映画祭の新しい運営方法
今年(2012)も11月末に、ニューヨークで恒例のルーマニア映画祭がやってきた。第7回目となる今回は、昨年に引き続きリンカーン・センターを会場に、7日間に13本の新作、4本の旧作、7本の短編が一挙上映されて好評のうちに幕を閉じた。でも今年は、昨年までと事情が違う。春にルーマニアの政権が選挙の結果代わり、映画を含めた芸術活動の方針が大幅に変更となり、ニューヨークのルーマニア文化センターで数年ルーマニアの文化紹介に勤めていた所長のコリナ・ステウと副所長のオアナ・ラドウが9月に辞めた。
この二人の強力な女性は、トランシルヴァニア映画祭のミハイ・キリロフとリンカーン・センターのスコット・フォンダスと組み、多くのルーマニアの映画人や芸術家の後援を得てルーマニア映画をニューヨークだけでなくその他の都市でも上映するための「ルーマニア映画イニシアテイブ(Romanian Film Initiative, 略はRFI)」を始めたのだ。フォンダスは2009年リンカーン・センターに来る前は『ロサンゼルス・タイムス』の映画記者で、その頃から世界で注目され始めたルーマニア映画について情熱をこめて書いていた。この12月から『ヴィレッジ・ヴォイス』誌の映画ライターとなる。コリナは大学生の娘がいて40代後半か50代に見えるが、あとの3人は30代後半から40代前半ではないかと思う。
ルーマニア政府からの支援が見込めないので、今年のルーマニア映画祭はKickstarterというサイトで一般に寄付を募った。私も今年のルーマニア映画を見たいので、ここに寄付をした。アメリカのインデペンデントの映画製作者や舞台芸術家などが資金集めのためにこのサイトを利用していて、私も以前映画製作の企画に対して寄付をしたことがあるが、この映画祭への寄付は初めてであった。あらかじめ決められた目標額と目標日程を提案して、それに到達したときに初めて各自のクレジット・カードから寄付をすると約束した額が引き出される。ルーマニア映画祭は11月初旬の目標日程以前に約300人の個人支援を得、目標額2万ドルを達成した。私のクレジット・カードからお金が引き出されたのは11月9日だった。こうした映画祭運営も興味深いものだ。
こうしてルーマニア映画祭は、個人からの寄付2万2000ドルのほか、アメリカと旧ソ連圏との文化交流を目的とする「トラスト・フォー・ミューチュアル・アンダースタンデイング」という財団から5万ドルの支援を得て、今年も無事に開催された。
オープニング作品
今年のオープニングは、新作『カタツムリと人間と』(12、トウドール・ジウルジウ監督、映画の詳細はこちら)。マイケル・ジャクソンが初めてルーマニアを訪問した時のニュース・リールが映画の最初と最後に挿入される。その時に実際にルーマニアで起こった話の映画化ということだが、マイケルとこの映画のテーマがどう結びつくのか首を傾げている人もいた。この作品は人工授精についての喜劇なので、「子供をつくること、それが起こす波紋」ということで接点があるのだと思われる。堕胎が禁じられていたチャウシェスク大統領独裁時代に孤児が増えたルーマニアに、子供の大好きなマイケルが来て孤児院を訪問してショー化したということなのだ。
映画の舞台は、ある地方都市の自動車工場だ。屋根の上で逢瀬を楽しむ男女の手前に、ぬったりと日光浴をしているカタツムリのクローズアップが現れ、カタツムリものちほどテーマとなる。この工場がフランス資本に売られることになり、それに反対している組合の幹部が屋根の上にいた男で、女は社長秘書である。フランスから資本家親子が視察に来るので、小学校ではフランス人歓迎のためのラヴェルの『ボレロ』の演奏をリズミカルに練習している。なぜ『ボレロ』が代表的なフランスの楽曲なのか、というのも笑いをとるネタになっているが、日本人にとっては黒澤明監督の『羅生門』(50)で天才作曲家早坂文雄が翻案した「ボレロ風音楽」でおなじみの、「タンタタターーン、タタタタタ・タンタタターーン…」のあのリズムである。
