EUフィルムデーズ2009開催報告(1)『クリスマス・オラトリオ』トーク

[2009/6/23]

 ご報告が遅くなってしまったが、毎年恒例のEUフィルムデーズが東京・京橋の国立近代美術館フィルムセンターで開催された。今年は5月29日から6月20日までの会期中、日本初公開作品や主要国際映画祭の受賞・ノミネート作を含む21本の作品が紹介され、北欧からはデンマークとフィンランドそしてスウェーデンから各1本ずつの作品が上映された。

 それぞれの作品をあげてみると、デンマーク作品は『ファイター』(2007)で、これは昨年のあいち国際女性映画祭で上映されたもの(本コラム第78回参照)で、フィンランド作品は『氷の仮面舞踏会』(2007)、こちらも昨年の大阪国際ヨーロッパ映画祭で上映されたもの(本コラム第83回参照)、そしてスウェーデン作品は『クリスマス・オラトリオ』(125ページ)という、こちらは北欧映画際1997で上映された10年以上前の作品と、新作の紹介がなかったのが残念なところだった。各作品についての詳細はぜひ該当の各コラムや「北欧映画—完全ガイド」の該当ページを参照してほしい。だが今回嬉しかったのは、いくつかの作品の監督、プロデューサー、出演者を交えてのシンポジウムが開催されたことだった。また、このために来日したゲストによる、関連作品上映後のトーク・イベントも一部の作品について開催され、当事者しかわからないさまざまな作品についてのエピソードなどを聞く、非常に有意義な機会が設けられたことは大変に画期的だったと思う。

 このゲストとして、北欧からはスウェーデンの『クリスマス・オラトリオ』のシェル-オーケ・アンデルション監督(232ページ)と主人公の少年シドネル役を演じたユーハン・ヴィーデルベルイ(230ページ)が来日、5月29日のクリスマス・オラトリオの最初の上映後のトーク・イベントと翌30日のシンポジウムに出席した。本コラムでは両日の取材をさせていただいたので、両日のもようを2回に分け、彼らの発言を中心にご紹介したいと思う。

 今回は『クリスマス・オラトリオ』上映後のトーク・イベントについてご紹介する。

トークイベントにのぞむシェル-オーケ・アンデルション監督(左)とユーハン・ヴィーデルベルイ(右)

 作品製作の経緯・エピソード

 このトークが開催された当日は平日の遅い時間だったにも関わらず、生ユーハンみたさの? 女性ファンも多かったせいかフィルムセンターの310人入る大ホールの客席は7割ほど埋まる盛況だった。

 上映終了後、まず、アンデルション監督が、この作品の製作の経緯について語った。「作品製作にとりかかる2、3年前の夏に、原作(スウェーデンの人気作家ヨーラン・トゥンストレム(Göran Tunström(1937〜2000)による1983年刊行の同名小説)を読んで感動し、映画化を決意しました。これだけの作品を作るには、お金も時間もかかるので、いまだったらもう無理だろうと思います。この作品を作れたことを、誇りに思っています。また、作品ができてから最初の試写のとき、上映が終ってから原作者のヨーランが会場から泣きながら出てこられ、大変に喜んでもらえました。

 ニュージーランドのロケにはヨーランも同行する予定だったのですが、彼の心臓が悪くて叶いませんでした。ヨーランは著作を執筆していた頃はニュージーランドのある詩人と恋に落ちていました。そこで、ヨーランの思いを映画にも込めようと心がけたのです。たとえばあるシーンでは、その女性本人に出演してもらったりもしたので、こちらの意図がヨーランに伝わったことは、私にとっても大変に嬉しいことでした」。

 作品をご覧になった方はお分かりだと思うのだが、この作品は親子三代にわたってスウェーデンとニュージーランドを結ぶという、いわば大河ドラマで、ニュージーランドでの現地ロケや、20世紀初頭のスウェーデンの地方都市のセットの作成など、製作にはお金がかかっている。次回掲載するシンポジウムでユーハン・ヴィーデルベルイの発言も紹介するが、特に北欧ではドグマ作品のヒットで低予算映画がもてはやされ、さらに昨今の経済情勢などの背景もあるのだろう、監督の言葉には実感がこもっていた。


