犬を飼っていると近所づきあいが、スムースにできる。そんなことが、中野孝次の『ハラスのいた日々』に書いてありました。同感です。
一軒家で暮らすようになって、ほぼ5年になります。新しい家に引っ越して、半年ほどたって、ボーダーコリーの小次郎が、わが家にやってきました。
それまでは、マンション住まいでしたので、と言うか、マンション住まいだったせいか、親しい近所づきあいは、ほとんど経験しませんでした。仕事関係以外のつきあいというと、子供を通しての知り合いということになりました。
その子供も、今の家に越したときには、すでに高校生でした。親同士のつきあいは、深まりませんでした。今さら、PTA活動でもないと思いましたし、なるべくなら、あまり関係したくないと考えていましたから。
お隣には、シェルティーのオス犬が飼われています。斜め前のお宅にも、雑種のオス犬がいます。わが家と同じ並びを5、6軒行くと、もう1匹オス犬。その反対側には、数ヶ月前まで、メス犬のナナちゃんもいました。黒犬のナナちゃんは、ラブラドールとダックスフントが混じったような、愛嬌のある短足ワンちゃんでした。突然の病死でした。
息子は高校を卒業し、東京を離れました。それ以後、朝の小次郎の散歩は、わたしの役目になりました。犬を連れて、近所を歩き回るようになってはじめて、わたしにとっての、本当の近所づきあいが始まりました。
小次郎は、遠くに犬を見つけると、その場で腹ばいになり、一歩も動かなくなってしまいます。これ、牧羊犬の特徴的なしぐさのひとつと聞いています。相手が近づくのを、このままの姿勢で待ちます。しっぽを振りはじめると、親愛の印。しっぽが動かず、のそりとたちあがりかけるのは、警戒警報。メス犬や小型犬の場合は、問題ないのですが、大型犬が相手となると、攻撃されたわけでもないのに、不機嫌になります。小次郎も男ですから、いちおう、相手に弱いところを見せないということでしょうか。こちらも油断禁物。
犬同士が仲良くなると、当然のことですが、親同士、ではなかった、飼い主同士の距離も近まっていきます。どんな犬とも親しくしてくれれば、すべての飼い主さんと会話ができるのですが、残念ながら、今のところ、そこまで理想的にものごとは、進んでいません。
とはいえ、わたしが朝の散歩をはじめて以来、小次郎のつきあいを媒介に、多くの隣人たちと親しくなりました。犬がいなければ、決して、話をすることなどなかった方々かもしれないと思うと、小次郎に感謝感謝です。犬を連れている者同士だと、なぜか、すんなりと声をかけあうことができるのです。犬がいなければ、この国では、見知らぬ人に、「おはようございます」なんて、言えませんものね。
小次郎の一番の仲良しは、斜め裏の2匹のメス犬たち。I家に飼われる雑種のクッキーちゃんと、ミニアチュア・ダックスフントのチョコちゃんです。聞くところによると、クッキーは、Iさん一家が10数年まえに、今の家に越して以来、飼われているといいますから、かなりの年です。少々、目が不自由になりました。息子さんのひとりが、どこからか拾ってきたワンちゃんだそうです。一家そろっての動物好き。ひところは、ガレージに置かれた水槽に、スッポンが入っていたこともありました。元気のよいスッポンで、すくすくと育っていました。
何か用があって、Iさんに電話をするとします。おつれあいが、電話を取られます。「Iさんのお宅ですか。ご近所の笠井ですが・・・」と言いましても、男性には、だれのことやら。「あの、小次郎の母です」(笑いながら)と申しますと、いっぺんに通じます。
参考URL:
オーストラリアのボーダーコリー http://www.crystalledge.com/
*筆者(かさい・いつこ)は『グリーンフィールズ』の訳者。東京都杉並区に在住。夫とボーダーコリー(小次郎)と住む。
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