(29)チェコ、そしてタイ
[2017/5/29]

トライベッカ映画祭でのチェコ映画

 今年(2017)のNYも4月中旬の春の訪れとともにトライベッカ映画祭である。スターや有名監督が並ぶ上映や討論にはあまり興味がなく、私はもっぱら東欧、そして知られざる国の映画が目当てである。
 今年の収穫はまずチェコのボフダン・スラマ監督の『氷のおばあちゃんBaba z ledu/Ice Mother』でチェコ、スロヴァキア、フランスの合作(詳細はこちら )。映画は白地に青い模様の陶器の皿を並べてテーブルを用意する初老の女性ハナのせわしない動きから始まる。鏡の前で身なりを整え、台所でスープの鍋をかき回し、サラダを2つの皿に大盛りにして、シュニッツエルを揚げながら、地下に行って石炭を暖房のための旧式のボイラーに入れる彼女をカメラが追う。
 ほどなく10歳ぐらいの金髪の可愛い男の子イヴァネクを連れた長男のイヴァン夫妻と小さい娘二人を連れた次男のペトル夫妻が到着し、恒例の家族揃っての週末の食事となる。しかしイヴァンが寒いと言い出し、母は地下のボイラーに行く一方、イヴァネックはゲームに夢中でそれが理由で息子二人の兄弟喧嘩が始まり、食事どころではなくなる。家族の間の緊張の種は続く。息子たちが未亡人である母に借金を続け、返さないことが母との会話で明かされる。そして家を売って自分たちの近くのアパートに引っ越すことをイヴァンが母に提案し、ペトルがそれでは母を家政婦代わりに使うことになるだろうとイヴァンを非難する。
 その後ハナはイヴァンの家の手伝いをしているが、高級アパートに住むイヴァンは仕事で忙しく、医師の妻カテリーナは冷たく意地悪だ。ハナが料理しているニンジンが有機野菜ではなく、しかも萎びていると捨ててしまい、「食費を私がちゃんと渡していないっていう意味?」と詰問する。イヴァネクは学校で級友たちにいじめられているが、抵抗できないでいる。
 ある日イヴァネクを連れて歩いていたハナは、冬の川で泳ぐことを趣味としている老齢の人々のグループ(アメリカでは“北極熊たちのグループ”という愛称で呼ばれることもある)の一人、ブロニャが溺れているのを見て思わず川に飛び込んで彼を救う。ブロニャは川べりの古いバスに鶏とともに住む自由人で、すぐにイヴァネクと仲良くなる。
 これを機会にハナはブロニャやその仲間と親しくなり、彼らの競泳レースをイヴァネクと一緒に見に行き、自分も冬の川で泳ぐようになり、人生が生き生きとし始める。ブロニャとも結ばれるが、ブルジョア意識でいっぱいの息子たちはブロニャを受け入れられない。ハナが家族よりもブロニャを選んだ時、イヴァネクもそれに同調する。
 ハナが息子たちを優先に慎ましく生きていたことから解放される一つの象徴は、スープの鍋をテーブルに運んで、鍋から直接各自の皿にスープをよそって、息子たちを驚愕させる場面である。映画の最初の食事のシーンで、台所でハナを手伝うペトルの妻のヴェラが「なぜ鍋を直接テーブルに持っていかないの?」とハナに聞く。亡き夫のやり方であったとハナが答えて、スープを丁寧に陶器のスープ入れに移してテーブルに運ぶ場面がある。ヴェラは家族の中でも、形式にとらわれない好感が持てるキャラクターとして描かれている。そしてブロニャのおかげで自分のために生きることを学んだハナが息子たちに向かって、いかに彼らが利己的で、形式主義の彼らの父親と同じであったかと言い放つ場面は爽快だ。
 しかしハナの恋はハッピイ・エンドでは終わらない。病に倒れたブロニャの出生届が病院で必要となり、渋るブロニャを説き伏せて彼の生まれ故郷に赴いたハナとイヴァネクは、ブロニャに障害のある息子がいること、農家に妻子を残して失踪した過去を知ることになる。
 初老の男女を主人公に、しかも慎ましく生きる庶民の哀歓を見事に描くこのチェコ映画を見て、五所平之助、島津保次郎、豊田四郎などに代表される庶民劇は日本だけのお家芸ではなかったことを認識した。ブロニャを演ずるチェコ人俳優パヴェル・ノヴィはかつてハンサムであったであろうことを想像させる、苦みばしったいい男だが、ハナを演ずるスロヴァキア俳優ズザナ・クロネロヴァはぽっちゃりとした太めの体型で、どこにでもいそうな近所のおばさんという趣で、スター性などなく庶民的だが、いいキャスティングだ。この二人の演技力と存在感で、どこにでもいる市井の人々の幸福を願わざるを得ない気持ちとなった。
