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寄り道

[2002/08/05]

笠井逸子

教える大学すべての期末試験を実施し、採点、成績評価をすませ、それらの結果を大学事務局に提出した段階で、晴れてわたしの夏休みが到来しました。2002年の春学期、われながらよくがんばりました。「自分をほめてやりたい」なんて、クサイことは申しませんが、月曜から金曜まで、非常勤講師の模範みたいに、くるくるとめまぐるしい働きバチ生活を送りました。

単調な毎日のルティーンワークの中にも、火曜の夕方の帰り道だけは、わたしが楽しみにしていたひとときでした。週1回、西荻窪駅界隈を寄り道しながら、ひとりゆっくりと買いものがてら家路に向かう時間は、たとえてみるなら、パリの街角(実は行ったことはないのですが)をぶらつくときに感じるかもしれない、一枚の水彩画の世界をくぐりぬける気分にひたれます。ほめすぎかな。

西荻窪駅ガード下に細長くのびた商店街の一番奥に、中規模の本屋さんがあります。日ごろは、インターネットで注文することがほとんどですが、文庫本や新書を買うときなど、ここに寄ります。たっぷりと時間があるわけではありませんので、お目当てのものが見つかれば、それを求めるだけの書店です。レジでは、分厚いレンズのメガネをかけた小柄な中年男性が、いつものように客の目を避けながら、そそくさと本を渡してくれます。ふと入り口に目をやると、久しぶりにまとまった時間がとれたのか、ぶらりと書籍でものぞいてみようという、姿勢のいい目の鋭い男性が立っています。ジーンズ姿の俳優、H氏でした。

本屋さんの手前は食料品店。粕漬けやみそ漬魚の切り身、きれいに盛りつけたさしみの舟、みそ、魚の干物各種、こんにゃくに豆腐、そうめんなどを売る店です。さしみの並んだガラスケースの上には、揚げた野菜やえび、自家製のきんぴらごぼうから豆の煮物まで、惣菜も色とりどりに並んでいます。わたしは、火曜の午後、この店で決まってさしみを求めます。かつおの時もあれば、まぐろの赤身のときもあります。梅雨明けの暑い時期には、さしみの上に氷の袋をのっけてくれます。

本屋さんを右横に出て、とんとんと石の階段を2段ほど降りると、そこは一方通行の商店街。お気に入りの西洋骨董の小さな店「とおめがね」に直行します。ショーウインドウは、ミニギャラリーを兼ねていて、ひょうきんな毛糸のテディベアが並んでいるかと思えば、何に使うのか、アルミの針金で編んだバスケット類が吊り下げられていたりもします。ニューヨーク在住の画家が描いた小さな油絵の展覧会場にはや変わりしたこともありました。店内には、イギリスやアメリカで数十年前まで使われていたらしい花柄ティーカップやケーキ皿、ベッドカバー、テーブルクロス、アクセサリー、スカーフなどが、心地よげに居場所をみつけて納まっています。

通りの同じサイド、4,5軒先まで足をのばすと、熱帯魚や水草を売るほの暗い店が、めだたぬ風情でたたずんでいます。ここでは、ヒメダカを5匹百円で売ってくれます。庭においた水がめに入れてやるのです。いつのまにかまるまると太り、しかも3株にまで家族数を増やしたホテイソウが、所狭しと水面をおおった貧弱なかめですが、ボウフラを食べてくれるというので、ヒメダカを絶やさないように心がけています。真冬に厚い氷がはっても、底のあたりでじっと生き延びている小魚ですが、夏の暑さには案外弱いらしく、5匹入れたつもりが、気がつくと3匹、2匹と減っていきます。息子は特にえさをやる必要はないと言うので、それに従っているのですが、食べものが不足気味なのでしょうか。それとも酸欠。

少しもどって左に折れ、細い小路に足を踏み入れます。すぐ左側に、ケーキとお茶の店。大きなお屋敷の1階部分を改装してコーヒーショップを開いたと思われる、花いっぱいの主婦好みの店構えです。さらに進むと右側に、夕食だけを出すというフランス人女性が経営するレストラン。こちらは、まだ入ったことがありません。プロバンス料理だとも聞きました。西荻在住の友人Wさんは、外食好きの小学校教師。すでに女主人のリラさんの手作り料理を食していました。「ウン、おいしいよ。行ってごらんなさいよ」彼女らしい、きっぱりとした短いコメントがもどってきました。

つきあたりの通りを右側に折れて、自然食の八百屋さんにも立ち寄ります。70年代、西荻窪近辺に、多くのヒッピーたちが暮らしていました。アクセサリーを作ったり、絵を描いたり、演劇活動をくりひろげたりといった具合だったと想像します。この八百屋さんを経営する兄弟は、いかにも昔の自由人(失敬、今もってひげをたくわえた、会社人間にあらずの雰囲気)が、そのまま気に入って、中央線沿線に落ち着いたといった物語を感じさせます。

ハワイのカワイ島にも、60年代から70年代にかけて、アメリカ本土からヒッピーが大勢押しよせました。中にはコミューンを形成して暮らした者たちもいました。多くの画家や芸術家たちが、そのまま島に残り、環境問題やエコロジー、自然保護などに関して意識の高いコミュニティを作り上げていきました。西荻には、骨董やリサイクル、エスニック料理店や小物の店などが、ことのほかたくさん集っており、わたしにはどこかカワイ島を思いおこさせます。

無農薬のバナナやトマトを買うと、わたしの手荷物が一段と重くなります。それでも、もう一軒、食べもの屋さんに入ります。甘みをおさえた大きめの団子など、和菓子を売るこの小さな店は、いつ行ってもだれかしら客のいる繁盛ぶり。だれのアイディアなのか、戦後間もない東京の人々の生活を写した古い写真パネルが、5-6点、キャプションつきで左側の壁に並べられています。占領軍の兵士とダンスに興じる若い日本人女性の白黒写真が見えます。ふくらませた前髪が額の上にかぶさった、古風なヘアスタイルの女性たちが、長めのタイトスカートをはいて踊っています。団子屋さんが、なぜこれらの写真を展示するのか、一度たずねたことがあるのですが、その理由を忘れてしまいました。

まんじゅうを2個買って、うきうきと歩きつづけていきますと、ときおりオープンしている、角のギャラリー「窓」のドアがあいています。昭和初期に建てられた洋館の1階部分の客間が、貸しギャラリーとして使われているのです。今回は、帽子屋「ストロー」さんの夏の帽子展。つい手が出て、こげ茶のリボンを巻いた麦わら帽を買ってしまいました。1920年代の西洋の女性たちがかぶっていたような、小ぶりのシンプルな帽子です。「窓」のたたずまいにふさわしいレトロな一品でした。

庭のホテイソウが、花をつけました。水の中から首を長くのばしたヒヤシンスみたいな花です。薄紫色の小花が6個、かたまって、ひっそりと咲いています。サウナ状態の猛暑のなか、ここだけ涼やかな空気が流れていくよう。よく見るとランの花の形に似ています。一番上の花びらだけに、黄色の目玉がついて、孔雀の羽模様のようにも見えます。15年続いた西洋骨董「とおめがね」さんは、8月いっぱいで閉店だそうです。セール案内のはがきが届いていました。あそこの女主人は、ホテイソウの花みたいに透きとおった感じの人でした。秋学期、火曜の午後の寄り道から、ひとつ楽しみが失われていきます。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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