(43)やはりルーマニア映画
[2021/5/22]

 2021年のアカデミー賞国際長編映画賞部門と長編ドキュメンタリー賞部門にノミネートされたルーマニア映画『コレクティブ(英語題名Collective; ルーマニア語題名 Colectiv)』は、アメリカでも話題作であり、本作が両部門で有力ではないかと予想が出ていたが残念ながら受賞を逃した。2015年に起きた「コレクティブ」というナイトクラブの火事で、その後病院で死亡した人や自殺者も含めて65名の死者を出したこの事件から、ルーマニア社会に巣食う政治と健康保険制度の腐敗に切り込んだ力作だという。
 私はその上映を逃してしまったが、その後程なくポール・ネゴエスク監督の劇映画『2枚の宝クジ券』(2016年、英語題名Two Lottery Tickets; ルーマニア語題名Doua lozuri)を見ることが出来た(アメリカでは5月末に公開予定)。これを逃す訳にいかないと思ったのには、主演3名の男優のうち2名がルーマニアを代表するドラゴシュ・ブクールとアレクサンドル・パパドポルだったからである。この2人は、社会主義崩壊後のルーマニアで2000年初頭に余りにも鮮烈に登場し、その後2008年にアメリカでも公開された『ブツとカネ』(2001年、英語題名Stuff and Dough; ルーマニア語題名 Marfa si banii)に出演していたあの2人である。
 『ブツとカネ』は、今や国際映画祭常連の巨匠となったクリスティ・プイウ監督の処女長編作で、いかにも低予算と感じさせる画面に展開するのは、海辺の町コンスタンツァから首都ブカレストまで何やらいわく有り気な箱を車で届ける若い男女3人のロード・ムービーのスリラーである。中身を知らないまま、しかし犯罪の臭いのするその任務に就いた3人は、旅の途中で次々と思わぬ事態に遭遇する。
 主役の若者たちは社会の片隅で不満を燻らせている風情だ。海岸で食べ物を売るなど慎ましい仕事をし、体制が変わっても、その恩恵を十分に受けていないらしい。だから危ないと薄々わかっていても、仕事を受ける。その若者の鬱屈したエネルギーが、移動する車の中で次第に炸裂するようなパワーとサスペンスの連続となる。正統派二枚目ではないが反抗的雰囲気が濃厚なブクールとパパドポル。個性が際立つ若い男優の魅力を存分に活かしたこの映画は、強烈な印象を私に残した。その後「ルーマニア・ニュー・ウエーブ」と称される、重厚な社会問題を扱った映画や独裁時代の不条理を扱うものなど様々な作品の多くを私は見たが、この映画からの衝撃は独特なものであった。

 『2枚の宝クジ券』はルーマニアで大ヒットをした喜劇で、前述2人の俳優に加え、ドリアン・ボグツァが演ずるうだつの上がらない3人の中年男の珍道中を描いている。かつてのあの「怒れる若者たち」が、さえない中年を演じているのを見て、流石に私は年月の重みを感ぜざるを得なかった。
 イタリアに出稼ぎに行った妻がどうやら雇い主と出来てしまったことを察した車の修理工のディネル(ボグツァ)は、妻が必要としている金を早急に送らなければと焦る。いつもバーで彼と一緒にウダウダ飲んでいる友人の大工のシレ(ブクール)はサッカーくじや宝クジに目がないが、いつも外れてばかりである。市の職員のポンピロウ(パパドボル)は、世の中の出来事の裏には常に秘密警察の暗躍があると解説する深読み専門家である。現在はクロアチア領となっているオーストリア=ハンガリー帝国で生を受け、後アメリカに渡ったセルビア人電気技師で発明家のニコラ・テスラ(1856〜1943)が、実はルーマニア人なのだと自説を大仰に展開するポンピロウに私は笑ってしまったが、彼の話には秘密警察時代が長かったルーマニアの歴史やルーマニア国粋主義に対する自嘲的皮肉も感じられ、ネゴエスク監督による本作の脚本は気の利いた批判精神に満ちている。
 即金が欲しいディネルは、シレの勧めで当てにならないとわかっていながら成り行きで宝クジを買う。その帰り、自宅のアパートの郵便箱を開いて中にあった郵便物を開いて読みながらブツブツ文句を言っていると、建物から出てきた二人組の若い不良に言いがかりをつけられて、ディネルは腰にブラさげていたポシェットを取り上げられてしまう。
 数日後、ディネルの買った宝クジが当たって600万ユーロの賞金を獲得することになり、クジの代金の一部を補助したシレとポンピロウの2人と山分けにすることになるが、簡単にハッピーエンドにならないのが映画である。幸福の頂点にいたディネルは、あっと叫ぶ。宝くじ券はあの奪われてしまったポシェットの中に入っていたのだ。ここから不良2人を追う3人の旅が始まる。
 ポンピロウは例の「陰謀説」で、その2人は実は秘密警察なのだと自説を披露するが、シレはまず警察に被害届を出すと言う意見を押し通す。3人は横取りされることを恐れて、警察では宝クジ券がポシェットに入っていたことは秘密にする。応対する女性警官のいかにもやる気のない官僚的な態度と、それに反応する3人のやり取りがまた可笑しい。
