夏が終わりNY(ニューヨーク)の秋の風が心地よく感じられるようになると、今年(2022年)もNY映画祭の季節だ。今回60周年となる本映画祭。日本のテレビ局からの依頼で私が1983年に最初に取材してから、あっという間に39回目となった。私もフルタイムの仕事が忙しかった1980年代末から2000年半ばまでは、なかなか見に行けない年もあったが、時には休暇を取ってでも映画祭に行っていた。
NY映画祭は1990年代初頭までは20数本の作品数だったが、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアなど世界の映画祭で話題となった作品を厳選して一挙に見せてくれる有難い存在であり、世界の映画の最先端を体験することができた。会場のリンカーン・センターの映画上映施設が拡大されるとともに、上映される作品も回顧展、実験映画、短編など増えてきた。
本年はマンハッタンの主会場であるリンカーン・センターの他、ブルックリン、クイーンズなどNYの全5区を網羅する別会場での上映もあり、大いに盛り上がった。コロナの影響で2年前は全部オンラインか戸外のドライブイン・シアターであった上映も、昨年からは劇場に戻っている(詳細はこちら)。
欧米など先進国ではない東欧、中央アジア、アフリカ、中南米、アジアなどの地域から来る映像に私はいつも特に興味を持って見るのだが、今回劇場でのプレス関係者向け上映の長編41本、オンライン上映で長編6本、短編17本を見て、その中で特に心に残った3作品について紹介したい。
グラスの音楽
題名の『R.N.M.』(ルーマニア・フランス共同製作)とはルーマニア語で「核磁気共鳴」のこと。時は現代、舞台はルーマニアの中北西部、トランシルヴァニア地方の寒村である。この地方は昔からハンガリー系住民が多く、第二次世界大戦前はドイツ系住民もいたが戦後追放されたという。ハンガリー系の人たちはルーマニア語も話すが、ルーマニア人はハンガリー語を話さないらしいことが映画の中で示される。
映画は、朝、雪の積もる森の中を歩く少年が何かを見てびっくりした表情で踵を返し、来た道を走って戻るシーンから始まる。それ以来少年は言葉を話さなくなり、ドイツに出稼ぎに行っている父親のマティアス(マリン・グリゴーレ)が急いで帰ってくる。出稼ぎ先の屠殺工場の職場で電話しているところを上司に「この怠け者のジプシー」と罵られ、激昂して上司を突き倒して怪我をさせてしまい、慌ててその場を去るのだ。
久しぶりに帰宅したマティアスは妻のアナとはしっくりいっていない。彼はかつての愛人ツィラ(ジュデイト・スタテ)を尋ねてよりを戻そうとする。ツィラはチェロを趣味で演奏しているインテリで、一人暮らし。最初は気が進まない風だが、彼と関係を持ち始める。
ツィラが管理するパン工場は人手不足で、何週間も募集を出しているが最低賃金のため、時間外はその2倍という条件でも地元からは誰も応募しないので、エージェンシーに紹介されたスリランカ人男性2人を雇う。肌が黒くルーマニア語を話さない2人は、すぐに村では歓迎されない存在となる。ほどなくもう一人のスリランカ人男性が到着したところで、不満が爆発してパンの不買運動となり、村人は署名を集めて3人の外国人の即時解雇と追放を求め、集会が開かれる。
西欧でルーマニア人はジプシーと蔑まれるが、ルーマニア人は自分の国ではジプシー(ロマ)を堂々と差別する発言をし、ハンガリー系住民に対しては自分が相手の言葉を学ぼうという意識は皆無で、「ハンガリー語ではなくてルーマニア語を話すように」と要求するような無神経さを見せる。肌の色が違うスリランカ人に対しては「我々とは衛生概念が違うから、食物を触らせてはいけない」と懸念する医師もいれば、「2人から3人、あっという間に大群になって押し寄せる」と、どの先進国でも右翼が移民・難民に対しての偏見を語る言説で主張する村人もいる。そして「スリランカ人はムスリムだから」と村の教会に彼らが来ることを拒否するが、スリランカ人たちはカトリックであることが明かされる。
パン工場の経営者もツィラもハンガリー系であるが、反対運動に署名した中にはハンガリー系住民もたくさんいる。「やっとロマを駆逐したのに、今度はまた外国人が来てしまった。彼らは自分の国に住むべきだ」と反対者たちは口角泡を飛ばしながら主張する。
不景気が続く村では、若者はより良い賃金を求めて西欧へ出稼ぎに行き、残された者たちは仕事もなく不満をつのらせている。そこへ来たのが異国の人々で、映画の題名「核磁気共鳴」が示すような不満の波の大振幅に発展する。
差別的な人々が大半の村でも、パン工場の人々は偏見なくスリランカ人たちに接している。外国人労働者反対に署名した200人余に対して、工場の人はほぼ全員が受け入れ賛成に署名したようだ。しかしその数は約20名で、反対の1割ほどにすぎない。
