日本ではほとんど話題になっていないが、この数年世界で注目されているのがルーマニア映画である。その意味で、日本は映画配給後進国だ。1989年12月にニコラ・チャウシェスクの独裁政権が倒れてから、言論の自由を手に入れたルーマニアの映画人たちは、それまで描けなかった独裁時代の実態をえぐり、資本主義経済に変化した社会を見つめる映画を作ってきた。ルーマニア映画が尋常ではないと海外映画人たちが気づき始めたのは、21世紀初頭、カンヌやベルリン国際映画祭に続々と出てくるルーマニア映画群を前にしてであった。そのうちの何本かはニューヨークでも公開され、私も見るたびに愕然とした。新鮮なアプローチ、鮮烈なエネルギー、個性的な俳優・・・確かにルーマニア映画は凄いのだ。(詳細は、ルーマニア映画人を求めて旅した私の2008年9月5日から19日までの記録を参照のこと。これは私のニューヨークの盟友でコリオグラファー(振付師)中馬芳子のマルチメデイア舞台公演作品「Page Out Of Order」シリーズの中のルーマニア編の準備のための旅であった。)
2007年のカンヌ映画祭で最高賞のパルム・ドールに輝いたのが、クリスチャン・ムンジウ監督の『4ヶ月、3週と2日(英語題名4 Months, 3 Weeks and 2 Days)』(米国配給会社のサイトはこちら)』だ。これは日本でも公開されたが、堕胎が禁止されていた独裁時代の1987年に妊娠してしまった女学生の苦悩の一日を描くものである。自分の置かれた社会に対する強烈な問題意識が新しい表現方法で展開するルーマニア映画群を見てしまうと、日本の若い世代の映画に私はへなへなになってしまう。その多くが自分とその周囲のみみっちい空間にしか興味のない映画である。たいした自分でもその周辺でもないのだから、そういう映画は5分までに留めて欲しいのだが、だらだら2時間以上も続く作品がほとんどだ。自分が立つ社会での位置を見定め、その日本の社会が今世界の中でどのような位置を占めるのか、今置かれている場が歴史の中でどのような意味を持つのかという意識が見事に欠如しているから、横にも縦にも広がらない。私は声を大にして日本の若い映画人に言いたいのは「自分探しはやめて!」ということだ。
こうしてルーマニア映画に魅せられた私は、今年もニューヨークで開催されたルーマニア映画祭を逃すわけにはいかない。第6回目となる今回は、11月30日から12月6日までリンカーン・センターで開催され、ルーマニアから監督や俳優を招き新旧20作が紹介された。中には既に昨年のニューヨーク映画祭、今年のトライベッカ映画祭、ニューヨークの映画館や過去のルーマニア映画祭で見た作品もあり、今年の収穫はオープニング作品の『モルゲン(原題はMorgen、公式サイトはこちら)』であった。本年度アカデミー賞外国語映画賞部門にルーマニアからエントリーされているので、本国の評価も高そうだ。監督マリアン・クリシャンの長編デビュー作で、彼の短編『メガトン(原題 Megaton)』は、2008年カンヌ映画祭の短編部門で最高賞を得ている。
『メガトン』は、ルーマニアの田舎の8歳の少年の誕生日をめぐるストーリーである。離婚している母が彼を連れて列車に乗る。それはハンバーガー屋、マクドナルドへ行くために首都ブカレストへ行く旅である。少年はハンバーガーのおまけのメガトンというロボット目当てなのだが、あいにく品切れだ。しかしお父さんが会いに来てくれて、少年は嬉しくなるという何気ない作品ながら、心に残る。 少年の失望や幸福感が私の心を優しく包みながら、その追体験をさせてくれるのだ。『モルゲン』の素晴らしさも、到底私が通常見ることのできない世界を見せてくれ、体現させてくれることで、映画を見た後も何日もいろいろなイメージが心に残る。
