アニタ・キリ監督インタビュー(2)映画の技法やノルウェーのアニメ業界、次回作について

[2006/9/4]

 本コラム第40回で、第14回キンダーフィルムフェスティバルにゲストとして招かれた、ノルウェーのアニタ・キリ(Anita Killi)監督へのインタビューの前編をご紹介したが、今回はそのインタビューの続きである。前回に引き続き、ノルウェーのアニメ業界についてや次回作などに関する、興味深いお話しをご紹介しよう。

映画の技法とノルシュテインとの出会い
――映画の話に戻りましょう。「マレーネとフロリアン」は、切り絵を使った背景に、紙の人形を組み合わせた、素朴な感じが印象に残るアニメーションですが、この手法はデビュー以来、一貫して使っていらっしゃるのでしょうか。
◎美術大学に入ってアニメーターとしての駆け出しの頃に、この技法と出会いました。そのときから惚れ込み、ずっとこの方法でアニメづくりを続けたいと考えて、スタジオもそれにあわせてつくりましたし、今後も同じやり方を続けていきたいと考えています。

――この技法と出会ったというのは、誰かの別の作品をみた影響とか、そういうことがあったということですか。
◎まず、使っている素材のお話からしたいのですが、私の使っている素材はかなりざらざらしたものです。学生時代にちょっとはやっていた素材で、個人的にもざらざらとした質感が楽しく、気に入りました。それからアニメの場合、たとえば、1秒間に何枚もの絵を描いても使い回せずに1回限りです。それよりは自分でパペット(人形)をつくり、さらに背景を色々つくりこむ。そういうふうに人形と背景を別にすれば、使い回しができるわけです。また、その分パペット1体1体や背景に時間をかけることもできる、というメリットも生まれます。
 これを知ったのは、ロシアのアニメ作家ユーリー・ノルシュテイン(Juri Norstein)の作品でした(*1)。彼の作品にひかれ、彼のような技法でやっていこうと決めたのです。きっかけは、大学時代に卒業製作の一部として、最後に論文を書かなければならなかったことです。その際、最初はソビエトとアメリカのアニメーション映画の違いというテーマで書こうとしたのですが、テーマが大きすぎて(笑)、結局はソビエトのアニメーションについて、歴史的な観点と芸術的な観点から論じたものになりました。

――ノルシュテインといえば、日本でも人気のあるアニメーション作家ですが、具体的には彼の作品のどういうところに惹かれたのでしょうか?
◎彼のストーリーテリングの特徴的な点は叙事的であり、かつ詩的であることだと思います。アップを多くして、観客がみるべきものはこれだ、と製作者側があらかじめ決めてしまわずに、あえてもっとワイドに撮ることで観客が何をみるか、どこをみるかを選ぶことができる、というのが彼の作品の好きなところです。そうすることで観客の側は何を想像するか、自由が広がりますし、物語を自分で考えられるのです。こういった作風が好ましく、ノルシュタインについてはかなり勉強しました。
 さらに彼の作品で好きな点は、全体的にゆっくり撮ることで動かしている人形たちの台詞も少なめにし、そこに生じる間や、言葉以外の表情は何なのか考えさせる、というところです。子ども向けのアニメだと、ただ主人公が話すばかり、という作品が多いのですが、それよりは間をもたせてゆっくり話させて、その間には何があるのだろう? と想像するための時間を子どもたちにあげた方がいいのではないかと思います。

ノルウェーのアニメーション製作事情
――次に、ノルウェーのアニメーションづくりについて伺います。ノルウェーでは、アニメづくりは盛んなのでしょうか?
◎オスロには3つほどの大きなアニメーションのスタジオがあります。大きい、といっても1スタジオ当たりわずか10人未満のスタッフしかいないのですが(笑)。これらのスタジオでは人形を使ったり、切り絵を使ったアニメーションを製作しています。最近ではCGを使ったアニメーションも増えていますが、こちらの方面はあまり詳しくありません。ただ、ノルウェーではアニメーションは少ないです。さらにアニメーターとして生き残ることは、かなり難しいことなのです。

