数日前のことでした。なにかをかぎつけたらしい愛犬の小次郎は、昼寝からがばと起きあがると、わたしの書斎めざして駆けだしていきました。通りに面した窓に、両前足をかけ、立ち上がって外をうかがっています。ウーッと不穏な声がします。わたしがのぞく限り、外に異変はありません。下の通りにも、人影はありません。近所の黒猫が、不法侵入している様子もありません。
わたしの書斎の窓から、ハナミズキの木が見えます。2階の東北の角にある、ごく狭いスペースが、わたしの仕事部屋です。家を建てたとき、シンボルツリーが欲しいということになり、ハナミズキを玄関アプローチに植えました。こちらは、赤い花をつけるハナミズキです。白いハナミズキも別の場所に植えました。赤いハナミズキは、しかし、丈ばかり大きくなりますが、ここ数年、いっこうに花をつけてくれません。少し赤みをおびてきたハナミズキの葉っぱのかげで、なにかが動いています。目をこらすと、スズメが2羽見えます。ハナミズキのてっぺんに近い小枝と小枝の空間を、上へ行ったり、下へ行ったり、なにをしているのか、せわしなく移動しています。スズメのなき声が聞こえます。あんがい、大きな声です。小次郎は、この声に反応したようです。
以前、開いた天窓から、スズメが一羽、飛び込んできたことがありました。このときも、小次郎がいち早く見つけて追いまわしました。外に出そうとしましたが、パニックに陥ったスズメは、壁のあちこちに体当たりするばかりで、とうとう勝手口のガラスドアの手前まで、追いつめられてしまいました。闖入者は、たとえひ弱な小鳥とて容赦しないとばかりに、小次郎はスズメを、ぱくっと口に入れてしまいました。「ノー」と叫びましたが、時すでに遅く、かわいそうにスズメは虫の息でした。結局、ショック死しました。カリンの木の根元に、埋めてやりました。記憶力のいい小次郎には、スズメ・イコール・敵という図式が、すりこまれていたのかもしれません。
ハナミズキの英語名は、おかしなことに、dogwoodといいます。なぜ、ドッグなのか、わたしには謎でした。エンカルタ百科事典によれば、「この木の樹皮を煎じた汁を犬の皮膚病につかったことに由来する」と説明されていますが、本当でしょうか。わが家の小次郎も、湿気の高い夏の間、皮膚病に悩まされますが、一度試してみる価値ありでしょうか。汁を患部につけるのでしょうか、それとも飲ませるのでしょうか。ある植物好きの知人にいわせると、ドッグウッドというのは、食べられない、価値の低い実をつける樹木の総称だというのですが。
ハナミズキは、アメリカの南部によく見られる木として知られています。ノースカロライナの州花だったと記憶しています。南部の森の奥ふかく、白い広大なマンションが垣間見え、木立の間に白いハナミズキの花が点々と咲いている。わたしが抱く、アメリカ南部の美しいイメージ風景のひとつです。
9月はじめまでアトランタに暮らしていた大学時代の後輩が、ある時、絵葉書を送ってくれました。ハナミズキの白い花の絵葉書でした。「ドッグウッドの伝説」という文が、印刷されていました。キリストが十字架にかけられた頃、ドッグウッドの木はカシの木ほどに、強くて堂々としていたそうです。そこで、ハナミズキは、十字架の材料に選ばれました。ハナミズキは嘆き悲しみました。そのような残酷な目的のために、使われることになってしまったことが、つらくてたまりません。苦しむ姿を見たキリストが、ハナミズキをなぐさめました。この後、ハナミズキは、決して強い木にはならないだろう。細く、折れ曲がった幹になるだろう。4枚の花びらは、短く、十字架の形になるだろう。それぞれの花びらの先端には、薄茶色のくぎのあとが残されるだろう。花の中心には、小さないばらの冠がつくだろうと。ハナミズキの花びらは、実は変形した葉で、その中心部にかたまっている黄緑色の小さな粒状のものが、花だそうです。
春に咲いた、わが家の数少ないハナミズキの花びらにも、キリストの両手両足を射抜いたくぎのあとが、確かに刻まれていました。ドッグウッドの木のある家のドッグは、温情あふれる伝説も知らず、朝の散歩のでがけに、根元にそそうをします。そんな黒犬を、ハナミズキは黙認しているようです。ハナミズキを植えてよかったと思っています。
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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