朝もや、そして夕闇の暗がりの空と雲。その中で主人公の中年男性ネルがかっとばす荷台つきオートバイがブルン、ブルン、ブルンと響くその音。ネルがスーパーマーケットの警備員の制服に「やれやれ」という表情で着替える動作。家で口うるさい妻に怒られ続けても口答えしないで黙々と自分のしていることを続ける彼の表情や身振りが、繰り返し私の心によみがえる。舞台はハンガリー国境近く、サロンタという小さな街で、事件など起こりそうもないのんびりした地域である。スーパーマーケットの客もまばらで、ネルは棚の食品についての客からの質問に丁寧に答えている。ネルを演ずるのは、トランシルヴァニア地方では大きな文化都市クルージュのハンガリー系劇場の俳優アンドラーシュ・ハタジだが、四角い顔で頸がなく実に地味である。ふとしたことで彼がかくまうクルド人の男ベーランを演ずるイルマズ・ヤルチンはイスタンブール出身の舞台俳優だが、こちらも際立った容貌ではなく、どこにでもいそうなオヤジ風である。言葉が通じないながら、心を通わせていくこの二人の雰囲気がよい。ベーランは「アルマーニュ、アルマーニュ(南欧系言語でドイツを意味する)」と連発し、家族の写真を見せ、家族がいるドイツをめざしていることをネルに伝え、有り金を全部出すのだが、ネルはそれを受け取らず、ドイツ語で明日を意味する「モーゲン」を連発してうなずき、ベーランをドイツへ送る決心をする。
こんな辺境の地では知らない人がいたら住民は警戒しそうなものだが、さして神経をとがらせないことには私は救われた。地下の食料庫に隠れているベーランを見て、ネルの恐妻は飛び上がり文句を言うが、そのまま居ついてしまうベーランを追い出す気配もない。私が呆気にとられたのは、そのうちネルが大胆にもベーランを連れて一緒にバスで友人たちとハンガリー側にサッカーを見に行くことだ。旗を振って大騒ぎをしているバスの乗客は、国境警備員の検査も受けない。ネルはハンガリー側にベーランを置いて帰ろうとするのだが、道でパトカーを見たベーランは縮み上がり、歩いてネルの家に帰ってきてしまう。一度ベーランを近所の人々見られているせいかネルはますます大胆になり、ベーランを酒場に連れて行ったり、畑仕事の手伝いをさせたりしている。人々が噂したのに違いなく、とうとう警察がネルの家に来る。しかし警官も面倒に巻き込まれたくないらしく、ベーランをハンガリー側に置き去りにして戻ってきてしまう。
ネルが不法移民を助けるのは、国境やそれを守ろうとゴリ押しする権力を信じていないからである。映画の冒頭、ハンガリー側の小川で釣りをして帰ってきたネルが国境で警備員に、釣りの許可の書類を持っていないという理由で釣ったばかりの大きな鯉をその場に捨てさせられる。ネルがベーランに出会うのも、その小川で釣りをしている最中だ。映画の最後でも、ネルは釣りをしている。現在の国境というのは第二次大戦後のもので、それ以前にはセルビア領であったり、第一次世界大戦以前はオーストリア・ハンガリー帝国内にあったというような地域がバルカンには入り乱れ、「国境」という概念がいかに暫定的で恣意的なものであることは、ちょっと歴史をひも解けば歴然としてくるのだ。言い換えれば、いかに便宜的なものであるか、しかし時には住民にとって不都合なことも多々出てくるのだ。
そしてこの映画で思い知らされるのはグローバリズムの不平等さである。なぜトルコや中近東の人間がドイツやイタリアに出稼ぎにいかなければならないのか? 本国では生活が成り立たないので、先進国で差別を受け最下層の生活に甘んじながらも故郷を後にする人々がいる。彼等の旅の通り道に住む人間として、ネルはクルドの同胞を助けざるを得なかった。