この村の森の生態観察に来ている自然保護団体のフランス人男性は、自国では移民も社会に統合していると主張するが、彼の存在は興味深い。森の動物を保護するためにこの村に滞在している彼に対して、村人の生活に害を及ぼす熊を保護するなんてとんでもないと村人の不満がそこでもおこるのだが、そこには確かに先進国の欺瞞や後進国に対する西欧の無意識的な優位主義も存在しているように見える。
集会でまさに住民たちの不満が沸騰しそうになった時、マティアスの病身の老父が森の中で首吊り自殺をしているという報が届き、人々はマテイアスを先頭に森へ駆けつける。
その集会の後、パン工場の経営者は事業存続のためスリランカ人たちを解雇する決定をするので、それに抗議してツィラは工場を辞めドイツでの仕事を受けることにする。移民反対運動の人たちと群れているマティアスにも別れを告げる。
マティアスの息子が森の中で見たものは最後まで明かされない。マティアスが息子に付き添って森の中を歩いていた時に、浮浪者のような人影が見えるのでそれだったのかもしれないし、息子に教えた罠を仕掛ける方法でかかったような獣だったのかもしれない。しかし恐るべきものは偏狭な人々の言われのない差別感だと、寒々とした冬の森の風景が語っているようであった。家族やコミュニティが温かい気持ちで集うべきクリスマスの時期にこのストーリーを展開させるのは、作劇上の効果を狙う意図的設定であろう。そしてこの村の人々は、まさに今日の世界各地で展開している反移民・難民の動きの縮図である。
クリスティアン・ムンジウ監督(1968年生)は、第60回カンヌ映画祭パルム・ドール(最高賞)を獲得した『4ヶ月、3週間と2日』(2007年)で一躍国際的に著名になった。堕胎が禁止されていたチャウシェスク独裁時代に妊娠してしまった女子学生の1日を描くもので、その後も社会問題に切り込む作品を続々と作り続けている。アメリカ公開が決定している本作もオリジナル脚本で、現在、世界的に展開している様々なかたちの差別がどのように発生しているのかの根本のところを探索している。それとともに、移民を自分たちと同じ人間として見て接するパン工場の人たちも描いていて、私はそこに救いを見た。
ツィラのヒューマニズがどこから来ているのかは説明されないが、彼女は下宿先を追い出されたスリランカ人たちを自宅に住まわせ、テーブルに並ぶスリランカ料理を一緒に囲み、彼らの故郷の家族とのオンラインでの対話に参加する。スリランカ人の一人が、水を入れたグラスでボツボツとメロディーを奏でて見せると、音楽家のツィラもそれに続けてグラスをフォークでメロディーを叩き音楽を披露する。そこへ窓から爆発物が投げ込まれる。この場面では、人と人が基本的に繋がることが出来るということを、日常の一場面から見せている。この場面こそが、間違った人間社会に立ち向かう映画の力を発揮していた。
エオの濡れた目
イエジー・スコリモフスキ(1938年生)は、かつてアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキーなどの脚本家、俳優として1960年代初頭から活躍し、その後3本の監督作を経てポーランドを去り、西欧での作品で国際的にも注目された。彼の7年ぶりの監督作『エオ(EO)』(ポーランド・イタリア共同製作)は84歳での健在ぶりを示した異色作で、オリジナル脚本はスコリモフスキとエヴァ・ピアスコヴスカの共同。何が異色かというと、主役は物言わぬロバで、最近台詞過多のやかましい映画が多い中、その静けさが心に響く。本年(2022年)のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞している。
エオと名付けられた灰色のロバは、大人しく従順だ。冒頭では、移動サーカスで若い女性芸人からの愛情をたっぷり受けている。サーカスの中でエオに荷物をたくさん運ばせて虐待する男もいるが、そこへ動物愛護協会の人々が来て、象などのサーカスの動物を全て解放し、エオは農場に運ばれる。
女性芸人は夜に会いに来るが、程なくエオは農場を脱出して、トコトコと森や丘を横断。街に着いて、サッカー試合の熱狂ファンたちに巻き込まれる。しかし負けたチームの復讐の巻き添えになって大怪我をするが、動物保護団体に助けられる。そこで意地悪な職員を後ろ足で蹴って、また旅を続ける。おとなしかったエオが突然反撃に出るこのエオの行動力に、私は感嘆した。
