むかし、むかし、にしおぎに、ある頭のいい若い女性が住んでおりました。駅の近くのアパートでした。そこに、一度だけ、泊めてもらいました。大学を卒業した4月だったか、5月だったかのひと晩でした。Mさんは、希望どおりの就職ができず、卒業後、デザイン学校のようなところに通いはじめていました。夜は、西荻窪駅近くの喫茶店でアルバイトをしていました。
Mさんとは、高校3年間ずっといっしょのクラスでした。才女というのは、Mさんみたいな人のことをいうのだな、とわたしにとってまばゆい存在でした。正確に観察されたブルータス像のデッサン。わたしがもたもたと輪郭をとらえている間に、彼女は鋭く立体的なデッサンを、木炭紙いっぱいに、さっさと完成させてしまいます。油絵の腕前も、高校生ばなれしていました。ルオーの絵が好きだと、黒く縁取りされた柿の実3個を描いた静物画。背景は、緊張感のある紺でした。
歌もうまかった。カンツォーネがはやれば、イタリア語の歌詞を覚えてしまいます。クラスのバス旅行では、かならず1曲歌いました。1年生の家庭科の授業で、ブラウスを縫いました。制服のブラウス制作でした。Mさんのブラウスは、袖口がほかとはひと味ちがっていました。半袖を折り返した部分に、飾りボタンがついていました。体育の時間には、あたらしいフォークダンスを創作してくれました。全員で、ステップを覚えました。
数学も得意でした。複雑な計算問題の模範解答を、黒板にさらさらと書いてみせます。英語も古文も漢文も、なにもかも優等生でした。クラブ活動は、軟式テニス。2年生のとき、同じクラスだった男子生徒を、ボーイフレンドに選びました。ボーイフレンドが骨折したと聞いて、授業をさぼって、彼の家まで飛んでいってしまいました。豊かな感性をもった、頭の回転の速い、明るく前向きで、かわいい女子高生でした。
高校を出ると、東京の国立女子大学に進みました。哲学専攻でした。サークル活動もアルバイトも旅行も勉強もエンジョイしました。たったひとつ、卒業前にうまくいかないことがありました。就職でした。出版社で働きたかったそうです。Mさんの実力をもってしても、なぜか扉は開きませんでした。それでも、めげずに、ふたたび得意の美術の方向をめざしはじめたMさんに会ったのが、春の宵のにしおぎ界隈でした。それが、彼女と会った最後でした。
数ヶ月後の8月13日、にしおぎのアパートの一室で、Mさんは、ひとりこの世を去っていきました。わたしは、何も知らずに、ハワイ大学に留学中でした。なにがあったというのでしょう。手首を切って死ぬほどに、早々に人生とお別れしたかったのでしょうか。東京の生活は、あじけなく、つらいものだったのでしょうか。アパートで、Mさんは、飲めないわたしに、しゃれたカクテルを用意してくれました。みずからシェーカーを振って。くったくなく、楽しげに、喫茶店に偶然はいってきた、同じ高校出身の男性について語りながら。
その男性が、Mさんの菩提寺を知りたがっている。春ごろ、別の友人から、伝わってきました。なんとなく、わたしはうっちゃっておきました。すぐに調べてあげる気になれませんでした。なにをいまさら、という気持ちもありました。ずっと以前に、一度だけ、冬の寒い日に、お参りにいったことがありました。その寺は、山里の寺というのか、樹木におおわれて少し暗い感じがしました。今訪ねれば、そんな気はしないのかもしれませんが。結局、クラスメートのひとりが、菩提寺の名前と住所を聞きだしてくれました。命日の直前に、その男性に伝わったようです。
あのアパートは、どのあたりにあったのでしょうか。東京の地理にうとい頃、Mさんに連れられて、駅からいっしょに歩いて入った彼女の喫茶店。西荻窪駅の南口から、まっすぐに下りていったような。霧がかかったように、あたりはぼんやりと、もやっていた記憶があります。空気が汚れていただけのことだったのかもしれません。彼女が働いていたその店は、今はもうなくなってしまったのでしょうか。だだっぴろい店でした。床の木目が、茶色ではなく、灰色っぽかった気がします。
菩提寺を知りたがった男性は、わたしに会って話をしてもいいと告げたそうです。わたしとMさんが、親しかったことを知っていたのです。長い間、心の隅にひっかかっていた疑念を、いっきに解き明かせるチャンスが、ようやく訪れたのかもしれません。でも、わたしは、会おうとは思いません。他人に話すことでもないでしょう。ようやく墓参りをする気持ちになった男は、Mさんとじっくり話ができたでしょうか。
直接ことばをかわしたことはありませんでしたが、スポーツ万能の切れ者だったその男子生徒のことは、よく覚えています。大学時代から、小説家になろうと文章修行をしていたそうです。めったに顔見知りに出会うことのない東京の町で、ふたりは危険な接近をしました。故郷の高校の話をきっかけに、Mさんの心は、男性に傾いていったのでしょう。でも、男にとって、女性はみなチャレンジだった。そこに山があるから、と同じです。悪いことに、彼女とのいきさつを小説のネタに使った。わたしやクラスメートたちの推測です。本当のところは、わかりません。
卒業アルバムに、グループ写真が残されていました。Mさんは、ショートカットの頭を、こころもちかしげて写っています。白のブラウスと紺色のプリーツスカート姿です。顔もからだつきもほっそりと見えます。まわりが思うほどに、Mさんは図太くはなかったのでしょう。今思えば、ガラスのように壊れやすかったのかもしれません。先のとがった黒い革靴をはいて、ソックスをくるぶし近くまでおろしています。足を長く見せるためでした。めいっぱいミニにたくしあげた制服のスカートからぶっとい健康的な足をのぞかせている、今の女子高生のことなんて、Mさんは知りません。だぼだぼの醜いルーズソックスをはいて、駅前に群れている、茶髪の彼女たちの青春像も。
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
|