フランス人資本家親子は車工場の買収後に、この付近でとれるカタツムリを獲って、食用のエスカルゴにする缶詰工場に代えるので、労働者が半減されることになる。しかし実はその計画は嘘で工場をさっさと売るつもりだということを、社長秘書に惚れた資本家の息子が彼女に打ち明ける。それが実行される前に工場を買い取ろうとする組合の秘策は、テレビ広告で知ったアメリカの「精子バンク」に、組合員たちの精子を売って資金ぐりをすることであった。
ルーマニアでは、共産主義が崩壊しても前時代の遺物のような人たちが工場を仕切っていて、私利私欲に走っている。アメリカのバンクが精子を買い取る50ドルというのは当時のルーマニアの換金率によれば大金だが、結局そのバンクが求めているのはルーマニアの労働者の精子ではないと言われてしまうところが哀しい。知能指数と背が高く、若い金髪の男性が理想的で、デンマークの学生が良い例だという。未だにアングロサクソン的イデオロギーが根強く、グローバル化した世界であっても執拗に支配的地位を占めているのだ。私から見れば、組合幹部はワイルドな魅力に溢れ、あの精子なら欲しいものだと女性は思うだろうと推測するのだが、映画の最後にひねりがあり、彼の家族の問題も出てくるのは、なかなか考えられた脚本である。
クロージング作品
クロージングは、クリスチャン・ムンジウ監督の『丘を越えて』(12、映画の詳細は、こちら)。2012年のカンヌ映画祭で脚本賞(ムンジウ)と女優賞(クリステイナ・フルトウルとコスミナ・ストラタン)を二重受賞し、アメリカでも日本でも公開予定である。日本では『汚れなき祈り』として3月16日より公開される(詳細はこちら)。140分の上映時間は長いが、ムンジウは前作『4ヶ月、3週間と2日』(07)の卓越した手持ちカメラの名手である撮影監督オレグ・ムーテイと再び組んでいる。クロージングでは2人の受賞女優が登場したが、私は秋のNY映画祭でこの作品を見て、その時スカイプで行われたムンジウ監督の記者会見にも出席したので、今回は大混雑になりそうだったと予想されたのでこれはパスした。実際に大盛況となり、会場に入れない人たちの不満が渦巻いたそうだ。
この映画は2005年にルーマニアで実際に起こり、物議を起こした事件を取材した本を基にしている。孤児院で育ったヴォイチタ(ストラタン)が、僻地の山の中の僧院で尼僧の修行を始める。孤児院時代仲良しだったアリナ(フルトウル)はドイツに移住していて、親友を連れ戻しに僧院へ行くが、尼僧見習いとしてその生活になじんでいるヴォイチタはアリナの求めに応じない。ヴォイチタを説得するためにはアリナは自分も尼僧になると言い出し、僧院での生活を始めたものの、規則を破りまくり周囲の尼僧たちにとっては迷惑千万となる。数日後僧院長と尼僧たちはアリナの悪魔払いを施し、彼女は死んでしまう。そして僧院長や尼僧たちが逮捕されるところで映画が終わる。
ムンジウは記者会見で、悪魔払いという中世的な習慣がまだ残存していたことにルーマニアの人々は衝撃を受けたが、誰にも悪意があったわけではなく、なぜアリナが尼僧院を去らなかったのかを考察したかったと述べた。少女二人が同性愛なのではないかと質問が出たが、監督はそれに対する明言は避けた。同性愛としてしまえば答えは簡単になるが、簡単に割り切れない人間の心理の複雑さを監督は描きたかったに違いない。
映画の中で、孤児院で収容されている少年や監督者からの虐待に対してアリナはヴォイチタを庇い、空手も習っていたということが明かされる。そしてアリナが養子に出されても、養子先の家庭でも居場所がなかったことが描かれる。アリナにとって、ヴォイチタだけが心のよりどころで、彼女を失うことが耐えられなかったのだろう。
実際の事件は夏に起こったが、ムンジウ監督は舞台を冬に換えた。雪の風景、張り詰めた寒気が物語の進展にひやりとした脅威を加えている。そしてムーテイの長廻しは、『4ヶ月、3週間と2日』と同様に、登場人物の間の緊張感を凝視するように、人物の間を動き回る。そして時には、話している人物の首から上が見えない構図を敢えて撮り、その顔の表情を観る者に想像させる手法は、前作から踏襲されている。ムンジウは空間設計が複雑で苦心し、リハーサルを繰り返したと述べていた。脚本も優れているが、この撮影のすごさも見て欲しい。
