本年(2022年)も、東京国際映画祭で世界各地からの映画を見ることが出来た。
人生のクリーム
処女作『ビフォア・ザ・レイン(Pred doždot/Before the Rain)』でベネツィア映画祭の最高賞、ゴールデン・ライオンを獲得し1994年鮮烈なデビューをした北マケドニア(当時はマケドニア)のミルチョ・マンチェフスキ。1959年北マケドニアの首都スコピエに生まれ、十代でアメリカに渡り大学で映画専攻の後、ミュージック・ビデオの世界では知られていた才能である。バルカンとロンドンを舞台にし、最初は独立しているように見える3つのストーリーが、最後に融合するのが見事であった。第二作『ダスト(Dust)』は、2000年のニューヨークからアメリカの100年前の西部へ、そこから対トルコのバルカン戦争へ赴く兄弟をめぐり、時空を超えて往復する野心作である。2001年のベネツィア映画祭のオープニングを飾り日本でも劇場公開されたが、その後の作品『影たち(Senki/Shadows)』(07)『母たち(Majki/Mothers)』(10)は日本で劇場公開されず、シネマ・ユーゴで上映されたのみ(本コラム(10)(20)参照)である。『柳(Vrba/Willow)』(19) は京都の映画祭でオンライン上映された。
『カイマック(原題:Kaymak)』(北マケドニア、デンマーク、オランダ、クロアチア共同製作)の東京国際映画祭コンペテイション部門の上映で、監督は3回目の来日を果たした。
カイマックとは、ミルクから製造されるクリームのことで、バルカンでは南部の特産品である。映画は、カイマックを市場で売る女性ヴィオレッタが客で妻帯者の銀行警備員カランバを魅惑する場面から始まる。処女作『ビフォ・ザ・レイン』から顕著なマンチェフスキの「3」のテーマが本作でも浮かび上がる。それは、2組の3人の男女の関係性をどう維持していくかというストーリーで、その2組の3人の男女6人の運命が映画の終盤ではまた見事に融合する。
映画の舞台はスコピエで、富裕層の2組の夫婦の会話で始まる。ニュース・キャスターのエヴァは友人に子供を作るように勧められるが、彼女は妊娠中のぶざまな姿や肉体的苦痛が嫌だと主張。エヴァの夫は子供を欲しがっているので彼女は一計を案じる。生まれ故郷の田舎の親戚に、難産で生まれ精神に障害のある若い女性ドスタがいるので彼女に代理母となってもらうように彼女の叔父に頼む。叔父は金を積まれてそれに同意する。
エヴァ夫婦の近所に住むカランバは通りすがりの美しい女性を眺め回す昔ながらの助平男であるが、自宅では妻ダンチェの行動や気持ちを無視している。彼は市場でヴィオレッタに誘惑され自宅に連れ込む。そこへ妻ダンチェが帰宅し怒り狂うが、いつの間にかこの女性2人が恋に落ちてしまう。
マンチェフスキの前作『柳』は、時を超えて子供を熱望する男女3組のストーリーであったが、本作はそのテーマを継承・発展させている。金の力で何でもやりたいことを押し通そうとして他人の気持ちを傷つけても平気な富裕層は都会の豪華なマンションに住んでいるが、彼らの希望を受け入れる人々の村は産業もなく経済沈滞に悩んでいる様子である。貧富の差が広がり、経済的階級差の摩擦によるドラマが生まれている一方、社会的変化で新しいかたちの愛が実践されている。それを女性はすんなりと受け入れるのだが、男性はそれにたじろぎ悩むという関係について、本作は風刺を効かせながらブラック・コメデイーで描いた
草原の静謐さ
都会で長男の家族と住んでいた母の認知症が進み、独身の次男アルスが母を引き取る。ミュージシャンなのでどこでもコンピューターで仕事は出来るからと、次男は家族がかつて住んでいた平原の中の家に母を連れて行き一緒に住む。山や池に囲まれた自然の豊かな環境に母は歓喜するが、彷徨する母が危険な場所にも行ってしまうので、アルスは母と自分をロープで繋ぐ。それが『へその緒(原題:臍帯)』(中国製作)という題名を象徴的に表現している。
一見静かな環境だが、耳を澄ませば山や池ではそよぐ風や虫や鳥が様々な音をもたらしていると母は目を輝かせて告げる。勝手に行動して問題も起こすが、豊かな自然に目を開いてもくれる母をアルスは優しく見守り音楽に精進する。彼は故障した家の中の電気を直しに来て、何かと助けてくれる地元の若い女性と恋におちる。
草原の夜、祭りの篝火に集う人々に散る火花が目に染みる。内モンゴルのシンプルなライフ・スタイルに流れる充実した人間関係。およそスターとは言えない素朴な風貌の母と息子。観ていて心が温まる。女性監督チャオ・スーシュエは1990年、内モンゴル自治区に生まれ、フランスの映画学校で学んだ後に多数の短編映画製作に参加し、本作が長編第一作である。遠い国の人々の生活、心情、風景をさりげなく見せてくれる本作に、映画を観る喜びの真髄を見た。
2人の旅