 それから3人はディネルのアパートに行き、1軒1軒扉を叩いて、数日前に2人の不良を見なかったか聞いて回る。扉を開くと「やっと修理に来たケーブルTVの人? 全く写らなくて困っているのよ」と言う中年女性や、共働きの両親の帰りを待つ少女、麻薬をこっそり売っている無表情な若者たち、トランプ占いや手相を見るジプシー家族など色彩豊かな住民たちで、ポシェットを探してもらうために占いを頼んでお金を巻き上げられたりするこの3人のそれぞれの住民とのやりとりがまた笑いを呼ぶ。
 ようやく気の良い売春婦たちが、その2人なら数日前に来たと言う。しかも彼らはマッチを忘れていったので、そのマッチにあるホテルが手掛かりとなる。3人はホテルに直行、受付の女性から不良2人が登録した住所を聞き出し、ディネルの父のポンコツ車で首都ブカレストへ向かう。ここから、この映画の舞台は退屈な地方都市で始まったことがわかる。
 途中でガソリンが無くなるがガソリンを買うお金がないとか、不良たちの住所をグーグルで調べようとしても料金を滞納していているシレのスマホが使えないとか、様々な困難が3人を待ち受けているし、途中でヒッチハイクの若い女性を同乗させると、思わぬ展開になったりする。
 しかし圧巻は、ブカレストに無事到着した3人の車に警官が近づき、乗っている彼らに不審尋問する場面である。もともと白かった車の塗装が剥げ落ちてみっともないので、ディネルが塗装を黒く塗り替えたが、車の登録証にある車体の色の変更届を出さなければいけないのに、ズボラなディネルは当然やっていない。そのつけが回って車体の色についての警官の尋問が出てくるのだが、この3人がどう切り抜けるか最もスリル溢れる場面の一つで、見事な脚本と言うほかない。
 不良2人の家にたどり着いた3人が果たして宝クジ券を取り戻すことが出来るのか、サスペンスがさらに次々と続くが、結局洒落たオチとなる。本作の見所は、ちょっと頭の弱いディネル、プレーボーイのチャラチャラしたシレ、何についても真剣な表情で陰謀説を唱えるポンピロウというキャラクターの違いを出しながら、共通して気のよい3人の性格と彼らの友情が旅を通じて浮かび上がってくる過程である。そして、彼らを巡る人々もポヤンとしてどこか抜けていて憎めない。
 ネゴエスク監督は1984年ブカレスト生まれで、国立映画大学で学んだ後、短編制作を経て、本作が長編2作目。2012年に俳優養成学校を一緒に作った本作主演3人の1人で映画製作者でもあるブクールから、この学校の学生を使って低予算の映画を監督するオファーを受けて、この企画を立案したと言う。映画の中で3人組が行く先々で出会う人たちを学生たちが演じている。
 ボグツァは1971年旧ソ連邦で現在ルーマニアの東側にあるモルドヴァ(モルドヴァについては、当コラム(9)を参照)の首都キシナウ出身で、ジョージアの映画演劇大学で学び、キシナウの舞台でデビュー、のちにブカレストに移り映画やTVに出演、短編映画の監督もいくつか務めている。
 ブクールは1977年ブカレストに生まれ、ブカレストの演劇映画大学で学び、映画やTVに多く出演している。『ブツとカネ』のほか、組織の官僚主義に悩む良心的な警官役を主演したコルネリウ・ポルンボイウ監督の『警察・形容詞』(2009年、英語題名Police, Adjective; ルーマニア語題名Politist, adjective)で国際的にも一躍有名になった。
 ブクールはハンガリー系の名前だそうだが、パパドポルはギリシャ系の名前。後者は1975年ルーマニア中南部のルムニツウルチェの出身で、ブカレストの国立演劇映画大学で学んだ後、『ブツとカネ』が映画初出演作で、その後映画やTVで活躍している。『2枚の宝クジ』の中では、ブカレストに向かう車に同乗したヒッチハイクの若い女性が、テレビのタレント・ショーに出演しに行くと言うので、パパドポル演ずるポンピロウが最近の俳優はまるでダメだ、最近のルーマニア映画も全くつまらない、先日コンスタンツァからブカレストに麻薬を運ぶ人たちの実にくだらない映画を見たと言う台詞があり、ここで映画ファンたちはどっと笑ったに違いない。
 外国人の私でも秘密警察についての当てこすりや警察の官僚主義や、いかにも紋切り型の衣装をつけたジプシー家族のインチキ商売の場面には笑ってしまったが、ルーマニア人が見たらさらにあちらこちらに埋め込まれた隠喩や引用に苦笑いするのだろうと思いながら私は見ていた。このような知的な批判精神こそ、最近の日本の娯楽映画に欠けているものではないだろうかとも感じた。
 日本でもかつては川島雄三、今村昌平などが時の社会や政治を風刺する娯楽喜劇を作っていた。今の時代の日本の若手監督は軽薄な若者のどうでもよい恋愛ばかりでなく、昨今の法治国家という概念からは程遠い政府の横暴や人々の無関心について、気の利いた批判精神で楽しく描いて欲しい。