 スラマ監督は1967年チェコスロバキア生まれ。プラハの有名な映画大学FAMUで学び、本作が5作目だが、今までの作品も各国の映画祭で上映されている。本作は私の周囲のアメリカの批評家の間でも好評で、スラマは本映画祭の劇映画コンペ部門の脚本賞を受賞した。

エストニアの個性

 エストニアのライナー・サルネット監督による『11月 November』( 詳細はこちら)は、エストニア、オランダ、ポーランドの合作。舞台は19世紀のエストニアの寒村で、モノクロの画面に展開するのは説明が不可能に近いイメージの連続である。もやのかかった村で農民が、突然異物に襲われる場面から映画は始まる。その異物は農具をいくつか組み合わせて作る擬人化された物体で、“クラッツ”と呼ばれ村人の手伝い要員であり、常に働きたがっていて、言葉も発する。そして木の上に突然飛び登ったりして、その動きは敏捷だ。村人たちをからかうクラッツもいるが、威厳のある村長に対しては従順である。こうして文字で書いても想像がつきにくいと思うが、これでびっくりしているとまだまだ驚愕のイメージが続く。
 村長の娘リイナは青年ハンスを愛しているが、ハンスはドイツから赴任してきた男爵の令嬢に一目惚れしてしまう。焦るリイナは夜中に森に行って衣服を脱ぎ、空に向かって吠えると、次に狼のイメージが出てきて、彼女と狼のイメージが交互に出るので彼女は狼に化身したということを表現しているようだ。リイナ、そして狼が木陰から男爵の邸宅を見入るシーンが続く。
 また川のほとりに美しい娘が立っていて、荷馬車で川を渡ってきた男に声をかけ、抱いて川を渡ってもらう。お礼のキスを要求する男に彼女が唇を寄せるとあっという間に彼は体全体が黒くなって倒れ、そばにいる小鳥も黒焦げになっている。彼女は“黒死病”の化身のようだ。いち早くその知らせが村に届き、村長が納屋に村人20人ぐらいを集め、全員がズボンやスカートをめくりあげて顔を覆って寝転び、死神をたぶらかせる昔ながらの慣習を再現することになる。そこへ現れたのは山羊で、村人たちは息を潜めて山羊が通り過ぎるのを待つ。2回目に死神は豚の姿で現れるが、今度はハンスが農具をそっと持つ場面があり、次の場面で豚は血を流してあばれているので、この時にはハンスに殺されたようだ。
 リイナは嫉妬心をたぎらせて村の魔女に相談に行くと、弓矢を彼女に渡し、令嬢が窓から顔を出した時に矢を射るようにと魔女が言う。夢遊病の令嬢は夜になると屋敷の屋根を歩き回るが、リイナはいざとなると実行できない。野原で悩むリイナに魔女が近づいてくるが、魔女と言ってもかなり愛嬌のあるお婆さんで危険度は全く感じられない。そして魔女はしみじみと、自分も若い頃片思いをしたことを告げるが、この地方では「彼はうちの干し草の山に登って来なかった」と表現する。後にそれがリイナの父であったことが判る。魔女はリイナに令嬢のドレスを手に入れるように指示し、リイナは家財を持ち出して屋敷のメイドと取引をする。
 このメイドは中年の特に特徴もないおばさんだが、彼女に恋焦がれる村人もいて、その村人が媚薬を作って欲しいと魔女に相談に来る。すると魔女は「自分の汗と脇毛と大便を混ぜてパンを作って食べさせなさい」と笑いながら助言、その場に居合わせた村の老女やリイナも大笑いしていて、いかにも冗談ということが分かりそうなのだが、必死の村人は言われた通りのパンを焼いてメイドに届ける。そして怒った彼女にフォークを後ろから首に突き刺されて追い出される。こうした猥雑なユーモアもところどころに挟まれている一方、屋敷の執事がハンスに向かってドイツによるエストニア侵略に断然異を唱えたり、喜劇かと思うと深刻なメッセージもあったりして調子がころころ変わる。