木の棺桶を引き摺りながらヒッチハイクを続ける老人ムサと孫娘ハリメの旅を描く『クローブとカーネーション(英語題名:Cloves and Carnations)』(トルコ、ベルギー共同製作)は、抑えられた台詞で沈黙が支配する時間を観せる。トルコ南部のアナトリア地方。凍てつく地面に座ってずっと車を待つ2人。路上では親切な運転手がいて、初めて会ったのに棺桶をトラックに荷台に乗せてくれて、自分の目的地に近づくと別の運転手を紹介してくれたりする。農婦がトラックを運転しながら孫娘に飴玉を、老人にはクローブをくれる。
野宿することになった2人が洞穴の中に落ち着き、老人は火を焚いて棺桶の中身を取り出すと、布に包まれた中身は見えないながら死体と思える物体である。死体を折り曲げて火の前に置き、ハリメに火の横の棺桶の中で寝るように言うのは、棺桶の中が少しでも暖かいからだろうか。そして死体も暖めてあげているようにも見える。
旅の途中の会話で、死体は老人の妻で国境を超えた故郷に葬る事を約束したため、身寄りのない孫娘を連れて故郷を目指していることが語られる。しかし国境の手前で逮捕されて2人は警察署に連れて行かれる。
老人の強い願いも却下されて、国境に近い場所で亡き妻は葬られることになる。棺桶の中にクローブが入れられ、ハリメが描いた祖母の鉛筆画と真っ赤なカーネーションが供えられる。それまで暗色の画面が続いていたので、この赤色は衝撃的だ。この場面の前に、警察署でハリメに供されたミルクがこぼれて地面に白い液体が広がる色彩と対応している。
ベキル・ビュルビュル監督は1985年トルコの中南部都市コンヤ生まれ。地元の大学でコンピューター・システムを学んだ後、イスタンブールの大学院で演劇を専攻。イスタンブールの高校で演劇・映画を教えながら俳優として舞台に出演していた。短編を経て2018年に長編映画を作り、本作は長編2作目。
監督が上映後のインタビューで語ったことには、自分の父もいつも故郷で死にたいと言っていた。そのことと、死体を故郷の国に運ぼうとして逮捕された難民のニュースを新聞で読んだことを基に、妻と脚本を書いたと言う。映画の中で少女がトルコ語の通訳を祖父のためにする場面があったので、祖父が外国人であることが示唆されるが、監督によれば祖父と孫娘を演じたのはトルコに住むシリア難民だそうだ。しかしトルコには難民が多く、アフガニスタン、ウクライナ、ロシアなどの難民もいる。この映画の中で2人をシリアからの難民というようには特定していないし、政治的メッセージではないそうだ。
辺境な村
コンペティション部門でグランプリ(作品賞)、ロドリゴ・ソロゴイェンが監督賞、ドウニ・メノーシェが男優賞を受賞した『ザ・ビースト(原題:As Bestas)』(スペイン・フランス共同製作)は確かに心にずっしりと響く作品である。
スペインの北西部ガリシア地方の人里離れた山村に、フランス人で高校教師を退職し移住して来たアントワーヌとその妻オルガは、村の空き家の数々を自費で修復しながら無農薬野菜栽培をしている。酪農に携わる隣のシャンとロレン兄弟は中年だが独身で、太陽光発電を誘致して一儲けを企んでいる。彼らは、それに反対するアントワーヌ夫妻を敵視し始め、彼らの嫌がらせが度を越してゆく様を手堅いスリラーで見せる。
そこには過疎地の経済的・社会的問題、辺境なコミュニティのよそ者に対する反発、知的・経済的エリートに対する取り残された人々の反感など、世界のどこでも起こり得る普遍的な問題が浮かび上がる。寡黙だがスペイン語(地元のガリシア語だろうか)を覚え、隣人の理不尽な行動には反撃し、良識ある村人とは友情を育む当たり前な良識人、アントワーヌを首がないほど小太りの猪型体躯から醸し出すオーラでメノーシェは好演している。
夫アントワーヌが行方不明になり、オルガと娘はグズグズとして迅速に対応しない地元警察に対しフラストレーションを溜めるが、その警察も完全に悪ではなく何とか地元で波風を立たせないように苦慮している感じがリアルに描かれる。曇りの日や薄暗い朝方、夕方など全体的に暗い色調で、閉鎖的コミュニティの息苦しい閉塞感がじわじわと画面に広がっている。
ソロゴイェン監督は1981年、スペインのマドリードで映画監督の孫として生まれ、マドリードの映画学校で学んだ。本作は長編映画6作目である。
こうしてみると、現在の世界各地の日常の問題が映画化され、それが世界のどこでも見出される普遍的問題として表現されている映画の数々であった。
写真
『カイマック』©Banana Film, Meta Film, N279 Entertainment, Jaako dobra produkcija, all rights reserved, 2022 © Maja_Argakiaevj
『へその緒』写真提供 東京国際映画祭
『クローブとカーネーション』写真提供 東京国際映画祭
『ザ・ビースト』© Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E, Le pacte S.A.S.