(48)ルーマニア映画のお家芸
[2022/4/16]

 ニューヨークで毎年開催されるルーマニア映画祭「Making Waves(波を作る)」(詳細はこちら)が、郊外のジェイコブ・バーンズ・フィルム・センターのオンライン上映プログラムとして本年(2022年)3月末に開催された。昨年(2021年)末、本会場で劇場上映された2本の劇映画を含む、9本の長編映画と9本の短編映画特集である。毎年たとえ1作品でも必ず観てきた私は、今回でもう16回目になったのかという感慨とともに、今回は全ての作品を見ることができたという幸運に恵まれた。現在のルーマニア社会を描く劇映画から、自ら家族を描くドキュメンタリー、フィクションとノンフィクションの狭間を行く実験的な野心作、視覚デザインや音楽が独特な短編アニメまで様々な作品群であった。
 そこで突出していたのは、緊迫した状況に巻き込まれた主人公の焦燥感の表現の見事さである。ルーマニアを世界の映画地図の主要な場所に押し上げ、ルーマニア映画はここに在りという存在を示した2007年のクリスティアン・ムンジウ監督の『4ヶ月、3週間と2日』(日本公開は2008年)も、1980年代の若い女性がチャウシェスク独裁時代に禁止されていた堕胎を体験する、絶望的な状況の1日を描き、手に汗を握るものであった。その後アメリカで公開された2005年のクリスティ・プイウ監督の『ラザレスク氏の死』では、夜中に心臓麻痺を起こし救急車で病院をたらい回しにされる老人が、緊迫感を持って描かれていた。人間が直面する暗い現実や重い空気、出口なしの状況に追い詰められた主人公の焦燥を描くサスペンスは、ルーマニア映画が得意とするジャンルであると、今回改めて思った。

警官の秘密
 『ケシ畑』(Poppy Field/Camp de maci、2020年、詳細はこちら)は、車で訪ねて来たフランス語を話すムスリムの恋人を迎えるクリスティのアパートから始まる。映画はそれから勤務先に向かうクリスティの場面になるが、彼は警官である。数人の同僚と共に派遣される先は、同性愛を描く映画の上映に反対派が乗り込んで騒ぎになっている劇場である。そこではルーマニアの国旗やイコン画を手に、ルーマニア国歌を歌い公立の劇場での同性愛映画上映に抗議する人々が、上映の主催者や観客と激しい論争をしていて、ロビーでは一蝕即発の事態となっている。
 同性愛映画支持派の1人の男が警官のクリスティを見て、かつて付き合っていたことを覚えていないかと話しかけてくる。同性愛者に対して差別どころか敵対する発言をする同僚たちの手前、クリスティはしつこく迫るその男を誰もいないところで殴りつけてしまい、それを収めようとする同僚たちによって、誰もいない劇場でひとり待機するように命じられる。自分に降りかかってきた災難をどう切り抜けるか必死に対処しようとする彼の追い詰められた心理状態が、彼の表情を間近にとらえるクローズアップの多用でスリル満点に描かれる。クローズアップで彼が対話している相手の声しか聞こえない場面では、その相手の表情がわからないのが観ていてフラストレーションとなると同時に、かえって想像力を喚起させる効果がある。親切に同情してくれる同僚が実はクリスティの嘘を見破っていたオチも、秀逸な設定である。全編手持ちカメラの撮影で常に揺れている画面は緊迫感をさらに盛り上げる。

 本作ではほとんどが夜の場面で、昼間の場面もどんよりと曇り空、また最後の早朝の場面も光が少ない時間帯である。夜の暗いムードは、結局晴れないまま映画が終わり、クリスティは悲劇を免れるが、彼の抱える問題の本質的解決もない。
 エウゲン・ジェベレアヌ監督は、1989年ルーマニアの地方都市ティミショアラ生まれ。ルーマニア国立演劇映画学校を卒業後、演劇やオペラの演出をして、映画は本作が処女作である。彼は自分がゲイであることを公表している。ルーマニアでは本作の前に同性愛をテーマにした映画はいくつか作られているが、本作に国から助成金が出たことに驚いたと彼はインタビューで語っている。主役クリスティを演じたコンラッド・メリコフェルはゲイではないが、LGBTQの問題はLGBTQ以外の人々も一緒に考えるべきだからだと監督は言う。また主人公をヒーローにしたくなかったので、姉や恋人には意地悪で無神経な場面を意識的に作ったと述べている。その問題より、どこからなぜ暴力が生まれるのかを究明したかったとのこと。
 題名は、誰もいない劇場に広がる橙色の座席の中に一人ポツンと座っている彼のイメージから連想したという視覚デザインにも言及していた。同性愛をテーマにした映画上映会場に反対派の人々が押し寄せた事件が2013年以来実際に何度か起こり、脚本家のイオアナ・モラルがそれに触発されて脚本を書いた。演劇の体験があるとはいえ、処女作とは思えないドラマの完成度を見せる本作は、アメリカでも映画祭直後に全国配給された。