 一方ハンスも恋を遂げようとして雪だるまのクラッツを作り、魂を入れてもらいに夜の森で悪魔を待つ。悪魔は人間の形をしているが大袈裟な化粧と帽子と衣装を身につけどう見ても道化で、突然闇から現れる。悪魔と取引をする時には自分の血で署名をしなければいけないのだが、村人は赤い果汁が出るベリーを3粒持って血の代わりに使う。しかしハンスの前に一度村人に騙された悪魔は、ハンスの持参したベリーを見破って突然ハンスの喉に噛み付いて血を吸ってしまう。
 一瞬身体が黒くなったハンスだが、雪だるまのところに戻ると、魂を入れてもらったクラッツの雪だるまが美しい詩を暗唱し始める。自分は雪になる前にベニスの運河の水であっと告白するが、およそベニスとは見えない北欧風の森の中の湖のようなところにゴンドラが浮かび、白装束の若い男女の恋人たちの愛の告白の白日夢のようなシーンが展開する。
 令嬢のドレスを着たリイナはヴェールで顔を隠し、ハンスと湖のほとりで相対する。その後夢遊病の令嬢が屋根から落ちて死に、彼女の遺体を運ぶ棺桶の馬車とすれ違う直前に雪だるまが溶けて、荷車を操っていたハンスが突然息を引き取る。この二人が黄泉の世界で結ばれることが暗示される。絶望したリイナは湖に身を投げる。
 皺が幾重にも刻まれ目がぎょろぎょろした老人たちは、エストニアの地方の村の実際の住民だそうだ。クローズアップでとらえられる彼ら老人たちの表情が際立って印象に残る。劇映画コンペ部門でマルト・タニエルが撮影賞を受賞した本作、あまりに呆気にとられているうちに終わってしまったので、再び見ることにした。2回目には大分ストーリーが飲み込めて来たが、それでも説明がされない場面が多くて私は時々うろうろした。各場面のユニークなイメージが強烈に印象に残る映画であった。

戦前チェコ映画特集

 4月にはMoMA(NY近代美術館)で「エクスタシーとアイロニー、1927年から1943年のチェコ映画(Ecstasy and Irony: Czech Cinema, 1927-1943)」という戦前チェコ映画特集(詳細はこちら)があった。「エクスタシー」とは主演女優ヘデイ・ラマーの官能性で一躍世界中の話題になった1932年のグスタフ・マハテイ監督の映画の題名である。日本語題名は『春の調べ』で、ラマーが全裸で川べりを走ったり性の恍惚の表情を見せる場面は戦前の検閲で削除された。ラマーについては後述する。
 この特集のいくつかの作品を見た。1927年の無声映画『バタリオンBatalion/Batallion』(プレミスル・プラジスキ監督) は妻の不貞に絶望して酒浸りとなり、“バタリオン”というプラハ旧市街の酒場に身を落とす弁護士が主人公だ。そこは泥棒や売春婦など社会からつまはじきになった貧しい者たちがたむろする場所で、不当に警官に射殺された男のために立ち上がった弁護士は英雄となるが、酒を断ち切れず自滅する。主人公があまり若くないのが意外で、場面場面がきっちりと展開するので演劇的でもある。しかし字幕はほとんどなく、妻の浮気相手を銃殺する場面が主人公の幻想であったと次の場面で明らかになったり、さまざまな場面で二重露出が多いこと、また精神を侵されていく病床の主人公の心情が白いネズミの群れや大きな花のイメージなどで表現されるなど、前衛的映像表現も多い。この映画の紹介をしたチェコ国立映画アーカイブのミハル・ブレガント氏によれば、監督は戦前チェコ映画を代表する人物で、主役を演じたカレル・ハスラーは有名な舞台俳優、そしてスタジオ撮影とともにプラハ旧市街のロケーション撮影もされているという。
 『陽の当たる側Na slunecni strane/On the Sunny Side』(1933年、ヴラテイスラフ・ヴァンクラ監督)はトーキーで、言語学者のロマン・ヤコブソンやシュールレアリズム作家のヴィチェスラフ・ネズヴァルも脚本に参加し、当時のチェコ前衛芸術家が集まった作品であると、MoMAのウェブサイトでは解説されている。舞台は進歩的教育方針の孤児院で、ここでは子供の個性が大切にされ、木々の揺らめく野外で食事や授業をしている。こんな理想的な環境があるのかちょっと疑わしくなってしまったが、寄付金をたくさん出し運営にも口を出す有閑夫人に反論して、先生が二人の子供の家庭環境を話し始めると、映画はフラッシュバックでこの二人の子供が以前どのような生活をしていたかを語ることになる。
