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朝のめざめ

[2003/2/7]

笠井逸子

ときおり朝方に、いやな夢を見ることがあります。まるで、冬の明け方のほの暗さにあわせたような、明かりに欠しい重い夢を見ます。めざめからほど遠くない時刻に見るせいか、細部にいたるまで、よく覚えているものです。わたしの場合、たいてい場面は過去。住んでいる家も、決して現在の場所ではなく、ずっと以前のごちゃついたアパートだったり、狭い古家だったりします。

でも幸いなことに、こういう類の夢で起きることはめずらしく、たいていは、「早く朝の散歩に行こうよっ!」と、顔を押しつけてくる愛犬の気配で目がさめます。小次郎の体内時計は、極めて正確。冬の間はかっきり6時50分に、ベッドわきに寄ってきますから、おかしなものです。「もうちょっと寝かせて」と声をかけ、あと10分の睡眠をむさぼり、それからエイヤーと起き出すリズムが、わたしとしては気に入っています。

もっとも、このパターンは、大学の仕事が暇になった、いわばわたしにとってのオフの季節に通用することで、教える仕事に追われている時期には、こんなのんびりモーニングコールにひたってはいられません。わたしとて、たとえ一介の季節労働者とはいえ(最近の大学の前期は、4月から7月を、後期は10月から2月はじめ頃までをさします)、人並みに仕事をする人間ですから、1時間目からの授業のある日など、逆に小次郎を起こしせきたて、夜明け前のくらがりのなか、朝の散歩(というよりも朝のご用といったほうが、ふさわしい)を強行しなければならないこともあるのです。

小次郎の顔の重みで目をさまされると同時に、最近では、鳥たちの鳴き声で眠りを中断されることも多くなってきました。キーッとヒーッの中間みたいな甲高い声で泣き叫ぶのは、わが家のえさ台に日参するヒヨドリのカップル。こちらも、「えさは、まだかいな。ヒーッ、キーッ」と、わたしがどの部屋で寝ているかを察してでもいるかのごとく、窓外をけたたましく鳴きながら、飛び回って注意をひこうとします。スズメの一族が、えさ台に近づこうとしているのを、けん制する意味もあるらしく、ことさら大声を出しているのでしょう。

ヒヨドリの好物は、リンゴ。1羽がえさをついばんでいる間、パートナーのほうは、近くの木の枝に止まって、周囲を見張ります。しばらくすると、ちゃんと役割を交替しますから、お行儀のいいことといったらありません。わたしが、くだものを置いてやるのを、どこかで見ているらしく、ドアをしめて、リビングにもどると同時ぐらいに、えさ台でついばみはじめますから、その無駄のないスピード感には脱帽です。スズメたちのお目当ては、フルーツではなくて、生の米粒。古くなってしまった玄米を、ひとにぎりだけ、毎朝えさ台にばらまいてやるのです。ヒヨドリは、米粒には見向きもしません。それでいて、スズメの一群がやってくることには、我慢がならぬといった横柄な態度をとり、しきりにスズメたちを追い回し蹴散らします。

おっとりと小太りぎみのメジロのペアも、やってくるようになりました。うぐいす色をした体のせいで、これをウグイスと思い込んでいる人も多いそうですね。メジロの目の回りは、その名のとおりに白。スズメよりも、さらに小さな体つきをしたメジロたちは、ヒヨドリの留守を上手にねらってやってきては、リンゴやミカンのおこぼれにあずかります。こちらのペアも用心深いのですが、食事はいつもいっしょにします。直線的でぎこちない動きをみせるシジュウカラの姿は、少なくともわが家の庭では、今のところまだ見かけません。巣づくりができるようにと、一応、自家製の簡素な巣箱だけは、すでにかけてあるのですが。ことしは、どうでしょう。入ってくれるでしょうか。

ヒヨドリの鳴き声で目がさめる朝の陽射しは、すでに春の明るい陽光に満ちています。今年の寒さも、もうあと少しの辛抱。春はすぐそこまで来ています。でも、そう手離しに浮かれてばかりはいられません。だって、スギ花粉もすでに飛散しているのですから。わたしの敏感な目が、すでにそう訴えています。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああ
あああああああ