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キッシュ

[2003/1/6]

笠井逸子

クリスマス・イブの日、近所に住むユイちゃんから、クリスマス・カードとプレゼントをもらいました。ユイちゃんは、小学校1年生。そのわりには、大きな体格をしているように思えます。まっすぐの長い髪の毛をたらしたところは、ちょっとおとなびており、くるりっと、くっきりした目は幼い女の子そのもの。学校から帰って、近所の仲間たちと一輪車に乗って遊んでいる姿を、よく見かけます。そのユイちゃんが、自分でつめたお菓子のパックにカードを添えて、直接わが家まで届けてくれたらしいのです。わたしは、そのとき留守をしていましたが、連れ合いが受け取っていました。

お返しに、何をあげようかな。翌日はクリスマス。そうだ、キッシュを焼いてもっていこう。熱々の焼きたてのキッシュを、丸ごとひと皿、夕食どきに間に合わせてもっていきましょう。ついでに、お世話になったご近所にも、あと数ヶ所、食べてもらおうかな。久しぶりに、キッシュを焼こうという気分にもなっていました。ちょうど、年内の仕事にも区切りがついて、冬休みにはいっていましたし。

キッシュは、わたしの数少ない得意料理のひとつ。料理大好きという人間ではありませんが、毛嫌いするほどでもありません。学校に通って、本格的に習ったことなどありませんので、基礎はおそらくめちゃくちゃでしょう。また、残念なことに、料理にさほど興味のない母親をもっていますので、料理の楽しさ、喜びといったものを、成長の過程で身をもって体験するということがありませんでした。料理DNAは、少ないほうでしょう。ただ、テレビの料理番組を見たり、クックブックを購入することは、いといません。

そんなわけで、10年以上も前のこと、わたしが英語を教えている女子大で、同じようにフランス語を教えていたフランス人女性が、『フランス家庭料理』という本を出したとき、進んで1冊求めました。その中のオードブル編で紹介されていたのが、キッシュでした。著者のマルチーヌさんは、キッシュではなくキシュと書いているので、フランス語の発音からいうとこっちの方が、より原語に近いのでしょう(フランス語は、からきしダメで、英語以外に外国語の素養がなく、劣等感を抱いたままです)。正式には、「ロレーヌ地方のキシ」(Quiche Lorraine)と呼ばれるパイ料理の一種で、辞書によれば、なぜか「女性だけが食べる物と言われてきた」とも説明されています。ロレーヌとは、アルザス・ロレーヌのことで、フランス北東部の地域をさし、なんだか歴史教科書のどこかでお目にかかった語句ですね。しかも、必ずベーコンを入れるとも続きます。マルチーヌさんのレシも、確かにベーコンを使うとなっています。

作り方は案外簡単。わたしにも作れます、というやつです。ところが、オーブンで焼く、キッシュの生地も自分でこねる、とわたしが言うと、たいていの人が意外な反応を示します。まずは、わたしがそんな手間ひまかけた(と思える)料理をこしらえるということに、驚きを感じるようです。ガスオーブンで焼く、これがまた新鮮に響くらしいのです。オーブンで焼くのは、お菓子かパンと固く信じている人が多くて、「あら、チキンも焼くし、キッシュも作るし、ポテトだって、さつまいもだって、オーブンで時間かけて焼くと、おいしさが違うわよ」などとわたしが言おうもんなら、「ヘェー!」とばかりに信じがたいといった顔つきになります。ま、わたしにだって、ひとつやふたつ、ほかとは異なる得意わざがあったっていいじゃないですか。

25日は、朝から大忙しでした。まずは、材料の新鮮な生クリームをどっさり仕入れる必要があります。それから、小麦粉も不足ぎみ。荻窪駅前の自然食の店に走り、200cc入りのカートンを4個買いました。ほとんど買い占め状態。粉は、「南部地粉」と呼ばれる岩手県産の中力粉が手に入りました。200グラムの小麦粉に、塩少々をふり、上質のマーガリン100グラム(は、ちと多すぎるので、わたしはやや少なめに減らすことにしています。バターでも、もちろんOK。無塩バターが理想のようです)を加え、混ぜ合わせます。よく混ぜたところで、50ccの水を入れてこね合わせ、ボール状に形を整えます。ラップにくるんで、1時間ほど冷蔵庫でねかせます。このボールを、4個用意しました。あとの作業は、機械的に流れます。どのお宅に、何時ごろ、届けるかの按配に気を配りながら、次々と焼いていくという仕事になります。熱々のところを食べてもらうのが、なんといっても一番ですから。

まずは、お届けするお宅が在宅であることを、あらかじめ確認しておく必要があります。ユイちゃんのところには、朝のうちに、プレゼントのお礼かたがた、すでに連絡済み。あとは、わが家のアイドル犬、小次郎のガールフレンドがいる近所のIさん宅。Iさんには、昨年、わたしがハワイ旅行中、小次郎の朝の散歩をお願いしました。ここには、食べ盛りの息子さんがふたりいます。

いきなり持っていっても、絶対大丈夫なのが、小次郎の主治医である獣医、ポッポ先生(注)のご自宅。80歳を越えて、なお現役家事担当のポッポ先生のママは、わたしのこしらえるキッシュが、ことのほかお気に入り。「あーら、ちょうど、あれを食べたいなー、と思っていたところなのよ」と、喜んで受け取ってくれます。焼きたてのキッシュは、パイ皿の底が熱くてやけどしそうなので、そっくりダンボールの箱に収めて運びます。花柄の陶器のパイ皿は、アマゾンで注文した書籍が届けられるときの箱に、不思議なくらいぴったりすっぽり納まります。

お向かいのYさん宅には、ご夫婦ふたり用にと、小さ目のグラタン皿に焼いたキッシュを届けました。「いやー、うちのが急に通夜に出かけたもんで、孫のヒナコと留守番だったんですよ」と大喜び。最後に、わが家用のひと皿も焼きました。

今回の具は、ほうれん草の緑とプチトマトの赤で、クリスマス気分を演出、さらにきのことソーセージも足しました。これらの具は生地の上に並べ、あらかじめ10分ほど、オーブンで焼いておきます。そこへ、卵2個、生クリーム、大さじ1ぱいの小麦粉、塩、コショウ、バジリコでこしらえたミックスを注ぎこみ、おろしたチーズをふりかけ、20分から25分ほど焼き上げます。卵と生クリーム・ミックスのクリーム色が、ところどころキツネ色に変わり、全体がプーッとふくれあがった状態に焼きあがったら、出来上がり。風の強いクリスマスの夜に、おいしく食べてくださったようです。来年も、クリスマスのプレゼントに、キッシュをたんと焼こうかな。それまでにパイ皿をあと数枚、増やしておく必要があるようです。

(注)『動物病院笑い話555』(ポッポ先生著)


*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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