キュメンタリーとドラマの折衷
今回の特集で私にとって特に興味深かったのは、『クリスマスまでの三日間(エレナとニコラエ・チャウシェスクの生涯の最後の日々)』(12、ラドウ・ガブレア監督、映画の詳細は、こちら)という括弧つきの題名の映画である。1989年12月22日、ブカレストの広場に召集された人々が次第に政府に対する不満の声を挙げ始め、独裁者としてルーマニアに30年間君臨したチャウシェスク大統領夫妻が側近と一緒に、中央委員会の建物屋上からヘリコプターで逃亡するところから始まる。この映画は、当時のドキュメンタリー、当時を語る関係者の証言ドキュメンタリーと俳優による再現ドラマを組み合わせている。最初はすぐにも巻き返すつもりであった大統領夫妻は、周囲にいらいらをぶつけ、怒鳴り、威厳を保とうとする。大統領夫妻はヘリコプターから車に乗り換え、軍の施設に立てこもるが、既に軍の高官が反乱側に寝返り、テレビ局が反乱側に占拠される。軍とメデイアを制圧した側が天下を取ることは明らかとなる。
「こんなに私たちがいろいろしてあげたのに」というのがエレナ夫人の口癖で、なぜ人々が反乱を起こしたかが理解できない。しかし行く先々で彼等を守るべき立場の軍人たちが、口々に食糧不足の不満を訴える。大統領は自分のせいではなく、国民に充分食料を供給するようにとした自分の命令に従わなかった役人たちのせいだと主張し、独裁者の現状に対する認識不足が露見する。
目撃者の通報で反乱側が大統領夫妻の居場所をつきとめ、逮捕して即席裁判で死刑を宣告し銃殺処刑してしまうのが、3日後のクリスマスの日である。長年独裁政治に苦しんだルーマニア人にとってはこの上ないクリスマス・プレゼントとなったはずだが、大統領夫妻が最後の3日間で権力の頂点からどのように失墜して行ったかを、刻一刻と追う手に汗握る描写であった。
再現ドラマで大統領夫妻を演ずる俳優は、私の目には「あまり似ていないんじゃないか」という違和感を覚えた。関係者証言でも、その人を演じている俳優は大体あまり似ていない。きっとこれは意図された違和感をルーマニアの観客には与える目的で、「俳優が演じている」ということを常に意識させる戦略に思えた。アーカイブ・ドキュメンタリーの部分では、テレビ局でにわかに集まった反乱側が何を放送して何を放送しないかなど議論しているシーンがあり、テレビで流された映像にしても選択された恣意的なものであることを提示している。
タトス回顧展
今回の特集の収穫は、やはり古典であった。独裁制の検閲の下で脈々と映画史に残る傑作が作られていたこと、そして当局に覚えの悪かった映画も破壊されずに生き残っていたことにはいつもながら驚かされる。今年はアレクサンドル・タトス監督(1937-1990)の特集で、3本の映画が紹介された。タトスの最も有名な『シークエンス』(82)は、映画製作の現場を主題にした実験的方法が後の時代の映画人に大きな影響を与えたとされている。85年にニューヨークの近代美術館とリンカーン・センター共催の「新人映画特集」でこの映画を私は見ていたので、今回は今まで見ていない2本を見た。
処女作『紅い林檎』(76、映画の詳細は、こちら)は、地方都市の病院に勤務する理想主義的な若い医師が主役だ。床に広げられたふとんの下から目覚まし時計でやっと起きてくる彼の姿を天井に据え付けたカメラで捕らえるところから映画が始まる。最初から、そこはかとないユーモアを漂わせる作風である。彼は慎ましい部屋のテーブルの上の小さなコンロでコーヒーを沸かす。家主夫妻から一緒に食事をするようにという誘いや洗濯の申し出も頑なに断る。自分の主義主張を持った男なのだが、なぜそれほど潔癖症的な行動なのかと思って見ていると、物語の中で次第に紹介されるルーマニアでの賄賂の習慣に彼が断じて染まらないようにしている意志だとわかってくる。