監督がこの映画を構想したのは、故郷サロンタで二人の不法移民が国境警察に捕まったという新聞記事を読み、えっ、こんな片田舎でと驚き、想像をめぐらしてこのストーリーに行き着いたという。いまや不法移民のテーマは世界的なものである。最近私がニューヨーク映画祭でみたフィンランドのアキ・カウリスマキ監督の新作『ル・アーヴル(Le Harvre)』(こちらもフィンランドからのアカデミー賞外国語映画賞エントリー作品、公式サイトはこちら)は、フランスの港町ル・アーヴルの下町の気骨ある住民たちが一致団結してアフリカからの不法移民の少年を助けるというものであった。それには心優しい警官も加担する。『ル・アーヴル』は、1930年代のフランスの人民戦線の雰囲気を強く感じさせるものであったが、『モルゲン』に比べると架空の時間の架空の場所のできごとのような御伽噺的雰囲気がする。『モルゲン』では今、地球の「この地域での」出来事という感じで、国境というものを強烈に考えさせる。
監督にとって一番興味があったのは、不法移民とそれを助けるルーマニアの地方住民の間の興味深い友情だという。この二人の友情は微笑ましい。ネルの家の食料倉庫から母屋に移ってベーランは生活するようになり、ネルとトランプをしたり夫婦と一緒にテレビを見たり、屋根直しも手伝い、このクルド人は次第に家族の一員のようになっていく。小言の多い奥さんも意地悪な女ではなかったことがわかりほっとするが、妻が家をとりしきっているこの地方の家族の様子も監督が描きたかったことの一つだそうだ。日常生活がこれほど興味深い映像になるということを思い知らされる映画であった。
今年10月に88歳で死去した巨匠リヴィウ・チウレイ(死亡記事はこちら)の特集も、今年の映画祭の目玉であった。2008年にリンカーン・センターでのルーマニア映画祭で『首吊りの森(英語題名 The Forest of the Hanged)』(1965年にカンヌ映画祭で監督賞受賞、作品紹介はこちら)を見て驚愕した私は、チウレイの名を心に刻んだ。この映画の凄さは到底言語では表せないので、映像をみていただくしかない。第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国の臣下としての従軍を余儀なくされたルーマニア人将校が、ルーマニア王国を敵として戦う道徳的ジレンマがテーマである。霧のかかった野原を無言で歩く兵士たちをモノクロの撮影が捕らえるが、霧は至るところで心理的に追い詰められた登場人物たちの心を冷やす。演劇、建築、セット、衣装デザインにも関わったチウレイの空間設計は奥行きと時間の永劫の流れを感じさせる。そしてこの映画でも国境の恣意性に振り回される民族の運命が、ギリシア悲劇のように重厚に描かれる。
1970年代にチウレイの演劇は反体制的として検閲で禁止され、チウレイは1980年にルーマニアを離れる。1980年からアメリカ中西部ミネソタの名門劇場、ガスリー・シアターの演出家となり、前衛的作品で評判となる。1986年からはコロンビア大学とニューヨーク大学の演劇学科で教鞭をとり、私の友人の中にもその時の教え子がいる。89年の体制変換でチウレイはルーマニアに帰国して、古巣の劇場に戻った。
今回の特集で私はチウレイの初期の作品の一つ、『ドナウの波(英語題名 The Danube Waves、作品紹介はこちら)』(59)を見ることができた。「首吊りの森」でも俳優として出演していたチウレイが、この作品でも主演の一人である。第二次世界大戦中ナチス・ドイツに占領されたルーマニアのドナウ川にドイツ軍が地雷をしかけ、それを縫ってルーマニア人たちがパルチザン活動を成功させる話である。チウレイが演ずるのは、ドイツ軍の武器を運ぶ任務を負った船長で、若くて美しい妻を伴ってその任務に就く。そこに刑務所から送られた囚人が雑役夫として送られてくるが、実はこの囚人はパルチザン側の将校で、武器奪略という密かな任務を負っている。さらにドイツ兵が二人警備で船に乗り込む。船長が妻と囚人の仲を疑うが、結局この三人が一丸となってドイツ軍の武器をパルチザン側に届ける。社会主義国の映画として、困難な状況の中で祖国のために戦う主人公たちの自己犠牲の精神が謳歌されるが、手に汗を握るシーンがいくつかあり、アクション映画的側面もある。36歳のチウレイは通俗的な男前ではないが、強い意志を秘めた猪のような魅力のある庶民を演じている。