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夏の思い出

[2001/09/05]

笠井逸子

ことしの夏は、いつもと少し違う夏でした。8月はじめに、息子が大学からもどってきました。これは、例年のことです。夕食の量が増えました。献立も、やや変化しました。普段はあまり作らないキッシュを、2度焼きました。ステーキも2度、食卓にのぼりました。

わたしは長年、大学の非常勤講師をつとめています。8月と9月のほとんどが、夏休みです。8月は、帰省中の息子のために、おいしい物をたくさん作り、少し太らせて大学にもどしてやります。あとは、好きな読書に時間を取れればいいな、という程度のささやかな夏休み計画しかありません。

ところがです。ほぼ1ヶ月前の7月31日のことでした。わが家のはす向かいのお宅に、迷い犬がやってきました。Yさん宅には、オス犬のケルン君がいます。あいにくと、Yさん夫婦は、海外旅行中で留守でした。猛暑の昼下がり、ケルンと見知らぬ茶色のメス犬が、仲良く、ガレージの赤い車の下に、寝そべっていたのです。裏のIさんにも、見てもらいました。お隣のHさんにも、来てもらいました。でも、だれも見たことのないワンちゃんだと言います。赤い首輪をしています。

このあたりでは、まいごの犬を見つけると、まずは塩田動物病院のポッポ先生の所に連れていくならわしになっています。親切な若手の獣医さんや助手さんたちが、ポスターを作り、手分けして、飼い主を探してくれます。自分の犬の姿が見えなくなった場合も、とりあえず、ポッポ先生の所に走ります。保護されている可能性が高いからです。

わたしたちも、この迷い犬をなんとか保護して、ポッポ先生の所に連れていこうと努力をしました。ドタバタといろいろあったのですが、結論を言うと、わたしたちの善意とは全くの逆方向に、ことは進んでしまいました。その日の夕方、ワンちゃんは、都の動物保護センターに連れていかれました。あれよあれよのできごとでした。1週間たって、飼い主あるいは里親があらわれない場合、このメス犬は、殺されてしまう運命になったのです。

かかわってしまったお隣のHさん、裏のIさん、そしてわたしの3人は、悩みに悩みました。翌朝、Hさんに会うと、「わたし、仏様にお願いしてました。きのうは眠れなくて」ほとんど涙声です。わたしも、寝苦しい夜を過ごしました。Iさんに運転してもらい、荻窪駅近くの保健所に出向きました。でも、飼い主ではないわたしには、その迷い犬をもらい受ける資格がないの一点張りで、らちがあきません。

保護センター職員との何度かの電話のやりとり、塩田動物病院で作ってくれたポスター貼り、近所の犬愛好家たちの熱意と協力、みんなの胸の痛みと何百回かの大きなため息の後、迷い犬を、保護センターから引き取ることに成功しました。8月16日のことでした。

ワンちゃんに、わたしたちは、ミミちゃんという名前をつけました。予定どおり、塩田動物病院に一時的に預かってもらいながら、飼い主または里親を探すことにしました。朝と夕方、ボランティアのわたしたちが、交替で散歩に連れだしました。ミミちゃんは、散歩のお迎えが来ると、しっぽを振り振り、体いっぱいに喜びを表現しながら、動物病院の奥の部屋から出てきます。こんなにいとおしいワンちゃんを、飼い主は捨ててしまったのでしょうか。犬なんて、いつかひとりで帰ってくるもの、とたかをくくっているのでしょうか。ミミちゃんの瞳は、どこまでも澄みきって、けがれがありません。

料理をこしらえ、amazon.comで注文しておいた本を読みながら、優雅に夏を過ごそう、と安易に考えていたわたしでしたが、毎日が、ミミちゃんミミちゃんで明け暮れることになりました。ミミちゃんの行き先は、里親になってくれそうな家族もあらわれたのですが、すでに成犬であり、完全な健康体でもない点などを考慮し、最終的にはボランティアのなかのおひとりが引き受けてくださることになりました。ミミちゃんが、わが家の近くに姿をあらわしてから、ひと月と少しがたっていました。ミミちゃんの長く暑かった夏が、ハッピーエンドで終わりそうです。

*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。

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あああああああ