(44)ジェーモ、そしてアイダ
[2021/7/17]

 旧ユーゴスラヴィア地区の映画を東京のいくつかの大学で上映する〈シネマ・ユーゴ〉。昨年(2020年)はコロナ禍のため、6月に東京大学文学部の「スラヴの文学と映像」のオンライン授業の一環として、セルビアの62分のドキュメンタリー『モニュメント』(Umetnost sećanja) (2019)を上映し、若手女性監督イェレナ・ラデノヴィッチとズームを通じて討論するプログラムのみとなった。
 旧ソ連やソ連型共産主義の国々では共産党指導者や労働者を讃える巨大なモニュメントが多いが、旧ユーゴでは集団としてのパルチザンを讃えるものが多く、しかも前者の国々と異なり前衛芸術がかなり認められていたので、抽象的なデザインのモニュメントが多いという歴史的背景を、バルカン史専門の山崎信一氏(東京大学非常勤講師)が解説の中で指摘した。山崎氏によれば、多民族・多文化のユーゴでは特定される人物やグループをモニュメントで表象することを避け、またユーゴ解体後はそれぞれの共和国の戦後史と絡んで、野ざらしになったり観光地化されたりしている。私は最近のセルビア映画『積荷』(2019、オグネン・グラヴォニチ監督、当コラム(37)を参照)で登場した巨大なモニュメントの意義についてと、日本映画の中の広島の原爆ドームや靖国神社といった戦争記念碑的モニュメントを紹介した。
 学生や観客からは、神聖なものとされる日本の記念碑と違ってユーゴのモニュメントでは、子供がよじ登って遊んでいたりダンス・グループがパフォーマンスに使ったりしているのに驚いたとか、旧ソ連やほかの社会主義国を旅して見たモニュメントと明らかな違いがある。というようなコメントや質問が寄せられた。

走れ、ジェーモ

 コロナ感染が未だ収まらないので、本年(2021年)の〈シネマ・ユーゴ〉も本格的な複数の上映会は出来なかったが、東京大学文学部の授業での6月の上映と討論はオンラインと対面の折衷型となった。私は教室の大きな画面で映画を十数人の学生やゲストと一緒に見て、同じ映像を一人でオンラインのコンピューターの小さな画面を見た時とでは全く違う印象を持った。登場する人々の人間性がより深く感じられたのだ。やはり映画は、大きい画面で大勢の観客と一緒に見る体験こそが醍醐味だと改めて感じた。
 前回はセルビア出身の映画学者、マルコ・グルバチッチ氏の紹介で『モニュメント』の上映と監督との討論をすることが出来たが、今回はボスニア出身の岡島アルマ氏の紹介で、ボスニアのドキュメンタリー『ジェーモ』(2020、43分、レイラ・カイッチ、ダヴォリン・セクリッチ共同監督)とカイッチ監督とのオンライン討論をすることが出来た。
 上映前に、前述の山崎氏による現代ボスニアの諸問題についての紹介があった。まず第二次世界大戦の対独パルチザン戦の激戦地であったボスニアは、ボスニア・ムスリム(ボシュニャック)、セルビア系、クロアチア系がどれも多数派とならずに存在していて、多民族国家であった旧ユーゴの縮図という背景があったこと、映画の中で少し出てくる隣国クロアチアと比較すると、一人当たりの国民総生産、失業率、平均賃金などの経済状態に格差をつけられているという事実、10万人以上の犠牲者と多くの難民・避難民を生み出したボスニア紛争(1992-95)の背景、第二次世界大戦から25年後の1970年代の日本と比較し、紛争終結後25年経っても復興が未だ思うように進まないボスニアの現実、しかし若い世代は民族の違いにこだわらずエコ・ツーリズム、トレッキングなどを一緒に行っていることに希望が見いだせるのではないかなどと指摘した。
 『ジェーモ』はサラエボの郊外で牛を飼う農民の独身中年男性ジェーモが、牛の飼料を買いに荷車を押しながら車の行き交う道路を走る場面から始まる。ジェーモはアマチュアのランナーで、地区のマラソン大会で優勝する。雪の山道を走る彼の姿はドローンを使った空中撮影で捕らえられ、その道はかなりの難所に見える。マラソン大会と言っても地方の話なので、参加者も少なく皆顔見知りで和気あいあいとしている。
 早起きをして牛の乳を絞るジェーモの日常、両親との団欒、そして一家は以前住んでいた家を車で訪れる。草茂る中の家の土台から、ここが台所、ここが子供の部屋など当時を思い出す一家は、入口のセメントにつけられた幼児の手形を見て涙にくれる。それは爆撃で亡くなったジェーモの兄がよちよち歩きの時に作ったものだ。
 帰りの車の中で、ジェーモは今度クロアチアの大きなマラソン大会に誘われたと言う。父は渋い顔で、留守中は誰が牛の世話をするのか、パスポートも持っていないだろうと言うが、ジェーモが朝早く出て泊まるのは1日だけにすると言い、ようやく父は同意する。かつて同じ国内であったクロアチアは別の国となり、ボスニアからはパスポートが必要になったという旧ユーゴ解体後の現実も垣間見ることが出来る。
 ジェーモはクロアチアのホテルから両親に電話をして、牛の世話の詳細を指示する。翌日、参加者も多いこの地の大会は、時には険しい山の中を走るコースで、ジェーモは道に迷い優勝は逃すが2位となり、参加者たちに祝福される。
 コロナがこの地にも及び、マラソン大会は一時中止になるが、ジェーモは相変わらず荷車を押しながら地元の道を走り、人々と会話を交わしている。