患者第一主義の彼は、彼の才能を妬み、事なかれ主義で腐敗している病院長と対立している。しかし彼はひるむことなく、反抗的態度を隠さないので、病院長は彼を失脚させようと図り、検察官を病院に引き込む。このドラマが、ハラハラドキドキと観客の気をもませた後にハッピーエンドで終わるのだが、これは当時のルーマニア当局の映画検閲で「検察官は民衆にとっての正しい判断をするという要請があったのか」と疑いたくなる「ハッピー」さなのだ。
紅い林檎は、健康でシンプルで純なものの象徴として登場する。美しい看護婦に対する主人公の失恋も、林檎を通じて市場で知り合った心理学の女性教師の出会いと比較される。出勤の道すがら、林檎を常にポケットに忍ばせ、主人公は出会う子供に一つずつ赤い林檎をあげ、ことあるごとに林檎をかじる。そして手術の後は、ミルクをがぶ飲みする。ミルクも子供の飲み物なので、「子供のように澄んだ」彼の心を象徴するものだ。
病院長と争った後、彼が部屋に戻って机に座り込む彼の姿を捕らえるシーンで、窓から子供たちの唱歌が聞こえてくる。これは無垢で純真な子供のイメージを正義漢である彼の姿にかぶせているのだが、黒澤明の『野良犬』(49)で三船敏郎演ずる刑事と泥の中で格闘した後の木村功演ずる犯人の耳に響いてくる小学生の唱歌の場面を私は思い起こす。ここでも純粋だった時代の犯人の青年時代を回想させるのだ。
手術後の患者が休む部屋で、流しの水が垂れている音が強調されて緊張感を盛り上げたり、この作品の聴覚デザインは凝っている。上映前にこの作品のカメラマンだったフロリン・ミハイレスクが「映画のストーリー展開の邪魔にならないようなカメラ・スタイルに努めた」と語っていたが、ところどころで大胆なカメラの動きでアクセントをつけている。瀕死の患者を必死に看病する医師が薄暗い窓に向かって座っていて、カメラが横に動くと同じ位置の彼を再び捉える。また医師と心理学女性教師の最初のデートの場面を360度回転するカメラの動きで、次第に彼女に興味を持ち始める彼の心の高まりを描写する。
『アナスタシアが優しく通る』(79、映画の詳細は、こちら)は、ダニューブ川を挟んでセルビアと向かい合っている小さな村で、第二次世界大戦中に起こった実話を映画化したものだ。美しい小学校教師のアナスタシアは、村の有力者の息子と愛し合っているが、ドイツ兵が進軍してきて若者は全員召集され、彼女は一人残される。彼等の恋愛を快く思っていなかった息子の父は村長となり、村中の男たちが媚を売るようになる。それと対比して村の女たちはドイツ軍に抵抗を試みたりして、男たちのように掌を返したように権力者にへつらわないのが印象的だ。
セルビアから夜陰に紛れて川を渡ってきたパルチザンたちが、ドイツ軍に攻撃をしかける。ドイツ兵を襲ったパルチザンが殺されて村の広場にさらしものになっているのを見て、村人たちは心を痛めるがドイツ軍の報復を恐れて、村長はじめ村人たちは何もしない。いくら何でも人道に反すると、アナスタシアはパルチザンの顔にまず自分のスカーフをかけて覆う。次にろうそくの灯をともす。その後で不安そうに村長は歩きまわり、ドイツ軍に歯向かう彼女の行動を何とかやめさそうとする。しかし彼女はひるまず、死体を埋葬するために村人たちを説得しようとするが、誰一人彼女に協力しない。アナスタシアが一人で死体を地面に埋め十字を立て花輪を置くと、村長を筆頭にした村の男たちが彼女を殺すことになる。
上映前と後に映画の紹介をしたアナスタシア役の女優アンダ・オネサは当時19歳、3本目の映画だった。実際にこの事件が起こった村で撮影したが、ダニューブ川が狭くなっている地域で、撮影当時の独裁制のルーマニアから泳いで対岸のユーゴスラビア側に逃れようとする者が後を立たず、撮影中も夜中に泳ぐ者を狙ったルーマニア軍の銃撃がしょっちゅう響くという緊張を強いられる空気の中でのロケだったそうだ。そして村人たちが住む家も彼等が集まる酒場もすべて村に建てられたセットで、その本当らしい雰囲気を生み出す技術に感嘆したというが、私も驚いた。演劇出身のタトス監督は現場で演出法を次々と直していくタイプなので、ついていくのが大変だったと。オネサの相手役の村長を演じたアムザ・ペレアはルーマニア映画演劇界の重鎮で、新人のオネサは彼の前で縮こまる思いだったが、何とか頑張った、などという逸話が紹介された。
