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ダウンのコート

[2002/12/18]

笠井逸子

12月が来ると、わたしも人並みに、ことし1年をふりかえってみたくなります。劇的なできごとが起きた年などでは、もちろんありません。月並みですが、それなりに山あり谷ありの平凡な12ヶ月でした。

東京にしてはめずらしく12月初旬に初雪が降り、あわててダウンの入ったコートを買いました。この冬はダウンのコートが流行っているらしく、周りじゅうがダウンに包み込まれて歩いているような気がします。雪の積もった月曜日、仕事帰りに、新宿のデパートに立ち寄り、2-3着試してみました。フードつきでこげ茶の短めのコートが、気に入りました。あんまり寒かったので、さっそくそれを着こんで、地下鉄に乗り込みました。

フードつきのコートには、以前だったら、抵抗がありました。あれは、わたしにとっては、全くの装飾品でしかなく、実際にフードをかぶることなど、めったにないからです。着ると、普段はうしろにたらしたままの格好になって、なんとなく、うしろに引っ張られるような窮屈さを感じ、首のあたりが居心地悪かったのです。でも、最近のコートは、全体に薄手に作られていて(それだけダウンの量も少ないのかもしれませんが)、おまけにナイロン製の布が使われているため、驚くほど軽量です。フードをうしろにたらしていても、重苦しい気分にさせられることなどありません。それに肩の部分は、布が二重になり、暖かさが増します。

茶色の服を選ぶことも、わたしにとっては、わりに最近のできごとです。夏の終わりに、ハワイ旅行に持っていこうと、軽いナイロン製のショルダーバッグを探しに行きました。だんだんと、なにごとも軽いもの軽いものへとなびいていきます。そのバッグがこげ茶でした。いつもなら、実用性だけを考えて、なににでも合う色ということで、黒を選んでしまうところですが、このとき、「うん、たまにはいいじゃない。茶色にも手を出してみるか」とそんな風に思ったのです。「ハワイに、黒は似合わぬ」とも。

ついでに靴も茶色にしました。靴とバッグの色を合わせるというのが、アメリカ流のサクセス・ビジネスウーマンの常識とも聞きおよんでいます。といっても、わたしのバッグと靴、色だけは確かにコーディネートされたものの、キャリアウーマンが好むような代物ではありませんよ。両手が使えるようにと、バッグはショルダーどころか、上半身を斜めによぎった、戦前の中学生ズックカバン式にかけることにしていますし、靴は靴で、とにかく幅広にできた履き心地のよさ一辺倒のタイプにしか目がいきません。デザインよりも足に優しい靴というのを、英語ではsensible shoes(良識ある靴とでも訳しましょうか)と呼ぶかどうか(小説には、色香はないけれど有能な中年の秘書などが、その手の丈夫な靴を履いているように書かれていることが多いような)、まさにそのような1足です。

なぜわたしが、それまで目もくれなかった茶色の靴、バッグ、コートを選ぶようになったかについて、お話しましょう。もともと茶色は、わたしの顔にも肌の色にも、そして雰囲気にも、とうてい相容れない色だと思い込んでいました。茶色は、黒よりも、一段とおとなの色で、着こなしがむずかしいシックな色合い、ヨーロッパ調の色目だ、とこれまでかたくなに信じていたふしがあります。ほんの少し前までは、黒でさえ、あまり手が出ませんでした。老いも若きも、なぜ、だれもがこうも黒を愛するのか、釈然としない思いがしていました。しかし、やがて、パステル調だの鮮やかなソリッド・カラーなどの服が、しっくりこなくなり、いつでもどこでも、またどんな組み合わせにも適応できるといった実用本意性に、わたしもプライオリティーを置く年齢になっていました。最近は、もっぱら黒とグレーなんて、かわいげのない取り合わせに傾きつつありました。

夏のはじめの頃でした。春学期の忙しさにかまけて、美容院に行くのをはしょっていた時があったのです。生まれてこのかたずっとショートカットで通してきましたから、ひと月に1度は美容院に行って、カットをしてもらうのが理想状態を保てるはずでした(実際には、ふた月に1度ぐらいの割でしたが)。行きそびれているうちに、鏡を見て、アレッと思いました。なんだか、少しのびた自分の髪の毛が、いつになくカールしているのです。前から、くせ毛であることは知っていました。だからひとつには、ショートカットでも、ピンピン暴れることなく、あんがいまとまってくれていたのです。それが、なんだか、カールというかウェービーというか、くるくるっといった感じに巻きはじめていました。

そうだったんだ。わたしの髪の毛は、ナチュラルだったんだ。つまり、天然パーマというやつです。そういえば、母も姉もくるくるにカール気味です。姉は日頃から「パーマなんか、いっさいかけなくていいのよ」と言っていましたし。わたしの髪も、これからどうなるのか、見届けてやれ、という興味がわいてきました。夏の間、放っておきました。ちょうどパーマをかけたみたいに、前髪も両耳のあたりもくるりくるりと巻いていきました。そして、具合のいいことに、全体がふわっとふくらみ、ボリューム感も出てきました。もう、このままでいこう。そう決意しました。

しばらく前から、白いものも出始めていました。これだけは、「染めたほうがいいよ」と友人が忠告してくれました。そこで、天然もののインド製のヘナを使って、自ら染めてみることにしました。簡単にできます。大さじ3杯ほどのヘナの粉を水で溶き、マヨネーズほどの硬さにしておきます。それを、ぬらしておいた髪の毛、特に白髪の部分にぬりつけるだけ。シャワーキャップをかぶり、さらにぬれタオルで頭部をおおい、そのまま1時間ほど待ちます。あとは、シャンプーしてヘナを落とすだけ。白かった髪の毛が、うっすらと茶色に光る状態に変わり、黒髪はそのままなのに、いくらか全体にも明るさがでてきました。

これでした。わたしが茶色を思いきって選んだ理由は。茶系の服を着ても、それほど暗い印象を与えないのです。ウェービーになった髪の毛に、ほんの少しだけ茶色が混じっただけなのに、ヨーロッパ調の色合いを受けいれられる下地ができたんだ(ちょっと、大げさ)。こんな勝手な解釈をしてみました。若い人たちが、男も女も、こぞって、茶髪にするはずだ。だって、こんなに簡単に変身できるんですもの。これまでと違う自分がそこに出現するんですね。そして、それまでと異なる色合いの服だって、なんだって、着る勇気がわいてくる。また、身につけてみたら、案外、似合う、ということか。わかったぞ、わたしにも、茶髪や金髪の魅力のなぞが。お試しあれ。


*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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