 上映後、私は〈走る〉というテーマが世界の映画に見出せることを指摘した。例えば『東京オリンピック』(1965、市川崑監督)には、最終点の国立競技場で3位の英国の選手に抜かれてしまった日本代表の円谷幸吉の有名な場面がある。耐久戦であるマラソン競技の予測不可能性と、厳しさが感じられる。英国の“怒れる若者たち”の動きの代表作の一つ、『長距離ランナーの孤独』(1962、トニー・リチャードソン監督)では、少年院でランナーとしての才能を開花させた労働者階級の若者が、院長の期待に添うことに抵抗してゴール直前で走ることを止めてしまう。世俗的価値観がスポーツに入り込むことに対する若者の抵抗が見られる。日本のインデペンデント映画『弾丸ランナー』(1996、SABU監督)では、社会のはみ出し者の三人の青年がひたすら走る場面が続き、逃亡から始まり、次第に意味のない過剰な運動に変化するコメディになっている。また北極圏の原住民イヌイット族の民間伝承を基にした『氷海の走者』(2001、ザカリアス・クヌク監督)では、三角関係の犠牲となったヒーローが裸足で氷上を延々と走る姿が圧倒的なスペクタクルとなる。
 そういった例と比べると、ジェーモは走る能力は抜群だが、いたって素朴な走者である。上映後のズームによる討論でカシッチ監督は、普通ランナーは勝つと周囲に自慢するものだが、ジェーモはツイッターもフェイスブックもしないでひたすら走ることに喜びを見つけていることに興味を持ったと言う。しかしジェーモも両親もあまり喋らない人たちなので、彼らから話を引き出すのに苦労したそうだ。
 彼が走る場面は空中撮影が多いが、以前住んでいた家を訪れた場面はクローズアップが多いと指摘した学生に、ジェーモの走りは速いので、ドローンで追うほかなかったが、昔の家を訪ねた時ジェーモが涙ぐんでいることに気づき、この彼の顔の造形を是非とも捕らえたかったと監督は答えた。なぜ昔の家を訪ねたのかという質問に、ジェーモがそれを言い出したと監督。そして映画の中でもジェーモが語っているが、自分が走るのは兄のためで、亡くなった家族への追悼の気持ちが彼を走らせていることがわかる。アドナン・ジリッチによる少しとぼけたようなユーモラスな音楽は、この映画のための書き下ろしだそうだ。
 カシッチ監督は23歳で、本作が処女作。高校卒業後、国際プログラムで1年スペインに行き、身障者、老人、子供などの世話をした体験が自分にとって重要だったと言う。大学ではジャーナリズムを専攻し、現在ボスニアのウェブ・マガジンの編集者として働いている。英語も堪能で、23歳とは思えない落ち着きと聡明さの光る印象的な女性であった。1995年セルビア軍によって8千人のボシュニャックの民間人が一瞬にして処刑され、多くの避難民を生み出したボスニア東部の街スレブレニツァの集団虐殺事件に直面した国連軍のオランダ人についてのドキュメンタリーを、現在製作中とのことである。