旅を続けるエオは捕獲されてイタリアに売られる直前、彼を運ぶ気のいい運転手が殺されたので、通りがかりの若者について行く。この辺り、エオの旅がやや波乱万丈になっていく。若者が家に着くとそこは貴族の豪邸で、やんごとなき風の貴婦人が現れる。演じているのがフランスの女優、イザベル・ユペールなので、突然の大物女優の登場に観客はどっと笑ってしまった。彼女は若者の義理の母親のようで、エオは庭でのんびり草を食んでいたが、その家族の争いを見て心の平静を乱されたのか、開いていた門を見てそこから外へ。彼の旅は続くというところで終わる。
物言わぬエオの心に何が起こっているのかを見せるように、本作では、エオの大きな目のクローズアップがしばしば挿入される。彼の濡れた目には、いつも何か彼の周囲のものが写っている。それには控えめな喜びやそこはかとない哀しみが宿る。エオが接する人間の温かさや冷たさが、見るものにも伝わってくる。
この名演者エオを、実は6頭のポーランドとサルディーニャ出身のロバが代わる代わる演じたという。やはりロバを描くロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』(1966年)を見て、初めて映画で涙を流したとスコリモフスキ。その後涙を流した映画がないので、自分もロバを主演に映画を作ることにしたと監督は述べている(本作の英語プレス資料より)。本作もアメリカ公開が決まっている。
スーダンの雨
『ダム(The Dam)』(2022年、フランス、レバノン、スーダン、ドイツ、セルビア、カタール共同製作)の舞台はエジプトの南、スーダンの砂漠地帯である。アリ・チェッリ監督(1976年生)はレバノンのビジュアル・アーティストで、本作が初めての映画監督作品。
犬が枯れ葉色の砂の丘をテクテク歩きながらうろついている冒頭のイメージから、私は惹き込まれてしまった。小屋から出てくる男は数人の男が働いている煉瓦工事現場へ行く。彼の名前はマヘル(マヘル・エル・カヒル)で、現場監督からオートバイを借りて別の場所へ行く。そこで彼は泥をこねて積み上げ、4メートルぐらいの像を作っている。これが何なのかは説明されない。
寡黙なマヘルはほとんど喋らない。「自由、民主主義、平和」 とデモ隊が叫び、軍隊が大統領を解任したが行方不明者多数で、多くの死体がナイル川に浮かんでいるというニュースがラジオから流れて来る。マヘルや労働者たちはそのニュースを黙って聞き流し、それについての話もしない。横腹に傷があるマヘルが砂塵を巻き上げながらオートバイで街に行き、クリニックで手当を受けるが、街ではアラビア語で「市民的不服従」という落書きが金持ちらしい広々とした家の塀に、また「軍事政権を倒せ」という落書が将軍のポスターに書かれている。市民の反政府運動が進行中らしいが、表立ってそれは語られないままである。
ダムで堰き止められた水のところで労働者の何人かが泳ぎ、シャンプーで髪を洗って水に潜った男が水から出て来ないまま、シャンプーの泡が水面を流れるイメージでその場面は終わる。映画の後半、労働現場から一人行方不明になったと彼らが話している。マヘルが「警察」と書かれた掘建小屋を通ると、古ぼけたライフル銃を持つ警官が一人居眠りをしているような、のんびりとした時間が過ぎて行く。マヘルはその後、川で死体を見つけるが、それが行方不明だった同僚のようだ。警察署に比べると葬儀場はかなり立派な建物で、家族が呼ばれムスリムの葬儀が執り行われて死体は埋葬される。その後の星空が印象的だ。
マへルが川で髪をシャンプーで洗い、その泡が流れ、その先に赤い血のようなものが水面に見えるが、その正体は示されない。マヘルがダムの上で電話している相手も誰かわからないが、遠く離れた場所に住む家族かも知れない。
マヘルの夢の中で、鳥の声にお前の夢は実現しないと言われる。雨の後、夜に彼が作っていた泥の像が崩れる。翌日それを見つけたマヘルは涙を流す。小屋に戻ったマヘルは、その辺りをうろついていた野良犬を呼び寄せて食べ物をあげた後に石を手に持って打ち下ろし、画面の外でキャンという犬の弱った声が聞こえるので殺したようだ。その後、川で泳ぐマヘルは川の中に泥の像を見る。
まるで無声映画のような極端に少ない台詞で、ダムの近くの砂漠で働く人々の生活や心情がたんたんと静かに流れて行く。説明過多でないだけに、観ていて色々考えさせられる。脚本に参加しているフランスのジェフロイ・グリソンを私は知らなかったが、ベルトラン・ボネロは『ノクトラマ 夜行少年たち』(2016年)のような個性的な映画を作る作家である。犬を殺すところが耐えられなかったと話していた人もいたが、私には像を壊されたマヘルの荒涼とした絶望感の表現として捉えた。
写真クレジット
R.M.N.: Courtesy of Mobra Films, An IFC Films Release.
EO: Courtesy of Janus Films and Sideshow.
The Dam: Courtesy of Films at Lincoln Center.