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日帰り温泉

[2002/03/08]

笠井逸子

ちょうど2年ぶりの九州でした。86歳になる母が、腰を痛めて入院しているとも聞きました。見舞いも兼ねた、久々のひとり旅になりました。3泊のうち2泊は、幼なじみのFさん宅におじゃましました。ふるさとに帰るたび、彼女の家を訪ねます。

わたしの生まれ故郷は、福岡県の久留米市という所です。Fさんの現在の家は、久留米市に隣接した、佐賀県の小さな町にあります。県は違っても、電話の市外局番も車のナンバーも、久留米のものと変わりありません。Fさんの夫が営むビジネスの拠点も、久留米におかれています。

Fさんは、長年、夫のビジネスを支えてきた有能な営業ウーマンでもあります。多忙な仕事をてきぱきとこなすかたわら、趣味と好奇心を満たすための時間もきちんと見つける人です。月並みな表現になりますが、ごく自然に、まわりの人たちをまきこみながら、人生を楽しんでしまう女性とでもいいましょうか。自分でもときどきいやになるくらい、息苦しい生き方をしていると感じてしまう都会の人間にとっては、彼女の住むふるさとの九州をおとずれ、彼女が企画してくれる「おまかせ旅コース」の日程に乗っかっていると、「ああ、しあわせだな」と感謝の気持ちでいっぱいになります。連れあいのミスターFがまた、生来のエンターテーナーですから、おふたりで旅人をもてなしてくれます。

福岡空港に到着後、高速バスに飛び乗り、筑後川を渡ると、そこにわたしの育ったやや平坦でのどかな故郷の町並みが広がります。Fさんとは、バスターミナル裏の、いつもの花屋の前で待ち合わせをします。わたしを車でピックアップするや、「これから、温泉に直行よ。週末は混むから、きょうしかないと思って」彼女が言います。金曜の午後、女ふたり温泉行きとは、なんというぜいたく。彼女の今いちばんのお気に入り湯まで、連れていってくれるというのです。そこは、熊本県山鹿市(やまがと読みます)にある「湯の蔵」という日帰り温泉宿でした。

週日のせいで、女湯はがらがらでした。大きな湯船のある部屋から、ふたつに仕切った露天風呂も見えます。もちろん、はしごして両方につかります。温泉独特のにおいも色もつかないきれいな湯から、ゆげが立ちのぼります。からだを湯船に沈めると、この温泉の特徴がわかります。ヌルヌル湯なのです。こんなにヌルヌルとした濃厚な湯は、はじめてです。癖になりそうな快適感覚でした。湯船の隅に、小さな木製のマスが置かれています。これで、流れる湯をすくって飲むのです。味はとくにありませんでした。ひと風呂浴びたあとは、ロビーで休みます。ビン入りのミルクを1本飲んで、さあこれから町へもどって夕食です。

金曜の夜、お目当ての焼きとり屋も中華料理店も、どこもかしこも予約でいっぱいだと判明しました。ミスターFの助けを借りて、最近オープンしたというイタリアン・レストランに行くことになりました。ひとあし先に到着して、わたしたちを待ち受けていたご主人は、すでに数皿のオーダーをすませていました。よく笑う若い女性3人組(ひとりは金色の半袖セーター姿でした)、母娘ひと組、勤め帰りの中年男女グループ、恋人たちなどの客で、店はほぼ満席でした。

レストランの隣には、ブティックが2軒並んでいました。1軒は、女性の下着専門店のようです。店の前には、広い駐車スペースが用意され、好きな場所に勝手にお止めくださいとのこと。なんだか、アメリカの小都市にでもいるような気分になりました。このあたりは、昔から洋風のにおいがしました。ブリヂストン・タイヤ社が、工場や社宅、プール、野球場、クラブハウス、バラ園などを、この一帯に集中させて建てていました。赤レンガを敷きつめた舗道には、ケヤキ並木が平行に走っていました。しばらく行くと、わたしが通った高校に出ます。社宅の一部が再開発され、今ではこのようなしゃれたレストランやブティックが並ぶようになったようです。レストランでは、月に一度、ライブ演奏があります。偶然ですが、その金曜の夜、わたしたちはジャズの生演奏と女性歌手の歌を数曲聴くことができました。

翌日の夕方には、小学校の仲間たちが集まってくれました。女性5人が、顔を合わせました。みな元気いっぱいです。ひとりは、数年前に夫を亡くしました。経済的に苦しい時も多々あった、波乱万丈の結婚生活を送った彼女でしたが、その後、かなり年長の頼りになる、新しいパートナーを見つけたというのですから、驚きました。入籍して正式に再婚すべきか、現在のままのフリースタイルでいくか、話題沸騰でした。もうひとりは、ごく最近、離婚を経験していました。この友人は、かつて学生結婚・退学の道をたどった女性です。今では、公園の側に建つマンションにひとり暮らし。フルタイムの事務の仕事につきながら、若い頃からの夢であった小説を書きつづけているようです。

Fさんと過ごす最後の日(3日目の日曜)は、朝からおだやかに晴れていました。このあたりでは、ひな祭りの行事は、旧暦で祝います。近隣の吉井、田主丸、八女のあたりでは、4月3日のひな祭りが近づくと、多くの家々で、昔から大事に保存されてきた雛人形を飾ります。おとずれる一般客に公開するためです。ここ数年来行なわれている、町おこしイベントのひとつです。残念ながら、人形を鑑賞する時間はありませんでしたが、ドライブの途中、森の中に隠れるようにして建つ小さなワイン工場や、アトリエを改造したレストランなどにたち寄ることができました。古い民家を利用して、ブティックやギャラリー、骨董店などが、あちこちに生まれていました。ひなびた山あいの町や村々をドライブしては、ふるさとの自然とあたらしい文化の創造を発見する。Fさん流ウィークエンドの過ごし方のようです。

Fさんの家の広い庭には、大輔という名前のイエロー・ラブラドール犬が放し飼いにされていました。大顔の大輔君は、気立てのいい、たれ目のワンちゃんで、さびしがり屋さんです。近いうちに、弟犬をさがすことに決まっているそうです。自然派のF家では、自家製卵の採取もできるように、ニワトリも数羽飼いたいと希望しています。ブタもいいなという話でした。やさしい大輔君は、ニワトリともブタとも仲良く共同生活ができるだろうとのことでした。いいな、カントリー・ライフ。


*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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