走れ、アイダ

 まさにこのトピックを扱っているのが、日本で9月に劇場公開される『アイダよ、何処へ?』で、本年度アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。ボスニアの女性監督、ヤスミラ・ジュバニッチ監督がボスニア紛争の後、傷を抱えて生きる人々を描いた『サラエボの花』(2006)、『サラエボ、希望の街角』(2010)は日本でも公開されたが、今回は紛争そのものの悲劇の詳細を正面から描くものだ。
 国連によって安全地帯とされたボスニア東部のスレブレニツアのボシュニャック・コミュニティに、セルビア軍が攻勢してくるところから映画が始まる。国連通訳のアイダは、市長と国連のオランダ軍司令官の交渉に立ち会うが、司令官はもしセルビアが武力行使をしたらNATO軍が爆撃を開始すると言うのみで、市長はそれ以上の行動を国連軍から期待することを諦めざるを得ない。そこからアイダの不安が始まり、その不安が徐々に増長するような現実の展開となり、アイダは家族を救うために国連基地内を駆けずり回るのである。彼女は文字通り走ることもあり、そうでなければ焦燥感で今にも駆け出しそうに早足で移動している。カメラは移動撮影で彼女を追う。
 生命の心配に駆られた2万人以上のボシュニャック系市民が国連基地に押し寄せた、その人海の風景は圧巻である。アイダの息子の一人は基地に入れるが、夫ともう一人の息子の目の前で門が閉められてしまう。二人を何とか基地内に入れようとするアイダの執念と行動がそれに続く。
 ラトコ・ムラディッチ将軍率いるセルビア軍が街に進軍し、交渉に3人の市民を要求するが、誰も行きたがらない。ようやくビジネスマンの男性が周囲に推挙され、オランダ軍司令官はインテリと女性が欲しいと言う。アイダは高校の校長の夫を推薦し、夫と息子を基地内に入れる。セルビア軍は市民の代表と交渉する一方、国連基地にも武器を持って入って来る。また、会計士の女性が3人目の交渉役になる。教師のアイダの元生徒がセルビア兵になっていたり、交渉役の会計士の幼馴染がセルビア兵としてテーブルの向こうに座っていて、かつての隣人が今や敵同士という現実が示される。
 セルビア軍はすべての市民をバスで近くの街に移動させると言い、オランダ軍はそれに付き添うことになるが、多勢に無勢でセルビア軍は有無を言わさず市民を男女に分けるが、オランダ軍側は何もすることができない。男性はすぐ近くで殺戮、女性と子供はバスで移送される。
 家族を救うために奔走し、懇願するアイダに向かって国連軍の兵士たちは規則を竪に協力しない。夫と二人の息子は一緒に死を覚悟する。男たちは基地の近くの体育館のようなところに集められ、扉を閉められ、2階の窓から銃が差し出される。画面は建物の外側に切り替わり、アパートの住民が行き来し、子供達が運動場で遊ぶ平和な日常生活が続いている中、響き渡る機関銃の音で建物の中の様子を観客に想像させる。
 何年か後、かつての住まいを訪ねるアイダを迎える新しい住民の若い女性は十字架をさげているので、キリスト教徒でセルビア系であることがわかる。彼女は集めてあった家族写真をアイダに渡すような親切な心を持ち合わせている。教員として復帰すると言うアイダに挨拶する6歳ぐらいの男児が無心であるが、明らかにこの二人の女性の間には緊張感がある。帰りに階段でアイダは、挨拶を交わして今訪れたばかりの部屋に入る男が、国連基地で暴挙を繰り返していたセルビア軍将軍であったことを見て驚愕する。