この作品がカルロヴィ・ヴァリ映画祭に出品される時、政府は主演の彼女ではなく政府の役人の女性を代表団として派遣することにしたので、彼女は自費で参加した。その前の作品でポーランドの映画祭に行き、反政府的なソリダリテイ(連帯)の動きなどを間近に見ていて、帰国後即座に秘密警察の取調べを6時間にわたって受けていた(最初の3時間は待たされただけで、後の3時間が執拗な取調べだったそうだ)というのが理由かもしれない。カルロヴィ・ヴァリ映画祭で彼女の女優賞が決まると、タトス監督が「なぜ彼女で、自分が受賞ではないのか!」と皆の前で激怒したため、その後ずっと非常に心苦しい思いをしたそうだ。
すごいアヴァンギャルド
回顧展のもう一つの作品は『石の結婚式』(72、映画の詳細は、こちら)で、これはびっくり仰天の前衛的スタイルの映画だった。モノクロ、ほとんど台詞はなく民族音楽の哀愁に満ちた歌声で物語が進行する二部形式となっていて、ミルチャ・ヴェロイウとダン・ピツアというその後巨匠となった二人の監督のデビュー作である。この二部構成の作品はスタイルが違うが、原作はルーマニア西部のアプセニ山脈の中の同じ寒村を舞台にした短編である。
第一部の『フェフェレアガ』は、石切り場で働く未亡人マリア・フェフェレアガとその病気の娘を描く。石切り場では、切り立った崖に蟻のように何人かの人間が張り付いて、石を削る作業をしている。マリアは白い馬を連れて一日石を運ぶ単純作業を終え、慎ましい我が家に戻ると窓辺においてある薬瓶の中の液体を匙に入れて娘に飲ませるのが彼女の日課だ。マリアの簡素な動きが連日繰り返され、彼女は疲れきった表情で家にたどり着く。「夫も親戚もない彼女を助けるものもなく、彼女はこの生活から逃れられない」と、締めつけるような女性の声が抑揚をつけて謳いあげる。ある日彼女は村に馬を売りに行く。その足で憂鬱な顔をした洋服屋に行き、婚礼衣装一式を買う。連れて行かれる馬の後姿をじっと見て、彼女はぽろりと花冠を石畳の道に落とし、それをおもむろに拾う。次のシーンはマリアの家で、横たわった娘が婚礼衣装を着けられているので、ここで観客をはっとさせられる。背後の窓の外に墓場が見え、マリアは地面を掘っている。
第二部の『結婚式で』は、荒野で馬に乗った兵隊たちに追われる若者の姿で始まる。兵隊たちをまいた若者は、結婚式に向かうという音楽家と会い、自分は太鼓がたたけると売り込んで同行することにする。結婚式の花婿は土地の有力者らしく、道の要所要所で硬貨を配り、長い参列者が続く。長いテーブルが庭を囲むように並べられた屋敷の披露宴では、数人の女が食べ物飲み物を手に忙しく画面を往復する。スープを飲み、鶏肉にかぶりつく花婿や客のなかで、美しい花嫁は何も食べない。
陽気な音楽が始まると、食べ物に集中する花婿の横で花嫁はじっと音楽家を見つめる。そのうちに花婿の顔が柱で覆われて見えない角度になる。二人の視線はますます濃厚になる一方である。
速いリズムで踊る人々の群れに紛れて、花嫁は音楽家と逃げる。残された兵は花婿一味に殺されて死体が打ち捨てられる。第二部でも、女性の低音の歌声が登場する。「彼女は何も食べず、自分の意志に反して父親が決めた金持ちで酷い男から逃げ、幼い頃から愛し合った男と一緒になった」と、ストーリーが語られるのだ。
映画の紹介をした花嫁役の女優で現在コロンビア大学教授のウルスラ・ヴォルツが、演劇学校のまだ学生だった当時、台詞が全くない役で緊張したと述べた。また白い馬が撮影中いなくなってしまい、茶色い馬に色を塗って白にしたてあげたと笑わせた。この撮影監督はヨシフ・テミアンという巨匠だが、ミハイレスクが同じ撮影監督としてこのモノクロの視覚デザインの秀逸さを称えた。またこの極端な様式美の映画がよく検閲を通ったと思われるが、監督が二人とも新人だったので検閲官もあえて注意を払わなかったのだろうとのことだった。視覚の面でも聴覚の面でもこのように大胆な前衛的デザインは、公式に認められた社会主義リアリズムからひどく逸脱していたに違いなく、ただただ驚くばかりの私であった。