 7歳ぐらいの男の子は、母子家庭で母はメイドをしていて慎ましい生活をしている。その雇い主の家の9歳ぐらいの眼鏡をかけた少女は、男の子と仲良くしている。少女の父親は女好きで家にいつかず財産を使い果たしてしまい、母親は絶望して娘を連れて家出をする。娘にかけた生命保険金のために娘を手にかけようとして高い塔に登る。街を一望し、はしゃぐ娘を突き落とすことを思いとどまり、二人は公園で人形劇を見る。これが「パンチとジュデイ」という典型的英国人形劇のキャラクターを使っているので、この物語がチェコにまで波及していたのかと驚いたが、パンチとジュデイも起源はイタリアのコメデイアデラルテらしいので、汎ヨーロッパ的なものだろう。この人形劇に殺人を登場させて現実の親子の運命を暗示するが、母親は娘を殺すに至らず警察に逮捕され、少女は孤児院に送られる。少女の母親の不安定な心境を斜めに揺れるカメラの動きや、テラスの欄干を通じた視点で表現しているところが前衛的だ。
 『クリスチャンKristian』(1939年、マルテイン・フリッチ監督)は、“エルンスト・ルビッチ風の喜劇”とMoMAのウェブサイトで解説されているが、ルビッチ風に皮肉とひねりが効いたストーリーが見事に展開し、私はすっかり見入ってしまった。部屋の中でポーカー・ゲームをするタキシード姿の男達の場面で始まるこの映画は、有閑階級の男達の話かと思っていると、突然彼らが立ち上がり部屋を出て広いサロンに直立不動で立ち、マネージャーに開店前の審査をされている場面となり、彼らがナイト・クラブのウエイターであることが判明する。このように、本作では観客の推測や期待を裏切るエピソードが散りばめられている。
 彼らの会話から、今日は月初めの日なので“クリスチャン氏”なる気前のよい紳士が訪れるということが語られる。そしてその夜、クリスチャン氏の登場で、クラブ中のスタッフが色めき立つ。一方クリスチャン氏は最初足元しかカメラに映らないので、なかなか顔が見ることができず観客は焦らされる。その間、クリスチャン氏は「ドクター」「学長」「大使」などと色々な敬称で呼びかけられるので、彼が何者なのか明かされない。
 彼の全身が映ると、特にハンサムでもないが威厳のある中年の紳士である。隣のテーブルに座った美しい女性スザンナが同席の男性フレッドに退屈して機嫌が悪いので、クリスチャン氏は一計を案じてフレッドを遠ざけ、別室でスザンナを口説き、ダンスの音楽に合わせてロマンチックな歌を彼女の耳元で囁く。今まで聞いたことのないエジプトの海の潮風、芳しい花の香りを語る彼にスザンナはすっかり魅せられてしまう。そしてスザンナを置いて姿を消してしまったクリスチャン氏にスザンナはますます興味を抱く。
 クラブで何とか聞き出したクリスチャン氏の住所を翌朝訪ねたスザンナが目にしたのは、小市民的アパートで家事をこなす女性マリアで、クリスチャン氏は夫アロイズの兄だとマリアが告げる。そしてアロイズは旅行会社で中近東を担当している窓口係というので、スザンナはアロイズを訪ねることにする。訪ねてきたスザンナに愕然としながら、その男はクリスチャン氏は兄だと言い張る。
 眼鏡をかけた生真面目なアロイズが、余裕たっぷりで女ったらしのクリスチャン氏に成り代わったり、アロイズの人のよい同僚がフレッドにクリスチャン氏と間違えられたり、アロイズの上司がスザンナをクリスチャン氏の妻と信じ込んだり、こうして人違い、あるいは他人に成り代わることからの騒動が次々と続いていく。スザンナはアロイズに翌朝会った時から実はアロイズがクリスチャン氏であることを見抜いていたが、彼を懲らしめるためにアロイズの嘘に付き合う。
 アロイズが浮気をしていると信じたマリアは絶望して家出をするが、アロイズはマリアを心から愛しているとスザンナに告白する。最後にはマリア自身も切り詰め生活を強要する主婦から、優雅なドレスをまとう魅力的な女性に変身して、クリスチャン氏ならぬアロイズとナイト・クラブで逢い、二人はロマンチックなムードで恋を語らいながらハッピイ・エンドとなる。ハリウッドの影響が感じられながら、どこかローカルな香りもする作品であった。

