉の中振袖の晴れ着を借りて出席しました。わたしのために、振袖を新調しようなんて余裕のある家ではなかったし、成人式にあわせて用意してやろうなんて親でもありませんでした。卒業式には、おおかたの女子学生は振袖姿。英文科で、わずかに数人だけの女性が、今でいうパンツスーツ姿で現れ、絹でしょうか、ピカッと光った布地に新鮮な驚きを感じたことを覚えています。
同じ大学に通った友人のYさんは、商学部専攻。小さい頃から三味線、琴、お茶にお花を習う純日本風のたしなみのある女性で、日頃から着物に慣れ親しんでいたにもかかわらず、その日、ウール地であつらえた固い感じのスーツを着用して、出席しました。わたしには、やや拍子抜けというか、やられたという思いがしたのを、今でも覚えています。
別の友人は、母親のものだったという、地面にまでつくかと思われるほどに袖の長い振袖を着て、やってきました。ピカピカのいかにも新たに揃えましたといった着物ではなく、年季のはいった、品のいい歴史を感じさせる晴れ着に羨望を覚えました。そういえば、この友人、卒業からずっと後のことでしたが、ある時期、なんの巡りあわせか、福岡にある着物専門学校の校長を務めたことがありました。きっと英語を教えていたのだと思いますが、着物を着て、授業をすることもあったと言っていました。
この春、ひょんなことから、着付け教室にさそわれ、「いい年こいて、今さら着付け教室でもなかろう」とひるみましたが、そうはいっても、ひとりではどうにもならぬ、恥をしのんで、思い切って参加しました。でも、肝心の着物がありません。「どんな着物でもいいのですよ。お持ちになっている着物で、どうぞ」と一応励ましてはくださるものの、はて、どうしたものか。
連れ合いの亡くなった母が残してくれた着物と帯をひっぱりだし、今では手を通すこともなくなった母親の古着を、義姉に頼み込んで、実家から急きょ送ってもらったりしました。なんとか、最低必要なものだけは揃えることができ、見様見まねで、習いはじめたところです。
さそってくれたKさんは、「全部、娘時代のものなので、色も柄も派手で」と言いながらも、桐のたんすにどっさりと、ひとりの女性がその時々に応じて着用する、あらゆる種類の着物をお持ちの様子。「娘のころのもので・・・」という言葉を耳にするたび、「ああ、わたしに娘時代なんて、はたしてあったのか」と、ふっと寂しいようなわびしいような気分に襲われるのは、なぜなのでしょう。
着付け教室に行きはじめたと小声でささやくと、以外な方面から、「あら、わたしも着ますよ。結婚式には必ず留袖着て行く」とか、「20年間、お茶を習っていたから、たくさんあるわ。もう着ることもないけど」などの反応がかえってきます。「今ではたんすの肥やしだわ」なんて、一度口にしてみたい殺し文句をおっしゃる方も。
留袖の友人に、80歳をすぎたおばさまがいて、ボケ防止に着物を縫うのが楽しみという。母の着古した小紋を洗い張りし、縫い直してくれました。母親がしょっちゅう着ていた、薄いベージュに赤紫色のよろけ縞模様の普段着が、さらりっと軽くなって、新品みたいになって帰ってきました。それに手を通すと、当然のことながら、わたし、とても母親に似ている。
この夏、北海道旅行をしました。北海道のど真ん中あたりに位置する、人口五千人ほどの小さなU市は、かつての炭鉱町。閉山後、これといった観光資源もなさそうな静かな山あいの町に、連れ合いの親戚の家を訪ねるのが目的でした。U市で20年あまり市会議員を務めた、この家の主は、U市の発展に力を尽くした名物女性。彼女の道楽が着物だったと聞き、その膨大なコレクションを見せてもらい、あわよくば、不用の着物のひとつもいただこうという下心もあって、連れ合いと愛犬とともに、北上した次第。
人生のほとんどを着物で過ごしたというだけあって、あるわ、あるわ。見たこともないほどの数の着物と帯の山。あっちのたんす、こっちのたんすと、着物を引き継いだ義娘の手によってきちんと整理され、収められていました。それらのなかから、相当に着まわされたと思われる普段用の着物を選んで、持ち帰りました。それらの着物を、1枚ずつ、ためつすがめつ眺めながら、「あっ、ここにしみ、ここにほころび、衿にしみこんだよごれと汗、日焼け、ほこりをたっぷり吸って、ずっしりと重くなった着物」と、その人の生きてきた証しが、わたしの手に伝わってきます。
裏に住む鍼灸師のSさんは、「ひとの着物って、なんか生々しいのよね」とおっしゃった。確かにそう。着物にさわっていると、生身の女の息づかい、心臓の鼓動、ため息、笑い、恨み、喜びと悲しみなどが、妙にひしひしと伝わってくるように感じられるのです。洋服では、こんなことはありません。そのせいか、着物はわたしには、ただの身にまとう服ではなく、それを着た人のすべてを受け継ぐような気分にさせられるのです。だから、全部、ほどいて、きれいに洗濯して、縫い直してもらって、いわば、化粧直しをして、さっぱりしてもらいたい。別の人間が着て、別の道をたどる。着物にとっては、そんなこと思いもよらぬ結末だったのではないかしら。着物には、不思議な物語があるように思えてなりません。
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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