 虐殺現場で掘り起こされた死体の遺品を見て回る女たちの中に、ゆっくり歩みを進めるアイダがいる。家族の遺品を見つけてアイダは座り込むが、彼女の顔はクローズアップで示されず、少し距離を取ったカメラで彼女のバランスを失った全身が捕らえられることで、彼女の衝動や悲しみがかえってしみじみと感じられる。
 それから場面は教師として復帰したアイダの学校の学芸会となる。舞台で音楽劇を演ずる子供たち。客席にアイダやアイダのかつての住まいに住む今の住民夫妻、セルビア軍と交渉役をした女性もいる。会場の人々が拍手をする。舞台の上の子供たちに未来はあるのかと観客は思わざるを得ないだろう。国連基地内で医療班からもらったマリファナを吸ったアイダの幻想の場面がここで思い出される。アイダが赤や青の煙の中で見たのは、ベスト・ヘア・スタイルというコンテストであり、優勝者は舞台に招かれて会場の人々がそこでも拍手をしていた。
 映画の原題、「Quo Vadis, Aida?」 のクォ・ヴァディスとは、ラテン語で「あなたはどこへ行くのか?」という意味である。ローマ帝国によるキリスト教徒迫害を描いたポーランドのヘンリック・シェンケヴィチの19世紀末の小説の題名となって、有名になった言葉だ。ロバート・テイラー、デボラ・カー主演のハリウッド映画(1951、マーヴィン・ルロイ監督。サイレント期にも映画化されているほか、2001年にはポーランドでも映画化された)を私は10代の時にテレビの名画劇場で見て、クォ・ヴァディスという言葉をその時に知った。ジュバニッチ監督は映画を製作するためのリサーチで多くの女性が家族や親戚を失いながらも復讐を望まず、多民族が平和に共存できることを念じていたことに心打たれて、その態度に聖的なものを感じ、この聖なる言葉を連想したという。セルビア人俳優がボシュニャック人を演じたり、その逆もあり、同じ言語を話しながら戦った彼らの現実の不条理もそこから感じられる。
 本作は、アフリカのルワンダで1994年に起こったフツ族によるツチ族大虐殺から1200名余の避難民を守ったホテルのマネージャーの実話に基づく『ホテル・ルワンダ』(2004、テリー・ジョージ監督)を連想させる。その主人公の同胞人たちによる虐殺を止められない焦燥感が描かれていたが、その焦燥感の激しさ、絶望感が家族や隣人を救えない本作のヒロインのものと重なるのである。
 本作を私が見た2021年6月、ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法定で、有罪判決を受けた後控訴していたムラディッチの終身刑が確定した。
 尚、今年の〈シネマ・ユーゴ〉の直前5月末、シネマ・ユーゴをずっと一緒にやってきた柴宜弘(しば・のぶひろ、城西国際大学中欧研究所長、同大学特任教授、東京大学名誉教授、享年74)氏が急逝された。私が1976年秋に、当時ユーゴスラビア連邦の首都ベオグラードに留学した時に1年先輩としてベオグラードに学んでいて、私は何から何までお世話になった。その後柴さんは日本に帰国して、バルカン研究の第一人者として日本とバルカンの文化交流に情熱を持って努め、多くの後進の研究者を育てられた。私が旧ユーゴやバルカンに関わってくることがでたのも、柴さんのおかげである。ご冥福を祈るばかりだ。


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2021年9月17日(金)より Bunkamuraル・シネマ、ヒューマン
トラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、他 全国順次公開