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仕事と読書

[2001/09/17]

笠井逸子

ニューヨークの住人になって30年ほどになるAさんとは、留学時代に知りあいました。舞台俳優をめざしていたのですが、出産を期にビジネスパースンに転向、日本とアメリカの間をとりもつ、ビジネス・コーディネーターとして活躍されています。

Aさんは、テロ事件のあった日、9時少し前に、マンハッタンの地下鉄駅から地上に出ました。ビジネスの打ち合わせに行くためでした。南の方角に、世界貿易センターが見えました。黒い煙が出ています。「火事かな」と思いましたが、なにか奇異な感じがしました。火事なら、煙は上にのぼるはず。その煙は、横へ横へとむくむくと広がっていました。ツインタワーに飛行機がつっこみ、攻撃を受けたことは、ミーティング中に知りました。午後の仕事はキャンセルとなり、帰途につきました。地下鉄が止まっていたので、1時間ほど歩いて、ルーズベルト島の自宅にたどりつきました。無事でなによりでした。

わたしも、出産・子育てのあたりで、職業の方向転換をしました。月金の9時から5時までの仕事をこなすだけの体力と精神力が、不足していると感じたからです。家事も育児も疲れますもの。そして、子供が夏休みになったら、わたしも夏休みでいたい、と単純に願いました。

アメリカ留学時代の友人が声をかけてくれて、女子大学で教えることになりました。15年ほど前のことです。英語と「アメリカの女性」コースを、担当することになりました。飽きっぽい性格なのに、ここまで同じ仕事をつづけてこられたのは、教える・休む・教える・休むのリズムがあったせいかもしれません。数年前から、教える大学が2ヶ所に増えました。

大学がはじまると、かなり忙しい毎日になります。準備をする、教える、その日の授業をリビューする、もっといい方法はないかと探る、新しいメソッドを試してみる、うまくいかないので悩む、などのプロセスが繰りかえされます。自分としては、誠実にやっているつもりですが、学生の受けとめ方は、実にさまざまです。わたしの授業は、ていねいでいいと思う学生もいれば、やさしすぎてつまらないと感じる学生もいます。説明がわかりにくい、厳しすぎる、おもしろい、単調、遅すぎる、速すぎる・・・。クラスの全員を満足させるのは、なかなかむずかしい。

子供が小さかった頃、仕事と育児と家事がいちばん大変だった頃、あんがい女は元気なものです。夏休みになると、保育園の親子仲間で海や山に出かけました。田舎へも、飛行機に乗って、子連れで帰ったものです。かたわら、仕事もやりました。少ないけれど、翻訳や執筆活動も、区立図書館にこもってこなしました。映画も見たかったし、本も読みたかった。時間のゆとりがなくなればなくなるほど、いっそう英語の本を読みたくなりました。

80年代にはいると、アメリカのミステリー界には、たくさんの個性的な人気女性作家が登場しました。サラ・パレツキー、スー・グラフトン、マーシャ・ムラー、アマンダ・クロスなど、女性を主人公にした社会派ミステリー小説が、つぎつぎと発表されていきました。男中心社会において、これまで男の職業と考えられていた分野で、男まさりの仕事にいどむ、自立した女たちの活躍を描いたフィクションを読むと、ストレス解消になりました。自分にはできないことを、ひとりでやってのけるタフな女たちの勇気と知能に、拍手を送りました。ちょうど教えはじめた時期と重なり、アメリカの新しいタイプの女性の生き方が、これらのミステリーにこめられていると感じました。授業でもとりあげ、女子学生に紹介しました。

作品のなかの女たちもパワフルですが、これらのヒーローをつくりだすライターたちも、わたしには想像もつかないほどに、生産的で創造的な女性たちです。アマンダ・クロスという名前は、実はミステリーを書くときにだけ使うペンネームで、本職(?)は、大学の英文学教授だと知りました。フェミニズムの視点から、文学作品を評論する著作で有名な学者でした。子供も3人いるというのですから、家庭と仕事を両立させるスーパーウーマンなのでしょう。ほかの作家たちも、毎年必ず新作を書きつづけていますから、創造力に衰えはありません。作品のなかで、夢のように自由に生きる女たちにあこがれ、それらのヒーローを創りだす作家たちの筆力に圧倒されました。

これらの本を、ニューヨーク在住のAさんが、送りつづけてくれました。まだ、amazon.comのような便利な本屋さんのなかった頃でした。欲しいミステリーの新作を見つけると、彼女に連絡をいれます。Aさんは、忙しいビジネスライフの合間を縫って、129 West 56th StreetにあるThe Mysterious Bookshopに行ってくれました。ミステリー専門のブックショップです。そのうち、彼女の手をわずらわせることもなくなりました。直接本屋さんに、ファックスで注文するようになりました。そして、今では、インターネットの本屋さんです。ほとんど、どんな本も短時間のうちに手に入ります。ときどき、Eメールで、わたし好みのミステリー作家の新作まで、知らせてきてくれます。The Mysterious Bookshopのオーナーであるオットー・ペンズラーさんが選ぶ、お薦め新刊リストまで、送信されてきます。サラ・パレツキーの新作も予約できます。学校がはじまる前に届くといいのですが。

参考URL:
アメリカの女性ミステリー作家 http://www.sistersincrime.org/


*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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