ヘデイ・ラマー物語

 前述の女優ラマー(1914−2000)についてのドキュメンタリー『性の女神・ヘデイ・ラマー物語(Bombshell: The Hedy Lamarr Story)』(詳細はこちら)がトライベッカ映画祭で上映された。生涯に6度の結婚を繰り返し波乱万丈の人生を送ったラマーの子供や孫、友人、映画研究者やジャーナリスト、映画監督メル・ブルックスをはじめとするファンたちの話が、1991年にジャーナリストのフレミング・ミークスが行ったインタビューのテープのラマーの声による語りにはさまれる。それに加えて豊富な写真や新聞・雑誌記事で「世界一美しい女性」と言われたラマーの意外な側面に注目する。
 デイズニーのアニメーションの白雪姫やアン・ハサウエイが演じた『ダーク・ナイト・ライジング』のキャット・ウーマンのモデルとなったラマーは本名ヘデイ・キースラーで、ウイーンの裕福なユダヤ系の家庭に生まれた。十代には部屋に入ると皆が会話を止めて見つめるほど美人であり、ドイツの映画界に入る。世界中で話題となった『春の調べ』の出演後、年上のドイツの兵器産業の社長と結婚。ナチスの台頭とともに単身パリに逃れ、ハリウッドのMGMの社長、ルイス・メイヤーに会いに行くが、ナチスを逃れようとしている映画人を安く雇おうとするメイヤーに反発して彼の提示した給料を拒否する。しかし翌日考え直してメイヤーの乗るニューヨーク行きの船に乗り、一張羅のドレスを着て食事中のメイヤーのテーブルの横を歩いて見せると、メイヤーと同席していたダグラス・フェアバンクスの目に止まった。
 ヘデイは勿論食事中の人たち全員の注目を浴びたが、そこでメイヤーはどうしても彼女を雇わなければいけないと気づき、前日の4倍ぐらいの給料を提示、メイヤー夫人がフランス語で海(Lamer)を連想させる“ラマー”という芸名を考案する。その後の彼女のハリウッドの華麗なるスターとしてのキャリアや繰り返される結婚とおよそ不釣り合いと思われる彼女の科学者としての側面に注目したのが、本作である。
 彼女は小さい頃から機械に興味があり、5歳の時にはおもちゃのオルゴールを分解して元に戻したとヘデイの息子が証言する。彼女の父が子供の頃から彼女に電車や工場の機械を見せて、原理を説明していたという。ヘデイは、自分は多分『春の調べ』で肉体派というイメージが災いし、同じ欧州出身のハリウッドのグレタ・ガルボやマレーネ・デイードリッヒのような演技力を要する役には恵まれなかったと語る。商業映画の役は彼女の知的好奇心を満たすものではなく、家で機械の研究に熱中していた。
 そして第二次世界大戦でドイツの魚雷に英国の旧式な魚雷が大西洋で散々撃墜されていることを憂慮して、ラジオの電波を本艦から各魚雷に向けて送信することで安全を確保する方法を友人の音楽家と共同研究して、米国海軍に送る。しかしハリウッド女優が提出したその設計図と説明書は真面目に取り上げられず、しかもヘデイが米国国籍を取得していなかったため、敵国民の書類として処理されてしまった。
 まさに驚きの事実である。失望した彼女は、その後政府が推奨するように国債を売ることで戦争に貢献し、戦後はあまりよい役にも恵まれず薬物中毒になって万引きで捕まったり不遇の老後であった。しかし彼女が考案していたものは、後にWiFiやGPSの原理となったものと共通するもので、彼女の晩年にようやく科学への功績が讃えられ始めた。
 美しく生まれたばかりに優秀な頭脳をまともに受け取ってもらえなかった女性の悲劇であるかもしれないが、映画の最初に登場するヘデイの言葉が含蓄深い。「美人なんてどんな女性でもなれるのよ。すくっと立って馬鹿みたいにしていればいいのよ。」そういえば、マリリン・モンローも普段は誰も気がつかないような地味な風情だったという話もある。どうやって自分を見せるかに長けていたヘデイも、科学者としての自分の演出まではできなかった、あるいはそうさせなかった社会に生きた不運だろう。