――『マレーネとフロリアン』でもかなりご苦労があった、ということですか?
◎はい。私も実際、父親からの支援がなければ今まで続けることは無理だったと思います。私はCMなどは手がけていませんから、スタジオの資金繰りなど、苦労することが多いのが実情です。『マレーネとフロリアン』は政府から援助は出たのですが、製作費の半分しか出ませんでしたし、製作にかかった2年間はただ働きも同然の有り様でした。私はだいたい自分1人で作品を手がけていますが、人形やら背景やらをつくって、撮影して、とやりながら資金繰りもしないといけない。苦労することは多いです(*2)。
 実は現在新作の準備中なのですが、今回はノルウェーだけでなく、4か国ほどの支援を得られる予定なので、以前ほどは大変な作業ではないと思います。ただアニメの仕事以外にも、農場の畑の世話をしなければなりませんし、子どもたちの面倒もみなければなりません。それがなければもうちょっと早く資金やら何やら、たくさんの問題をクリアできるのですが、なかなか思ったように動けないので時間がかかってしまいます(笑)。

次回作「Sinna Mann」
――ところで、新作というのはどういうものなのですか?
◎グロー・ダーレ(Gro Dahle)という人の「Sinna Mann」という絵本が原作です(*3)。絵は原作と同じ、スヴェイン・ニーフス(Sveim Nyhus)という人です。ボイ(Boj)という男の子が主人公の物語で、彼はお父さんとお母さんが大好きな男の子です。でも、お父さんの中からはときどき「怒りの男」が顔を出して、お父さんの顔が豹変してしまうのです。顔の変わったお父さんはとても恐ろしい。ボイくんには手を出しませんが、お母さんを殴ります。お母さんが殺されてしまうのではないかとボイくんは心配するのですが、幸いなことにお母さんが死ぬことはありません。でもボイくんは魚を飼って大事にしていたのですが、母魚がお父さんに殺されてしまうのです。
 母魚を殺されたことでボイくんは、この家から出たい、と思うようになります。また、お父さんが怒ったあとでその相手をするのがお母さん、というのもなんとかしてあげたいと思っています。そのうち、この家族を心配した近所の人がボイくんの家に、空の封筒をもった彼らの飼い犬を送り込みます。その犬が、ボイくんに近づいて何があるのか教えてよ、と話しかけます。そこでボイくんは王様にあてて手紙を書き始めるのです。
 お父さんがお母さんのことをぶったりするんだけど、それは僕のせいなの? というふうに書くのです。自分のせい? というふうに子どもが聞くのは、『マレーネとフロリアン』でも同じように、戦争がおこってしまったのは自分のせい? というふうにフロリアンが尋ねて、子どもが自分を責める場面があります。自分には何も責任はないのに、自分を責めてしまうという点が、両作品に共通しているところです。
 手紙を書き終わったボイくんは、犬と一緒に家を出ます。その手紙を受け取った隣人たちの助けで、ある日、ボイくんは作中で王様と呼ばれる人物が現れて会うことができます。そしてその王様はボイくんのお父さんに、あなたは、自分の息子と暮らす資格はない、と話すのです。

――お話しをうかがっていると、ドメスティック・バイオレンスという、かなりシリアスな問題を扱った作品ですね。どんな結末になるのでしょうか?
◎お母さんとボイくんが家に残り、お父さんが家を出て更生しようと努力する、という内容になると思います。というのも、ノルウェーでは父親から逃れるために母親と子どもが家を出る、というケースが多いのです。そうではなく、家庭内暴力の当事者以外の家族が家に残り、安心して暮らせるようになる、というのが大事なことだと思うのです。
 数年前にこの作品の製作に着手しましたが、上映する場所がないのではないか、という理由で政府からの援助はあまり得られませんでした。でも2年ほど前に、意見が変わりました。やはりこの問題が、新聞等でもとりあげられるようになり、大きな問題としてクローズアップされるようになってきたためでしょう。テレビでも4年前には上映できないと言われていたのに、2年前には上映したいというようになりました。

