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女の集まり

[2002/06/18]

笠井逸子

還暦祝いを口実に、数年前から、仲のいい女たちの集まりがはじまりました。もっとも、毎年それに該当する人がいるわけではないので、これとは別に、年1回の例会めいたものも設定されています。1月の最終日曜日と日を決めて、出席できるメンバーが食べ物や飲み物などを持ち寄って集合します。いずれの場合も、場所は江東区にあるAさんのマンションと決められています。Aさんは、バリバリのフェミニスト・キャリアウーマンですが、若い頃からリューマチに苦しみ、体を動かすのが少々不自由になってきています。

7階にあるAさんのマンションからは、はじめの頃、遠くに東京湾とそこにかかる美しいモダンな橋も垣間見ることができました。近くには川に沿って公園があり、あんがい緑の残る下町風情がありました。目の前は小さな町工場になっていて、アジアから来たと思われる若者たちが働いている、とAさんが話していた記憶があります。でも、その工場も今ではべたっとした駐車場にかわり、周囲には次から次へと大型高層マンションが押しよせてきています。区では小学校の数が不足するといった、インフラの対応に苦慮しているとも聞きました。

本当なら春に還暦を迎えたMさんのお祝いを、主にわたしの都合で6月までのばしてもらい、この週末にようやく目的がはたせたのでした。医学関係の雑誌やニュースレターの有能な編集者であるMさんは、3月末の退職後も嘱託職員として仕事を続けています。Mさんの前任者にあたるのが、Rさん。彼女は、この予防医学の仕事をなぜか一年足らずで退き、その後長く江東区にある夜間中学の教師をしていました。このときの経験をつづった文章がひとつの縁で、山田洋次監督は『学校』という名画を作りました。(あの時の竹下景子が演じた繊細な女教師のモデルが、このRさんなのです。)

Rさんの連れ合いは西洋医学の医者ですが、彼女自身はむしろ東洋医学に傾き、鍼灸の修行を積みました。才能豊かなこの女の集まりに参加するときの、わたしのもうひとつのひそかな楽しみは、Rさんの鍼灸治療を受けることでもあります。道具を忘れたときには、力と愛情のこもった両手を駆使して、全身をたたき、押し、もみほぐしてくれます。今回の指圧は、ことのほかききました。仕事がら目を酷使するせいでしょうか、肩こりがひどいのです。鉄板のような肩をもった女といっても、なんの自慢にもなりませんが、首回りと肩のあたりの血行が悪いらしく、常に固さと重さを感じて困っています。それらをほぐしてもらうと、体が軽くなり、心までが晴れ晴れとしますから不思議。Rさんはまた、コミュニティ活動にも積極的にかかわっています。読書会や中学校での朗読会などを主催し、近く彼女の在住する市が考案中という男女平等参画に関する条例作りの委員にも選ばれています。

ホステス役のAさん自身は、長年の温灸実践者。線香を太くしたような形のモグサ数本に火をつけて、手のひらサイズの専用容器にさしこみ、そこから発する煙と熱を患部にあてるようにして、ゆっくりとなでつけていきます。還暦を迎えた特別ゲストのMさんは、数日前はじめてぎっくり腰を経験したというので、さっそく温灸治療を受けていました。Mさんもわたしも、うつぶせになって横たわり、それぞれ温灸と指圧の治療を受けました。こんなあられもないリラックス・スタイルで、からだのことについて、率直な話とサービスの交換ができるのも、気のおけない女の集まりだからこそでしょう。

話はからだのことだけに終始しているわけではありません。心の悩みについても、明かしあいます。近しい人たちがかかえる深刻なストレスや障害に関しても、さまざまなエピソードが飛び出します。それらを話す当人たちも、耳を傾ける者たちも、いたるところで笑いころげてしまいますから、ちっとも悲壮感がありません。不謹慎なのかもしれませんが、ここまで生きてきた女たちには、ユーモアと柔軟な頭が自然にそなわっているにちがいありません。簡単にぐにゃぐにゃとめげることはありません。

団塊世代のシングル中年を標榜する作家の関川夏央(ファンなのですが)のエッセイを読んでいると、わたしより若いにもかかわらず、人生をはかなむおじさん根性がいたるところに出てきます。ひとりで迎えることになるだろう老後の心配が、関川さんをかなり弱気にさせているようです。また、敬愛する(勝手に尊敬しているだけですが)精神科医の大平健先生のエッセイ集にも、さかんに自らをおじさんよばわりする箇所が出てきて、このプロフェッショナルもわたしよりも年下なのにと思わずにはいられません。週末ごとに通う近所のヘルスクラブのプールでは、ジャグジーに30分ばかりつかったまま、みじろぎもしない中年男たちの一群に出会います。わたしと同年齢か少し若いようにも見えますのに。

わたしたち女は、時に自分たちのことを、「あーあ、おばさんしちゃった!」なんて、揶揄することもありますが、心底そんなことを思っているのではありません。キャリアの面や社会進出の度合いでは(少なくともわたし個人は不覚にも)遅れをとってしまいましたが、いえいえ、まだまだおじさんなんかには負けるもんか、負けません。骨太な女たちの集まりは、集うたびに愉快さと味わいを増していくようです。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああ
あああああああ