 本作のアレクサンドラ・デイーン監督は、テクノロジー関係のニュース・ドキュメンタリー製作に関わり、なぜ科学界に女性が少ないのか疑問に思っていた。女性科学者に会うたびにその質問をすると、決まって模範となる女性先駆者がいないという答えが返ってきた。それで女性科学者について調べるうちにヘデイ・ラマーに行き当たったという。現在女性に対する人々の意識が変わってきて、肉体的に美しく頭脳も明晰という女性が存在することがナタリー・ポートマンやリース・ウェザースプーンなどのハリウッドの女優で証明されてきた一方、今でもIT産業では女性の起業家をなかなか受け入れない体質があると本作のプレス資料で述べている。

タイ映画もすごい

 ここでどうしても一筆書いておきたい映画があった。トライベッカ映画祭の少し前、リンカーン・センターで上映された『暗くなるまで(By the Time It Gets Dark)』(2016年、タイ、オランダ、フランス、カタール合作)は驚くべき映画であった。日本では本年(2017)3月の大阪アジアン映画祭で上映されているが、世界各国の映画祭で話題となっている。タイの女性監督アノーチャ・スリチャーゴーンポンの2作目で、自国の歴史をこのように映画で語る方法があるのかと感嘆した。いちいち細かく説明しない映画なので、映画を見ながら気を抜いてぼやっとしていると、何が何だかわからなくなる。
 映画は虫や鳥の声が響く山の中の別荘に到着した3人の女性の場面から始まる。
  一人は初老の女性は著名な作家で、1970年代の戒厳令の時期に学生運動の指導者として活躍した思い出を若い監督(二人目の女性)のカメラの前で語るという設定であることがわかってくる。もう一人の女性は別荘の世話をしている。
 突然説明なく、倉庫のようなところに数十人の若い男女が上半身裸、女性はブラジャーだけ身につけているが、皆後ろ手に縛られて床に寝かされている場面になる。拳銃を持った軍服の男や拡声器を持った女性が、床に伏せられている若者たちを威嚇している。暗く湿った熱帯の空気やコンクリートの床の冷気を感じさせるようなじわっとした恐怖感を私は感じながら、これは作家の体験、あるいは彼女が見聞した当時の学生たちの状況だったのかと思ってみていると、突然カメラが引いてカメラマンや監督が動き回っているのが見えて、これは撮影現場であったことがわかる。この映画はその後も、さまざまな映像を撮影している撮影隊の場面やラッシュ映像を見ている製作クルーのシーンを見せ、映画の中の映画という構造を繰り返し強調する。
 また突然説明なく、林の中を黙って歩く若い男女の場面がある。若い女性は作家の若いころであることが推測される。その短い場面の後に作家と映画監督はカフェに座って朝食をとっている。ウエイトレスと話をしているが、このウエイトレスが後にバンコクのクルーズ船のウエイトレスとして、あるいは若いアイドル男優の家の家政婦として働いているシーンが出てくるが、ここでは何の説明もない。
 男優がミュージック・ビデオのようなものを撮影しているシーンのあと、若い女性とのベット・シーンがあるが、これはカメラが引いて撮影中ということを観客に明らかにしないので、多分撮影ではなく実生活のものと推測される。
 男優の恋人らしきこの美しい若い女性が都会の喧騒の中で車を運転しているシーンもあるが、後でこの女性が男優と高級クラブで偶然出会うシーンがある。それぞれが別のパートナーと一緒で、気まずい空気なのだが、彼女は今監督として映画を撮影中という。こうして映画の中のある映像の撮影場面なのか、その外側にあるストーリーの中のシーンなのかが容易にはわからないようになっているのは意図的だ。映画でストーリーを語るとは何かということをスリチャーゴーンポン監督が常に自問し、観客にも質問し答えを求めている。そうした話法の中で、ある一人の女性が体験した1970年代の政治危機の時代が、脈絡なくウエイトレスの女性を通じて現代のタイの映画界へと結ばれる、実に不思議な映画なのである。
 スリチャーゴーンポン監督は1976年タイに生まれ、コロンビア大学フィルム・スクール出身。世界中から次々と新しいかたちの映画が誕生していることを実感させてくれた。