――ドメスティック・バイオレンスは日本でも大きな問題です。苦しんでいるご家族も多いですし、取り上げるには難しいテーマだと思いますが、ぜひ完成したものを拝見させていただきたいです。
◎こういう映画ですのでノルウェーでは、たとえば学校でみんなで鑑賞する場合、家庭内暴力の問題を抱える家の子どもがいた場合に、その子どもに対応できる専門家がいないと上映できない、といった扱いがされることになると思います。日本でどうなるかは分かりませんが。これは希望ですが、子どもだけでなく、大人たちにも見てほしいですね。たとえば家庭内暴力を振るう父親がが見て、直接手を下さなければ子どもはなにも考えないし感じないだろう、と思っても、実は子どももすごく傷付いていたと気づいてもらえたら、と思います。

――今日は長い時間ありがとうございました。暑くて大変だと思うのですが、残りの日本滞在を楽しんで下さい。
◎ありがとうございました。
インタビューの後のアニタ・キリ監督。
今回、小さな娘さんを連れての来日だったが、おなかの中には新しいお子さんが…。
*1:ロシアのアニメーション作家、監督。1941年、ユダヤ人の両親のもとに生まれ、モスクワで育つ。中学校卒業後、家具職人として働き、59年に国立映画スタジオのアニメーター養成コースで学んだ後、「チェブラーシカ」のシリーズなどで知られるロマン・カチャーノフ監督作品などの製作にアニメーターとして参加した。1968年には『25日・最後の日』で監督デビュー。エイゼンシュテインに大きな影響を受けており、作中にはモンタージュ技法を好んで使用する。彼の作品は日本でも人気があり、手塚治虫が彼の熱心なファンであったことでも知られる。たびたび特集上映なども行われている。彼は日本の川本喜八郎監督による連句アニメーション『冬の日』(2003)や奈良時代の仏教黎明期を描いた『死者の書』(2005)にも参加している。
http://www.comicbox.co.jp/norshtein/
*2:1995年、彼女はドヴレにある自宅敷地内に自分のプロダクション、トロールフィルムを立ち上げ、そこで製作を行っている。ノルウェー語だが、公式ページもあって、作品の紹介などを見ることができる。
http://www.trollfilm.no/
*3:日本語に直訳すると「怒れる夫」という意味になる。2003年に、グロー・ダーレ(Gro Dahle)作、スヴェイン・ニーフス(Svein Nyhus)絵で刊行。グロー・ダーレは1962年、オスロ生まれ。彼女は作家で詩人でもある。1987年にデビュー後、大人向け、子ども向けの多くの作品を発表している。日本で紹介されている作品はこれまでのところないようだが、キリ監督によればこの「Synna Mann」は日本での翻訳出版が決まっているそうだ。なお、一足先に台湾では「生氣的男人」というタイトルで2005年に刊行されている。下記アドレスは原著出版社の紹介ページでノルウェー語だが、掲載されている表紙の絵がボイくんなので、作品の雰囲気の一端だけでもわかると思う。絵を描いているスヴェイン・ニーフスはオスロの南方、80キロほどのフィヨルドの奥にあるテンスベルグ(Tønsberg)で1962年に生まれた。オスロの美術大学(ちなみに、アニタ・キリ監督もこの学校を卒業しているので、彼は監督の先輩ということになる)を卒業後、1992年に絵本画家としてデビュー。1995年には絵本作家としてもデビューし、自ら絵と文章を手がけてもいる。絵本画家としての仕事は本作をはじめ、グロー・ダーレの子ども向け作品が多い。
http://www.cappelen.no/main/katalog.aspx?isbn=8202231167&f=1501

 キリ監督は気さくな人柄で、インタビューの予定時間もあっという間に過ぎてしまったのだが、いろいろと興味深いお話しを伺うことができた。なお、「キンダーフィルムフェスティバル」では、9月2日、3日にも東京・世田谷区民会館で「せたがや子ども映画祭」を開催、キリ監督の『マレーネとフロリアン』のほか、今年のキンダーフィルムフェスティバルの参加作品の一部を上映、また、『マレーネとフロリアン』についてはフィルムレンタルも行っているとのことなので、興味のある方は下記公式サイトをご覧いただきたい。

キンダーフィルムフェスティバル・ジャパン公式サイト:http://www.kinder.co.jp/japanese.html

ノルディックシネマ・インフォメーションメニューTOPへ