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早すぎる春

[2002/04/05]

笠井逸子

ことし、サクラの開花は異常に早く、東京の満開宣言は3月21日(春分の日)に出されました。わたしは、その前日、近くの善福寺川緑地公園を、仲良しのKさんと散策しました。サクラがちょうど見ごろなので、いっしょにどうぞと招かれていました。平日でしたが、そぞろ歩きの花見客がけっこう出ていました。花びらが川面に流れ出す前の時期でした。

凝り性のKさんが、ここんとこ熱中しているものがあります。そば打ちです。この日、11時ごろお宅にうかがうと、ちょうどそば粉をこねはじめた時でした。師匠から譲りうけたという大きな金属製のこね鉢(赤ちゃんが湯浴みできそうなくらいのサイズで、練習用です)が、キッチンテーブルの上にのっかっていました。500グラムのそば粉を、こねます。ボール状にこねあがったら、次に畳半分の大きさにつくられた分厚い板の上で、それをのばします。長い棒を使う手つきも、堂々として見えます。薄くのばしたそばは、四つ折りにされ、まな板の上に置かれます。それを、いっきにそば包丁で切ります。息子さんが、誕生日のプレゼントに贈ってくれたという新品の包丁でした。

そば屋が使うゆで釜は、大きくてたっぷりの湯が入ります。火力も強力ですから、そばは25秒もあれば、でゆであがるそうです。でも家庭用のなべとなると、40秒ほど要します。用意されたそばつゆは、プロに教わった材料と分量にのっとって調理され、甘からずからからず、絶妙なおとなの味がします。なにしろ、打ちたてのそばを、その場でいただくのですから、そのおいしさといったらありません。花より団子ならぬ、サクラにそばという、ぜいたく三昧の粋な春の昼下がりでした。

それから5日ばかりたって、親友と横浜に出かけたおりは、すでにサクラは散りはじめていました。横浜暮らしの長かったYさんとは、アメリカ留学時代から親しくしています。ここ10数年は、新潟に居を移し、教鞭をとってきました。わたしが万年非常勤講師でお茶をにごしていた間、彼女は研究と教育一筋に励んできたプロフェッショナルです。大学が休みになると、横浜の自宅にしばらく滞在するという生活が続いています。その間に、時間があるといっしょに横浜や銀座に出かけるようにしています。

桜木町の駅から、だらだらと坂道をのぼるとサクラの咲く公園があるというので、そこまで歩きました。掃部山公園(カモンヤマと読みます)と呼ばれ、井伊大老のでっかい銅像が建っていました。井伊掃部頭(カモンノカミ)直弼の出身である彦根藩(現在の滋賀県)ゆかりの人たちによって建立された像だとのことでした。サクラのあとは、近くにある小さなフランス料理店に入って、遅いランチをいただきました。お料理の味もさることながら、出される食器の趣味のよさにも感心しました。デザートを盛った中皿には、グリーンとピンクの縁模様がほどこされ、春うららののびやかな雰囲気をかもしだします。最後のコーヒーは、安定感のあるふくよかなカップに注がれていました。色は、渋い青みがかったにびいろでした。食事の後は、みなとみらいのショッピング街をぶらつき、お気に入りの「横浜スカーフ」の店に立ちより、それぞれ春もののスカーフを1枚ずつ求めました。ふたりとも、国産スカーフのファンなのです。

その週は、さらにふたつの仲間たちとの集いが計画されました。ワンちゃん関係の隣人たちが、一品持ちよりで、わが家に来てくれました。シーザーサラダあり、ラタトゥユありの家庭料理たっぷりのランチパーティでした。わたしも得意のキッシュを、2種類焼きました。デザートも多すぎるくらいに持ちこまれ、最後はケーキ食べ放題。さらに、3月最後の日曜には、「フリージアの会」と名づけた仲間と銀座に繰りだしました。子供たちが同じ保育園に通った、気のおけない数人のグループです。子供たちは、離れ離れになってしまいましたが、ママたちは、今も年に1度は旅行を楽しみ、数ヶ月おきに銀座に出かけては、家庭と仕事を忘れる時間をもっています。

4月に入ると早々に、教える大学からお呼びがかかります。非常勤講師に対する、新年度のオリエンテーションみたいなミーティングが開かれるのです。いよいよ新学期。わたしも、仕事にもどる時がきました。机まわりを整えて、新しいテキストブックの予習にとりかからねばなりません。でも、まだ抵抗したい気分も残ります。だって、わが家のガーデンにも、本格的な春がやってきているからです。

黄色いキャロライナ・ジャスミンの蕾が、次々に開きます。ヘビイチゴの黄色い小花に混じって、ノイチゴの白い花もチラホラと咲き始めました。薄桃色のアーモンドの花はすでに散りはじめ、ヒメリンゴの白い花にとってかわられそうです。タイム(ピンクの小花をつけた茂みを、すでに発見しました。驚くほどの早咲きです)もミント類も、元気いっぱいに広がりつづけています。虫も出てきました。足もとのオーデコロンミントのあたりで、羽音が聞こえます。ハナミズキの花も、こわごわ花びらを天に向かって広げはじめました。2階の息子の部屋に続くベランダでは、クリーム色のモッコウバラが、かたまりになって、次々に咲いていきます。その息子も春休みを終え、数日前、大学にもどって行きました。わたしも後ろ髪を引かれる思いですが、学校に通う日々が目の前に迫りました。今年の新入生は、どんな学生さんたちでしょうか。


*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああ
あああああああ