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ハワイアン・バケーション

[2002/10/01]

笠井逸子

いつもそう感じるのですが、ホノルルの街に降り立つと南国の香りがします。今回もまぎれもなく、同じにおいをかぎわけました。椰子油というのか、少し甘い、濃厚な植物くさいような香りが、ワイキキに向かうフリーウェイ上でも漂っていました。

11年ぶりのハワイ訪問。ジェットラグのせいで、頭がぼやけた感じでしたが、懐かしい、色でいえば薄茶色といった感じのする独特のにおいを思い出しながら、久しぶりにホノルルの街を訪れました。

最近家を買ったというIさんに、会いたいと思いました。ハワイ大学でコーヒー豆の研究をしているアメリカ人男性と結婚している彼女は、30年前のほっそりとした日本人的な体躯から、今ではややハワイ化したというのか、がっちりとした厚みを感じさせる女性になっていました。

大学からさほど遠くないカイムキと呼ばれる地区に、古い一軒家を購入したのが2年前。車でかなりの急坂を登り、通り沿いに建った白い家の手前を右に入り込んだ、奥まった家がIさん夫妻の新居でした。1937年に建てられたという、今ではめずらしい伝統的なハワイらしい家ということ。家の内外の大部分が白いペンキで塗られ、1階の床下に相当する部分は、物置と夫の研究室を兼ねた素通しのスペースになっていました。

これも白ペンキの木製階段を上って、玄関に達します。部屋にはいると、間仕切り壁を取り除いてしまったという大きなリビング・ダイニング・キッチン。日本の骨董家具が壁に沿って並べられ、部屋のほぼ中心部には、食卓にも仕事台にもなりそうな、大型のテーブルがデンと置かれていました。

レモン色をした実が2、3個、テーブルに置かれた皿に盛られ、つるつるに光っていました。実をふたつにわると、中はぬるぬるの甘酸っぱい種のかたまり。それをスプーンですくって、口のなかで、種をかみくだきながら食べます。Iさん宅の階段わきにからんだ、パッションフルーツの木になった実でした。花は時計草にそっくりで、白と薄紫色をしていました。その他にも、裏庭には、りっぱなヤシとプルメリアの木が1本ずつありました。

ワイキキのはずれに、ハワイ大学が運営する小さな水族館があります。そこをさらに奥まで歩いた場所に、古いけれど落ち着いた雰囲気のカイマナビーチ・ホテルがあります。いっしょに行ったYさんお薦めのコージーな宿でした。ダイヤモンドヘッド側の5階の部屋からは、夜になると山の斜面に沿って建ち並ぶ民家の光が、無数にきらめいて見えました。最初の晩は風が強かったせいで、これらの光がせわしなくまたたき、時差ぼけで眠りにくくなった頭と目に、ハワイに来たなという実感をもたせてくれました。

ホテルの部屋にいるときは、いつもの癖でなんとなくテレビをつけてしまいます。どのチャンネルもどの時間帯も、常にセプテンバー・イレブンスに関連した特別番組ばかりやっていました。Yさんたちと留学生としてはじめてハワイにやってきた頃、アメリカはベトナム戦争の末期を戦っていました。アメリカ人の大学院生たちのなかには、徴兵逃れを目的のひとつに、大学院生活を送っている男たちもいました。11年前に家族ともども、ハワイ再訪を果たしたおりは、イラクがクウェートに侵攻した時で、ブッシュ大統領(シニアのほう)が急遽、夏休みをとりやめてあわただしくホワイトハウスにもどる様子が、テレビのニュースに流れていました。

ハワイで人気の高い、モダンなハワイアン音楽を聞かせてくれる兄弟が出演するショーを見ようと、ダウンタウンのビストロに出かけた夕べ、「イラクを攻撃するな」というプラカードをかかげたデモ隊の一群を見かけました。アメリカ全土が、「9月11日を忘れない」と唱和しているとき、勇気ある行動をとっている人たちもいるのだと驚かされました。

昔のハワイを知るものには、面はゆいばかりのビストロなんてしゃれた名前のついたレストランでは、ルックスのいいウェイターばかりを集めたと思われ、物腰もやわらかく、「本日のお薦め料理は、アピタイザーとして、アボカドの・・・」と流れるように説明が入ります。こっちの関心は、もっぱら質より量にありで、どれぐらいの量だろうか、ふたりでシェアしても十分だろうか、なんてけちくさい質問ばかりがとびだします。「大丈夫、おひとりで食べられる量ですよ」なんて、甘言にのせられて、一人前ずつオーダーしてしまうと、後で死ぬような目にあいます。

隣のテーブルに座った、オリエンタル系のふたりの女性たちも、出されたメーンディッシュのサイズの大きさに目を丸くし、その様子を見ていたわたしたちと目を合わせて、笑いあっていました。どこへ行っても、山のような食べものの量には、いささか辟易させられました。こんなにも食べ尽くす国民が地球上にいる一方で、飢えに苦しんでいる人々が存在する世紀というのは、不思議としかいいようがありません。帰りの飛行機で、和食が選べると聞き、「ぜひ和食をお願いします」とわたしたちふたりは、即座に叫んでしまいました。

ホテルの前に広がるプライベート・ビーチに近い砂浜に、二日間だけ下りて行きました。ふたりとも、アラモアナ・ショッピングセンターで買い求めた真新しいおとなしめの水着を身にまとい、心地よい潮風の吹くワイキキビーチで海水浴。あっという間に、日に焼けましたが、水中では灰色をした細身の小魚の群れにも出会い満足でした。プールで泳ぐのと違い、海水に浮かぶのは、すこぶる気持ちのいいものだと身をもって感じました。

最後の晩は、水族館近くの公園まで出かけ、ベンチに腰掛けて、太平洋に沈む雄大な夕日を眺めました。いつ見ても、汚れのない純粋な夕焼け空と海の色でした。翌日、成田空港に到着して、標識に書かれた日本語が一瞬奇異に感じられ、ああ東京にもどったなと現実にひきもどされました。一週間だけの別世界でした。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああ
あああああああ