中津江村を訪れました。そうです、あの中津江村です。昨年、ワールドカップ・サッカー大会において、カメルーン代表チームの国内キャンプ地となった、大分県の山あいにある小さな村。
今年の春も、里帰りをしました。わたしは、福岡県久留米市生まれの久留米育ち。九州モンです。幼なじみのK子さん宅と姉の家と、半々に泊めてもらいながら、親戚再会と物見遊山目的のショートステイを、春休みの恒例行事にしています。
中津江村訪問は、物見遊山の部類でした。K子さんのお連れ合いに、運転をおまかせして、丸1日、大分県と熊本県の山道を走り抜けるのです。途中、気の向くままに、足(タイヤ)をとめ、あっちこっちと好奇心に導かれるまま、見たり聞いたり触ったり食べたり飲んだり湯につかったりします。九州の中央部に広がる大自然のなかに、すっぽりと包まれながら、おとな3人、子供になってはしゃげるのは、やはり生まれ故郷にいる安堵感と気安さのせいでしょうか。
中津江村では、まさか本当にキャンプ地に決まるとは、思ってもいなかったそうです。立候補すれば、名前なりと少しは知られるようになるかもしれない。軽い気持ちから、応募しました。誘致活動の予算は、わずかに50万円。村長が上京して、宣伝活動を行なうための出張旅費も含めての金額でした。それが、どうでしょう。全国でいの一番に、キャンプ地に決まったというのです。
エンボマを含めたカメルーン選手たちが宿泊した建物とサッカーコートを、見物しました。全くの山のど真ん中にありました。青々と元気な芝に覆われたコートは、村人総出による手作り。これが3面、用意されました。応援のときにかぶる色鮮やかな帽子は、村の女性たちがこしらえました。山林のいたるところに、カメルーンの国旗を描いた看板が立っています。「ありがとう、カメルーン」のことばが添えられて。立ち寄ったおみやげ店には、名産の柚を使ったジャムやお茶が売られていました。商品のラベルにも、同じことばが印刷されています。
「ありがとう、カメルーン」このことばを口にするたびに、わたしたち3人は、なんとなく幸せな気分になり、ついつい笑みがこぼれました。そして、あのシャイな名物村長さんの顔が思い浮かぶのでした。以前には、博多の歓楽街中洲(東京でいえば、六本木かな)で、スナックバーを経営していたという村長さん、なかなかの逸材ですよね。
中津江村をとりまくすっくと伸びた樹木を見上げれば、これがなんとすべて杉ではありませんか。あれっ、おかしいな。わたし、花粉症の症状が全然出ていません。こんなことありでしょうか。九州の杉は、東京の杉とは、別種?そんなはずは、ありません。それとも、花粉が飛ぶ時期は、すでに終わったのか。とにかく、なんともないのです。空気がきれいなせいとしか、考えられません。
熊本県に入って、小国町を通過中のことでした。途中立ち寄ったレストランのドアに、張り紙が貼ってありました。「ことしもひなまつりの飾り付けしました。どなた様も、ご自由にお立ち寄りください」といった趣旨のもの。めざとく見つけたK子さん、「あらっ、これ、Hさんの山小屋のことじゃない」さっそく、寄せていただくことに。
Hさんは、久留米在住の会社役員。7,8年前に、小国町の山をひと山、まるごと購入しました。奥さんには、内緒だったそうです。週末ごとに、山(もちろん杉山です)に来ては、路をつくり、小屋を建て、畑を耕していきました。はじめはしぶしぶだったミセスも、やがて、この田舎暮らしに共感、そっせんして開墾作業に参加するようになりました。そして、近くの村の住人に手伝ってもらいながら、1500本の山桜の苗木を植え付けてしまったというのです。4月のはじめごろから、Hさんの山の斜面をみごとな桜の花が覆い尽くすといいます。見たいなー。
だだっぴろい1部屋だけの小屋は、「都離美庵」(とれびあん)と命名しました。まんなかに炉を切り、炭火を絶やしません。台所と手洗いのほかには、これといった個室もなく、家人も泊り客も炉の周囲にごろ寝をするものと想像しました。
小屋の壁3面が、ひなまつりの人形やら道具類で、にぎやかに飾り立てられています。天井からは、さげもんと呼ばれるつるし飾りが、所狭しとぶらさがっています。福岡県柳川地方にだけ伝わる「さげもん」は、ちょうど赤ん坊のベッドの上につるす、あのはではでのセルロイド製の廻りものに似ています。1列に7個の布製の人形をくくりつけ、そのひもが数本、わっかにとりつけられ、つるされるしくみになっています。女の子が、一生のうちに使うであろう物であれば、なんでも人形にこしらえていいのだそうです。野菜もあれば、魚もあるし、台所道具から、ドラえもんの人形にいたるまで、千差万別。
都離美庵の主たちは、3月いっぱい、小屋を近くの人たちに開放します。いえ、年がら年中、毎週末オープンハウス状態なのですが。Hさん夫妻の娘のひとりが、柳川に嫁ぎました。それが機縁となり、ひな人形やさげもんがたくさん集るようになりました。そして、このめずらしい装飾品を村の人たちといわず、ちらしを見て訪れる旅人(ちょうどわたしたちが、そうでした)にも、見てもらうという行事をはじめました。
わたしたちが訪れ、畑でできた小豆を使ったお汁粉をいただいていた間にも、次から次へと村の人たちがやってきます。それぞれに自家製野菜の煮物やおしんこなどのおみやげを持ち込みます。そして、わいわいがやがや、まるで地域住民センターです。なんか、いいなー、こんな生活。単に田舎にひっこんで、自分たちだけの世界にひたるというのではなく、その土地の人たちを受けいれ受けいれられながら、無理をせず、自然体で暮らす。ああ、理想の(老後)生活。
都離美庵を辞したころ、すでに5時近く。山には、雪が降り始めました。川の音を聞きながら、手打ちそばを食べて腹ごしらえをしたあと、いよいよ最後の地へと移動しました。全国の若い女性たちの憧れの温泉地、黒川温泉へ。すべての温泉宿に露天風呂のある黒川温泉では、500円出して温泉手形を入手します。すると3ヶ所の温泉めぐりができるというしかけ。温泉宿以外これといった店もないひなびた温泉郷でしかありませんが、これが受けるらしいのです。湯につかる、宿に泊まる、食事をする。ただ、それだけ。週末の癒しを求めて、全国から温泉ファンが集るという理由がわかる気がしました。しゃれた喫茶店も小物を売る店舗も不必要なのでしょう。人里離れた温泉宿の湯煙と硫黄のにおいをかいでいるだけで、身も心もやすらぐ気が確かにしました。
九州は、いい所です。
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』『サメ博士ジニーの冒険ー魚類学者ユージニ・クラーク』(近刊)の訳者。
東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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