監督との関係や、演技について

 続いてヴィーデルベルイが監督との関係や、この作品の撮影時に演技に関して心がけた点などについて語った。「この作品の製作中、監督とはとても楽しく仕事ができました。普通、映画をとるとき、映画を作るスタッフ、キャストの関係というのは、作っている最中は戦友のようになって、とても近しい仲間になるものですが、終るともう2度と顔を会わせることもない、という場合もあります。でも彼とは今でも友達という、珍しい関係にあると思います。でも、アンデルション監督は、『悪魔のような監督』という異名もあるくらい、怒らせると恐いんですよ(笑)」。

 ここで監督から横やりが(笑)「まあ確かに現場で怒ることはありますけど、映画製作は戦場です。演技だけでなく、資金など、いろいろな問題があり、つねにせめぎあいがあって、戦わねばなりません。それに対して私は妥協したくないのです。責任があるのは自分なので、自分の作品には妥協したくないのです。だからつい、カッと…(笑)」

 続いて、ヴィーデルベルイが演技の際に心がけていることを語った。「演技をする際、常に心に留めていることは、やりすぎないということです。カメラは、非常に細やかな動きでも追えるのですから、必要以上に動きすぎるのはよくないことと思っています。もうひとつ重要に思っていることは、目線です。本国で評判が良くないこともあるのですが、自分なりの目線を心がけることがとても大切と思って、この作品でもそうですが、常に心がけるようにしています」。


会場との一問一答

 引き続き、会場との一問一答が行われた。

Q「この映画で使われているクラシック音楽はどのようなものですか?」

A(アンデルション監督)「私は作品の音楽には、現代音楽を使うこともありますが、この作品ではバッハという古典音楽を使いました。また、作曲家にバッハのクリスマス・オラトリオをモチーフに使ってほしいとお願いしたら、とても困っていましたが、結果的にとてもいいものになりました。やっぱりバッハがベストですね(笑)。演奏はロシアで、モスクワ交響楽団でやってもらいました。低予算だったのに、非常に高品質の音がとれて、非常に満足でした」。

Q「お二人にお聞きしますが、この作品の中で、どのシーンがいちばん印象に残っていますか?」

A(ヴィーデルベルイ)「セルマ・ラーゲルレーフにモールバッカで会うところです。ここは当時のまま保存されているモールバッカのラーゲルレーフの家でロケを行いました。とても美しい空間で、歴史を感じました。ラーゲルレーフ役を演じているのはシフ・ルードというスウェーデンでは有名な大ベテラン女優です。とても静かで、落ち着いた方で、撮影の時は台詞なんていらないくらいの存在感があって、ロケ地も共演していただいた方も印象深かったです」。

A(アンデルション監督)「モールバッカは確かに私にとっても思い出深い場所です。でも私にとっては、編集室でみていて思い出すのですが、シドネルの息子が精神病院に彼を見舞ってやってくるシーンです。シドネルが初めて息子と出会い、息子がシドネルの方へ廊下を駆けていきますが、この子役が5歳で、どうしても歌いながら走ってしまうんです。しょうがないので、そのまま撮影を終えて、編集者とみていたのですが、走り出す1秒前に、シューマンの「子供の情景」をスタートさせたら、音楽と彼の動きがぴたりと合ったのでびっくりしたのです」。


 10年以上前の作品とはいえ、なかなか興味深い話が伺えたように思うが、いかがだろうか。ちなみにモールバッカはスウェーデンの中西部、ヴェルムランドにあるセルマ・ラーゲルレーフの生家で、彼女は日本では「ニルスのふしぎな旅」の作者としても知られている。彼女はここで生涯を終え、現在も当時のままに保存されていて見学もできる。スウェーデンにご旅行の際は足を伸ばしてみてはいかがだろうか。ヴィーデルベルイならずとも、スウェーデンの歴史を感じられるに違いない。

 次回は「ヨーロッパ映画製作の現状と将来」と題して開催されたシンポジウムのようすを、お二人の発言を中心にご紹介したいと思う。

EUフィルムデーズ公式サイト:http://www.eufilmdays.jp/

ノルディックシネマ・インフォメーションメニューTOPへ