サイコパスが刑事になったら
 『身元不明』(Unidentified/Neidentificat、2020年、ルーマニア、チェコ、ラトヴィア合作、詳細はこちら)の主人公は、いつも疲れた顔をした中年の刑事フロリンである。上司に休みを取るように言われるが彼が頑なに休みを取らないのは、借金や恋人との問題という身の回りの問題から逃避したいからのようだ。彼は死者が2人出た未解決の放火事件に興味を持ち、怪しいと思った警備員のロマの青年バネルをこっそり呼び出して調べる。バネルの仕業と確信するフロリンの強圧的態度に、ロマであるがゆえ今まで数知れずの差別に遭ってきたに違いない寡黙なバネルの横顔に涙が一筋流れるのを見て、私はこの俳優ドラゴシュ・ドウミトルは台詞なしでなかなかの演技だと思った。決定的証拠が得られないので、フロリンはバネルを犯人仕立て上げる精密な計画を立て、同時に自分を裏切った恋人にも復讐を達成する完全犯罪を着々と進める。
 本作のユニークな点は、フロリンの恋人が音楽家なので、フロリンもショパンの音楽を車の中や家で聴いていて、その音楽が主役のように映画に君臨している点である。田園風景や森が広がり、いかにも景気の悪そうなルーマニアの田舎町にこの音楽が被さると、異化効果を生み出す。
 ロマの奴らはいつも被害者ぶる、団体で圧力をかけてくる、彼らは皆同じ姿なので区別がつかないなど差別的なことを堂々という上役や同僚であるが、『ケシ畑』でも警官たちはゲイに対する差別を堂々と発言していて、面倒を起こしたら麻薬を持ち物に忍ばせて罪をでっちあげればいいなどと臆面もなく喋っていた。このふたつの映画は、少数者に対する権力側の決定的な差別の実態を見せている。 上役のジョークに笑わないフロリンが初めて最後に笑ったのは、そのような差別感に満ちた発言が上役の口から出たのを目の当たりにしたときで、彼自身が組織をあげての差別構造を確認してホッとしたからに違いない。
 夜の暗さが画面を支配していた『ケシ畑』と対照的に、本作では太陽の明るく漲る場面が多いが、フロリンが残酷極まる計画を冷静沈着に実行するので、観ている側は心が冷えてしまう。フロリンの計画が成功するかどうかハラハラドキドキするのが、この映画の見どころであるが、最後に思いがけない事故で彼の計画が失敗に終わると思いきや、二重三重のひねりがある。あらためて権力の恐ろしさを痛感されられた。

 本作の監督ボグダン・ジョージ・アペトリは、ルーマニア北部の小さな町ピアトラ・ネアムトで1976年生まれ、本作はその地で撮影された。彼はコロンビア大学で映画製作を学び、その後ニューヨークに住んでいるが、故郷ルーマニアで数々の映画の製作・監督している。

専制君主 
 『ミカド』(Mikado/Marocco、2021年、ルーマニア・チェコ合作、詳細はこちら)のエマヌエル・パルヴ監督は、1979年首都ブカレスト生まれ。ルーマニア国立演劇映画大学を卒業後、脚本家・監督のほか俳優としても活躍。題名のミカドとは「帝」のことで、独断的で横柄な男のことだ。
 十代の娘マグダの誕生日祝いに贈ったホワイトゴールドのネックレスを、彼女がボランテイアとして働いている病院のがん患者で同じ誕生日であった幼女にあげたと言う娘の言葉を父親のクリスティは信じないで、激昂して病院に押しかける。幼女はネックレスをしていないので、また彼は怒る。その勢いに怖気付いてか、幼女はネックレスを受け取ったかどうかも返事をしてくれない。そうこうしているうちに、落としたネックレスを拾ったのでロッカーに保存しておいたという女職員が現れるが、その言葉も信じないで盗んだに違いないと決めつけ、クリスティはその場で彼女をクビにするように女医に大声で迫る。病院への大口寄付を集める話をクリスティから持ちかけられていた女医は、職員の無実を信じながらも擁護できない。
 その職員はマグダの恋人イウリアンの母親だったのだが、母親はその夜心臓麻痺で急死する。クリスティと女医を訴えるようにイウリアンをそそのかす隣人の若者は、どうやら彼に恋をしているようだ。こうして人々の運命の糸が絡んで行き、思わぬ方向に進んで行く。クリスティはマグダの母の死後、若い女性と再婚しているので、父と娘の間は何となく気まずかったが、今回の事件でマグダの怒りは爆発する。クリスティは罪悪感を持ちながらも、プライドが高くて自らの過ちを認めることができない。しかし流石に多少の良心の呵責を感じ、しかも裁判になればもっと費用がかかりそうだということで、あくまでも経済的に恵まれないイウリアンを助けるという理由をこじつけてイウリアンに示談金を払うことにするが、彼の偽善と傲慢さはさらにイウリアンの怒りを買う。そして、最後にまた逆転がある。

 自分の世界が綻ばずに済むようにと自己正当化を続け奔走するクリスティのたどる道がスリルを孕んだもので、本作は緊張の連続となる。彼の独断ぶりは到底共感を呼ぶのもではないが、このような状況はあるだろうなと思わせるリアルな面もある。そして悲劇が生まれた背景には金のしがらみがあることが、社会問題への提起となっている。
 こうして今回のルーマニア映画特集も、非常に満足度が高いものであった。